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夜の避難所には、重い静けさが沈んでいた。
照明は落とされ、簡易灯の淡い光だけが空間を照らしている。
泣き疲れて眠った子供たち。
毛布にくるまったまま目を閉じることもできず、ただ天井を見つめている大人たち。
遠くでサイレンが鳴っている。
それが、ここがまだ”終わっていない場所”だと告げていた。
蒼真は、体育館の隅に敷かれた毛布の上で、膝を抱えるように座っていた。
右手を持ち上げる。
指先は、もう見間違いでは済まないほど薄くなっていた。
(……進んでる)
指を曲げてみる。
感覚はある。でも、どこか遠い。
自分の身体なのに、自分から少しずつ剥がされていくような不快さがあった。
「また見てる」
隣から、澪の声がした。
蒼真が顔を向けると、澪は膝を抱えたままこちらを見ていた。
眠れていないのだろう。家族の無事を確認した後でも、その表情には疲れと緊張が残っていた。
「見ない方がおかしいだろ」
「それはそうだけど」
澪は小さく息を吐いた。
「見てると余計に悪くなりそう」
「そんなわけあるか」
「でも、そういう気分になる」
蒼真は答えず、右手をそっと下ろした。
少しの沈黙のあと、澪がぽつりと言った。
「……あのあと、、またお母さんから連絡きてた」
蒼真はそれを聞いて、軽く顔を上げた。
「そうか」
「うん。家のほうはとりあえず無事みたい。停電はしてるけど、建物は大丈夫だって」
「よかったな」
「うん……」
そう答えながらも、澪はすぐには笑わなかった。
「無事ってわかってるのに、なんか落ち着かない」
視線を落とす。
「普通に話してたはずなのに、すごく遠い感じがして」
蒼真は何も返せなかった。
それが通信障害のせいなのか、恐怖の余韻なのか、それとももっと別のものなのか。
今の蒼真には判断できない。
少し離れたところでは、ひなが毛布にくるまって座っていた。
眠っていたはずなのに、いつの間にか起きている。
膝の上に手を置き、静かに周囲を見ていた。
「ひなちゃん、眠れなかった?」
その様子に気づいた澪が、声をかけた。
「……ちょっとだけ、こわい」
「そうだよね」
澪はひなにそっと寄り添った。
「寒くない?」
「だいじょうぶ」
ひなはそう言ってから、ぐっと息を止めた。
「……また来るよ」
澪が目を瞬かせる。
「え?」
「また来る」
ひなは体育館の入り口のほうを見たまま言った。
「おにいちゃんのこと、連れて行こうとする」
その言い方は不思議なくらい静かだった。
怯えた子どもの勘というより、すでに知っていることを口にしたように聞こえる。
蒼真の胸の奥に、嫌な重さが落ちる。
そのときだった。
体育館の照明が、ふっと一度だけ揺れた。
次の瞬間、館内放送に短いノイズが走る。
ザッ、と耳障りな音。
周囲の何人かが顔を上げる。
だが、それだけだった。
(……来た)
蒼真は立ち上がり、入り口のほうを見た。
三人の黒装束の男たちが立っている。
蒼真には、はっきり見える。
服装も、表情も、そこに立つ意味も。
澪が目を細める。
「いる……よね」
澪は視線は向けているが、うまく形を掴めていないという状態。
「見えるけど、ちゃんと見えない」
それが正確な表現だった。
しかし、周囲の避難者たちは反応していない。
男たちの存在が、そこだけ別の層にあるようだった。
男の一人が、一歩前に出た。
「対象、再確認」
低い声。
「確率干渉値、上昇。局所汚染、進行中」
蒼真は眉を寄せた。
「わけわかんねえことを……」
「回収猶予は終了した」
男は蒼真をまっすぐ見ている。
「これ以上の放置は、区域全体への波及を招く」
言葉の意味はわからない。
だが、ろくでもないことだけは確かだった。
「蒼真」
澪が腕を掴んできた。
「なんなの、一体?」
「ろくでもない連中だ」
ひなが澪の服の袖を引っ張った。
「おねえちゃん、下がって」
澪は息を呑んだ。
次の瞬間、男たちが一斉に動いた。
速い。
蒼真に向かう二人。
もう一人は回り込んで、澪とひなのほうへ抜けようとしている。
「ーー当たるな」
世界が光源に包まれる。
音が途切れる。
静止した光の中で、蒼真の思考だけが鋭く残る。
前から来る拳。
足の運び。
床の軋み。
澪とひなの立ち位置。
そして、三人目の軌道。
(そっちは通さない)
先頭の一撃を外させる。
二人目の踏み込みを半歩狂わせる。
三人目の進路は、澪たちの前をすり抜ける直前で外側へ逸らす。
光が消える。
音が戻る。
拳が蒼真の頬をかすめる。
二人目の男が着地を乱す。
三人目は澪たちの真横を抜けるはずが、肩ひとつ分だけ外れて床を滑った。
「……っ!」
胸の奥に焼けるような痛みが走る。
また削れたのが分かる。
だが、止まれない。
「右!」
ひなの声が飛ぶ。
蒼真は反射的に身をひねる。
直後、横から放たれた金属片が耳元をかすめていった。
(見えてるのか……?)
思う間もなく、次の攻撃。
「ーー当たれ」
世界が光源に包まれる。
音が途切れる。
狙うのは一人。
先頭の男の顎。
戻る。
拳が、一直線に叩き込まれた。
鈍い衝撃。
男の身体が大きく仰け反り、そのまま入り口の外まで吹き飛んでいった。
残る男たちの動きが、一瞬止まった。
「複合干渉の精度が上がっている」
別の男が低く呟く。
「想定値を更新」
蒼真は息を整えながら、前を見据えた。
「お前ら、何者だ」
問いに答えたのは、中央にいた男だった。
「均衡維持局、第三観測管理班」
聞いたことのない名。
「お前のような干渉個体は、本来この世界に存在してはならない」
「ふざけるな」
「街の爆破は選別だ」
その一言で、空気が凍る。
澪が息を呑む。
ひなは、ただ蒼真を見ていた。
蒼真の拳が怒りで震える。
「極限状態でのみ発現する未分類個体の抽出。必要な損耗だ」
「おれのような存在をあぶり出すために、街を爆破したのか……」
「もっと時間がかかるかと思ったが、すぐに見つけた」
あまりにも平然とした口調だった。
そしてそれは、今回の爆破でその”未分類個体”が見つからなければ、次にまた別の街が爆破されていたということを意味する。
蒼真は、低く息を吐いた。
「……そうか」
その目から、迷いが消えた。
「なら、もう遠慮はいらない」
世界が光源に包まれる。
音が途切れる。
今度は一つではない。
複数の結果。
複数の軌道。
守るべき位置。
壊れてはいけない場所。
全部を一つの盤面として掴みにいく。
外させる。
通さない。
当てる。
「ーー当たれ」
光が弾ける。
音が消える。
蒼真の拳が、男の顔面を捉えた。
衝撃とともに、その身体が入り口の外へ吹き飛ぶ。
残る二人も大きく距離を取った。
初めてその目に警戒が浮かぶ。
蒼真は肩で息をしながら立っていた。
指先は、また少し薄くなっている。
家族のことは分からない。
自分の記録が消えている理由も分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
こいつらを止めなければ、また同じことが起きる。
街が燃える。
誰かが取り残される。
ひなのような子どもが、また一人になる。
澪が蒼真の名を呼ぶ。
振り返ると、澪は不安と混乱を抱えたまま、それでもその場に立っていた。
ひなも、まっすぐに蒼真を見ている。
「……おにいちゃん、まだ来るよ」
「ああ」
蒼真は答えた。
「でも、もう分かった」
その先を見据える。
「これはもう、おれ一人の問題じゃない」
その言葉と同時に、避難所の外で新たな警報が鳴り響いた。