「…代案ってなに」
が、笹岡は返事をしない。階上へ向かうエレベーターで笹岡の後ろに立ち、返事をしないその背中を見るのはやめ、怜はガラス張りの向こうの景色を眺める。
スマホを取り出しで時間を確認するが、そろそろホテルのチェックインの時間になりそうだった。
千葉ポートタワーの館内放送がかかる。少ない観光客が行き交うのが階下にも見える。
「サワグチってさあ、そんなこと話してて楽しい?」
笹岡は突然、振り返ってそう言う。
応える間もなくエレベーターは3階へ着き、二人は再び観覧のスペースを歩き出す。笹岡は怜の前を歩いたままだ。
「…ほら。まただよ。
そもそも、お前が言ったんだろ。生徒会長の方も、代案のことも」
「…うん。確かにそうだね。でもさ、プライバシーってあるだろ。まだ言いたくない事だとか…
俺はさ、同性愛ってことが、サワグチにバレた。それから内には、立ち入って欲しくないな。」
「なんだ、それ。」
「何か俺、おかしい事言ってる?」
「…いや」
「あのさ、…あっ。レストラン。ここだよ。ここで二人でご飯食べて行こうよ。」
笹岡はようやく笑顔で、怜に向かって言う。二人の目の前には展望レストランの入り口が大きく佇んでいる。
「奢ってくれるの?お前が」
怜がそう言うと、笹岡は「やだなー」と言って軽く笑った。
カップルか家族連れが数組しかいないレストランの中食事を済ませて、それから外へ出た後は再びモノレールに乗り、予約してあるホテルへと向かった。
時計はもうすでに四時を回っていた。受付で多少手間取ったが、親からの同意書を見せた後で特に問題もなくチェックインする事が出来た。
エレベーターの中で笹岡と別れた後で、怜は四階の自分の部屋のベッドの上へ荷物を置き、中に入っている洗面道具やらを出した後、「はあ〜」と声を出してベッドの上に横になる。
…思えば、朝の四時頃に千葉に着いてからは休んで居ないのだ。睡眠時間もいつもの半分くらいしか取っていない。バスの中で眠るつもりだったのが、慣れない場所で何度か目を覚ましたせいで、十分な休息を取れていないのだ。
横になり、目を閉じた途端に重い睡魔に襲われ、怜はあっという間に眠りこけていた。
…近くで、何か音がする。手の先に置いてあるスマートフォンが、さっきから通知音を鳴らしているみたいだった。
怜は目を開け、しばし状況を把握しようとする。
ーそうだ。千葉に来ているんだっけ。
父親と、昔行っていた場所へ行くため。
不確かな思い出がさまざまに混ざりあったまま、家から出た後の事を怜は思い出している。
そうだ。スマホ。それを手に取り、通知から中を開くと、笹岡からのLINEと着信があったようだった。
怜はとりあえず、寝ぼけたままでその通知から電話を掛けてみる。
あいつから電話が来て…
ポートタワーで食事して。
その時、話していた事を朧げに思い出す。
部活動であった事。クラスの女子の噂話に、何故か最近巻き込まれている事。…
「もしもし?サワグチ。開けてよ」通話が繋がった途端、笹岡は言う。
「は。開けてって…」
「お前、もう外行かないつもり?
今俺、お前の部屋の前。もう出る準備出来てるぞ」
怜はベッドからむくりと起き上がり、とりあえず部屋の入り口まで向かう。オートロックの鍵を開け、ドアを開くとさっきと同じ様子の笹岡が部屋の外で立ったまま、怜と同じ格好で電話を掛けている姿に出くわす。
「おう」
笹岡はそう言って微笑む。それから、スマホを耳から離した。
「…寝てた?もしかして」
笹岡の問いかけに、怜は不機嫌そうに頷く。「悪いんだけどさ、ちょっと仮眠取ってから行ってもいい?俺、今、外出るのムリ」
「ええ…
分かった。じゃあ俺、待ってる」
そう言ったかと思うと、笹岡は怜がドアを開けている方の腕をひょいと括り、部屋の中に素早く入り込んだ。
「待ってるって…おい。」
怜がそう言うのも聞かずに、笹岡は窓の近くまで歩いて行くと外を覗き込んでいる。
「別に一人で行ってくれててもいいよ。」怜はそう言い、ベッドにやれやれと腰掛ける。
ともかく睡魔の最中にいるため、笹岡と真面目にやり合うのも面倒だった。
「……
………」
「なあ。」
「え。だから俺、待ってるからさ、サワグチは気にしないで、寝ててくれていいよ。だってせっかく来たのに、一人で部屋で…テレビ見てろって言うの。」
「…いいよテレビ見ててくれて」
怜はそれだけ言うと、ベッドの中に再び潜り込む。
笹岡はそれを見た後で、再び窓の外を眺めているようだ。
「お前の部屋と、ほぼ景色も部屋のつくりも同じなのな。」
「…階はちがうでしょ」
「確かに。ここの方が、遠くまで見える」
「……」
怜は再び目を瞑り、眠りの中に落っこちる。
目を覚ますと、何やら騒がしい音がする。暫く眠りこけていたようだが流石に今度は目を開けなくとも何の様子だか分かった。テレビを付けて何かの番組を観ているのだ。あれから眠った後で笹岡は、本当に言われた通りにテレビを見ながら待っていたらしい。
「あ、起きた?」
怜が少し動いただけで、笹岡は振り返って言う。笹岡はベッドの端の、怜の足元の近くに座って小さな備え付けのテレビを見ている。
怜と目が合うと、ニヤッと笑って、笹岡はベッドを周り、怜の後ろのから近くへと歩いてくる。
「…」
目を覚ましたばかりの怜は、テレビと笹岡の様子を交互に見ながら、一体何をしようとしているのかを推し量る。
笹岡は、怜のすぐ側で立ち止まったかと思うと、徐に布団の上へと上がって来た。
自分の背の方で沈み込んだベッドを怜が振り返ってみようとすると、笹岡はすでに掛け布団を剥いで怜の寝ている布団の中に潜り込んで来ていた。
笹岡はベッドの上で横になり、ピッタリと怜の背中にくっ付いているみたいだ。
「俺も寝てもいい」笹岡は言う。「お前、一時間も寝てたよ」
「…」
笹岡は、怜の背中にくっ付いたままで、腕を回して抱きついてくる。
怜は少し寝ぼけて居たが、急激に近づいてきた笹岡の匂いと挙動に自分の血流がどんどん上がって行くのを感じている。
「…何。寝るの?これから」
怜が辛うじてそれだけ言うが、笹岡は返事をしない。
あまりにぴったりくっ付いていて、自分の心臓の音がバレるんじゃないかと、そっちの心配の方が戸惑いよりも勝っていた。
「こっち向いて」怜の背中で笹岡がそう呟く。
「え」
「…」
笹岡は怜の背中に殆ど顔をくっ付けているようだ。「サワグチ」笹岡がそう言うたびに、背中に熱いものがかかるみたいでぞわぞわする。
「ねえ」
「やだ」
「何で」
「なんでも」
「なんでだよ。」
「…お前、だってふざけてるでしょ。ちゃんと理由とか説明しないし。それと、同じだよ。いやなもんはいや」
「何。サワグチにもプライバシーがあるって事言ってるの?」
「プライバシーじゃなくっても、いきなり過ぎるだろ。俺、別に…」
「…」
「お前と同じだよ。俺も、なんでわざわざややこしいことしたり、変な事になるんだろうって思ってるから」
「…なあ」
「…何」
「いいから。ちょっとこっち、向いてみて」
そう言われて、仕方がなく怜は身体を起こし、笹岡の方を見る。
目が合うと、横になっていた笹岡は妙に恥ずかしそうな顔をしてから怜と同じように体を起こし、それから怜の身体に腕を回して抱き付いてくる。
「…あ」
何か言おうとする間もなく、笹岡は怜の口へ唇を重ねて来る。
「……」
それから徐々に、体重を掛けてまた、ベッドの上へと二人で倒れ込む。
「…」
怜は目の前にいる笹岡の顔を見ながら不意に思い出す。
…そうだ。これは、初めてじゃないんだった。
あまりに突然の事だったから、1回目も、2回目も事故みたいに自分の中で処理していた。しなければならないんだ、とそう思ってた気がする。
怜の目の前にいる笹岡は目を閉じて、怜の肩に回している手に力を込め、何度か口を離してはもう一度キスをしたり、感触を確かめるみたいにして繰り返している。
そうされているうち、怜もこれ迄自分達の間でずっと曖昧にしか思えて居なかった出来事を徐々に思い出す…
それから、ついさっき、ポートタワーで手を繋いでいた事も。
笹岡がようやく白状した事も、そうなるまでのごたごたや、笹岡が自分に向かって話しかけて来ることも、いつも怜は笹岡一人の問題なのだと思いたかったこと。
…俺、こいつのこと好きなんだ。
笹岡が目を閉じている顔を見ながら今更みたいに怜はそう思っていた。
多分会った時から、今までずっと。
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