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私の部屋から、お姉様の部屋までは――ものすごく遠い。
理由は単純だ。
私は“性悪令嬢”。
お姉様は、聖女の跡を継ぐ存在。
お姉様の身の安全を最優先に考えた結果、このような配置になったのだろう。
けれど、それは完全に要らぬ心配である。
私が、お姉様を害すなど、ありえない。
今までも、これからも。
もし害すとすれば――お姉様を傷つける者を、この手で、だ。
そんなことを考えながら、私は長い廊下を駆けていた。
(風魔法が使えれば、もっと早く着くのに……!)
だが、そう思ったところで仕方がない。
才能に恵まれなかったのだから。
私が扱える魔法は炎。それも、かなり特大の。
火力だけには自信がある。
……今の状況では、役に立たないが。
ちなみに、お姉様が使える魔法は再生と浄化。
どちらも希少で、だからこそ彼女は聖女の跡継ぎとされている。
優しさそのものを形にしたような魔法だ。
本当に、お姉様らしい。
そうして余計なことを考えているうちに、ようやく目的の扉が見えた。
――お姉様の部屋。
(お姉様……)
何事もないはずだ。
そう信じたいのに、万が一を想像してしまって、手の震えが止まらない。
それでも。
早く会いたくて、抱きしめたくて、私は勢いのまま扉を開けた。
バッ。
「イリア!?」
扉の向こうで、お姉様が驚いた声を上げる。
「お、お姉様ぁぁぁ!」
その姿を視界に捉えた瞬間、私は理性を忘れて飛びついていた。
優しい香りに包まれ、堰を切ったように涙が溢れ出す。
「あら、イリアは泣き虫ね」
慈愛に満ちた表情で、彼女は私の頭を撫でた。
――この手に、何度救われただろう。
一人で泣いている私を見つけては、いつも優しく迎えてくれた。
怪我をしていれば、怒りながらも、ただ一人心配してくれた。
誰も私を見てくれなくても。
お姉様だけは、私を見ていてくれた。
信じてくれた。
だから――
私は、お姉様が大好きだった。
ひとしきり泣いて、そして――気がついた。
お姉様の部屋に、大嫌いな男がいることに。
彼の名はアラン。
アースウェル家に仕える執事であり、お姉様の身の回りを一手に担う男だ。
……何が嫌かって?
毎日、当たり前のようにお姉様の傍にいること。
身の回りの世話をするのだから当然だ、と言われればそれまでだが――
嫌なものは、嫌なのだ。
アランは元々、奴隷だったと聞く。
幼い頃、お姉様がお父様と街を視察していた際、虐げられている彼の姿を目にしたらしい。
お父様が制止する中、お姉様は傷だらけの彼に迷いなく手を差し伸べた。
――そして今に至る。
だからこそ、アランもまた、私と同じだ。
お姉様に、心酔している。
誰にでも優しいお姉様が好き。
けれど、私以外には優しくしないでほしい。
そんな、どうしようもなく矛盾した感情に支配されている私は、
どうしたって、この男を好きになれなかった。
「……イリア様。淑女たるもの、慎ましく行動してくださいませ」
私にだけ冷たい、礼儀正しい声。
――やっぱり、嫌い。
私の茶色い髪とは違う、
お姉様の色に近い、金糸のように柔らかな髪。
私の血のように紅い瞳とは違う、
澄んだ夜空を映したような、深い青の瞳。
お姉様の隣に立っても、少しも見劣りしない顔立ちと立ち姿。
それらすべてが、私に「持っていないもの」を突きつけてくるようで。
「……私は、あなたが嫌いよ。アラン」
感情のままに吐き捨てた言葉は、
部屋の空気を、ひどく冷たくした。