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「マメコ、帰らなくていいのか」
八木の声にハッとした真衣香は、顔を上げ時計を見る。
定時の17時をとっくに過ぎて、18時になろうとしていた。
「わ、もう6時! ありがとうございます八木さん、着替えてきます」
立ち上がった真衣香と同時に総務課のドアが開いた。
「八木さん、お疲れ様でーす!」
明るい声と共に顔を出したのは、咲山だった。
それもそうだ。
18時頃に会社を出ようと、夕方、そう約束をしたのだから。
「お、どうした? まだいたのか、なんか忘れもんか?」
もちろん何も知らない八木に聞かれ、咲山は真衣香の方を見て、楽しそうに笑った。
何がそんなに楽しいのだろうと密かに毒づいてしまう。そんな自分が真衣香は恐ろしかった。
「違いますよ。立花さんと約束してて、これから」
咲山の答えに八木は真衣香に視線をやった後、珍しく驚いたような声を出した。
「はぁ? 咲山とマメ子がか? 何の接点で」
そんな八木の声のすぐ後に、咲山の背後から彼女を押しのけるようにして坪井が顔を出す。
「え、マメコって何ですか、立花のこと?」
八木が、咲山と坪井、そして若干俯き気味の真衣香を見て。
何か納得したように「あー、そうゆうな」と、真衣香の頭をポンポンッと撫でたのだった。
「そーそー、こいつのこと。似てんだよな、うちの実家の犬に。マメっつーんだけど。んで、こっちマメコ」
「やっだ、酷い八木さん!犬扱いとか」
「そうか? この二年かなり可愛がってんぞ、俺は」
言いながらも真衣香の頭を撫で続ける八木を見ながら坪井が不機嫌そうな声を出した。
「八木さん、後輩に触りすぎっすよ~。あ、立花もう終われそうなの?」
立ち上がっていた真衣香を見てだろう。
坪井が真衣香にそう話しかけた。
「だ、大丈夫だよ。今着替えに行こうとしてたとこだから!」
しかし真衣香は、咲山と並んでいるであろう坪井の方を見られないまま返事をして。
ドアの方にドアの方に小走りで駆け寄る。
「急がなくていいよ、一階で待ってようか?」
通り過ぎる前に坪井がそう言った。
『一階で待ってようか?』は、恐らく従業員の出入り口のことだろう。
ここで八木と咲山と、そして坪井。 この三人で待たれるよりは幾分マシだろうと思い真衣香は頷いた。
(八木さんと咲山さんだと会話の流れが何となく心配だし……)
と、思ってしまったことは八木にはもちろん秘密だ。
振り返り、八木に「お疲れ様です」と言い残し更衣室へと急ぐ。
けれどその足取りは何となく重い。
無理をしているのかもしれない。
意地になっているだけかもしれない。
行かない方が、いいのかもしれない。
かも、しれないじゃない。
きっとそうなのだろうけど。
『あんた頑固なとこあるからなぁ』
今の真衣香を見たならば、優里は多分、また、そう言うんだろう。
数日前の友人の声が頭の中、何度も繰り返される。
――金曜日。
明日は休みだというのに、とてもじゃないけど喜べていない現状が、やはり真衣香の胸をチクチクと痛めつけてきた。
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