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「……詩歌ちゃん?」
人の気配はあるものの部屋の中は明かり一つ灯ってはおらず、カーテンが開けられたままの窓から辺りのビルやマンションの明かりや夜空の光が差し込んでいる。
それでも充分明るいと言えるし、ここは最上階で周りの何処よりも高さがあるから窓際に立たない限り中は見えないので、カーテンを開けたままでも別段気にはならない。
しかし、名前を呼んでも返事すら返って来ないところを見ると、郁斗は詩歌が眠り込んでしまったのだと結論付けて、廊下側に背が向いているソファーを覗き込んでみる。
「…………」
すると思った通り、気持ち良さそうな表情を浮かべ、寒いのか身体を縮こまらせて肩までブランケットを掛けて眠っている詩歌の姿がそこにはあった。
(あーあ、呑気な顔して眠ってるよ……。本当、危機感ねぇなぁ……)
彼女の周辺を見渡すと、自分が出て行く前と別段変わった様子も無い事から、昼間から今まで眠っている事が分かる。
(余程眠かったんだろうな)
詩歌を起こさないよう、少し離れた位置へ静かに座ると、未だ気持ち良さそうに眠る彼女の姿を眺めていた。
(つーか、今思うと俺、かなり面倒な事背負い込んじまったよな……)
詩歌の話を聞いた郁斗は初めこそ彼女を可哀想だと思いはしたが、自分が何とかしてやろうという考えは全く無かった。
異性なんて面倒な生き物だと思っている郁斗にとって、仕事で仕方なくというなら分からなくも無いが、自らの意思で異性を自分の部屋に住まわせるなど、本来なら有り得ない事。
(何でだか、放っておけなかったんだよな、コイツの事……)
そもそもビルの前で助けた事も、普段の郁斗なら有り得ない行動の一つと言える。
堅気の人間に迷惑を掛けないというのは組の方針で決まっているので守りはするも、人助けという項目は存在しない。助けを求められでもすれば助ける事もあるが、わざわざ自分から助けるような事はしないのだ。
けれど、詩歌の時は何故か見て見ぬふりが出来なかった。
今更考えたところでどうにかなる訳でもないと思い直した郁斗は一服しようとポケットから煙草の箱とライターを取り出そうとするも、
(あ、やべぇ……!)
ライターが手から滑り落ちてテーブルの脚に当たってしまうと、
「うーん……」
物音に反応した詩歌がもぞもぞと身体を動かし、目を擦りながらゆっくり瞳を開く。
「……ただいま、詩歌ちゃん」
まだ若干眠そうな詩歌と目が合った郁斗は爽やかな笑みを浮かべて声を掛けると、
「い、郁斗さん!? あれ? 私、少しだけ眠るつもりが、ずっと……?」
出掛けたはずの郁斗が目の前に居る事や辺りが暗い状況から、自分がずっと眠っていた事を知った詩歌は驚愕した。
「ご、ごめんなさい! こんなところで寝てしまって!」
「いや、全然大丈夫だよ? っていうか今はもう詩歌ちゃんの家でもあるんだから、どこで寝ても問題ないよ?」
「そんな……私はあくまでも住まわせてもらう身ですから……」
「だから、そんな事気にしないで良いって。それよりも、ずっと寝てたんでしょ? 流石にお腹空いてるんじゃない?」
「いえ、そんな事――」
『そんな事無いです』と続けようとした刹那、詩歌のお腹は、ぐぅぅーっという盛大な音を立てたせいで、静かな室内に鳴り響く。
「……す、すみません……」
それが恥ずかしかったのか、詩歌は謝りながら顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。
「あはは、お腹は正直だね? 別に謝る事じゃないよ。俺もお腹空いたし、何か頼もっか」
そんな詩歌に郁斗は気にしていない素振りを見せて、自分もお腹が空いているからとメニュー表を見ながら料理を頼もうと提案した。
「……は、はい……」
「何が食べたい?」
「えっと……オススメとか、ありますか?」
「うーん、そうだなぁ、このホテルのお弁当は結構美味しいよ?」
「そうなんですね……」
郁斗に言われて、五つ星ホテルのメニュー表を見ると、結構な値段に思わず二度見する。
「えっと……私は、やっぱりこっちのお弁当にしようかな……」
流石にそんな高級な物を頼めるはずがない詩歌は、チェーン店の良心的な値段のお弁当にしようとするけれど、
「詩歌ちゃん、値段とか気にしなくて良いって言ったでしょ? 俺はこのお弁当頼むから詩歌ちゃんも同じのでいいよね?」
郁斗には詩歌の考えている事が分かってしまい、五つ星ホテルの高級なお弁当を頼む事になった。