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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
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#サレ妻
都築七美
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はがきは、家計簿の九冊目に挟んで寝た。
土曜の朝、恭平は七時半に出ていった。住宅メーカーの営業は土日が仕事で、休みは火曜と水曜になる。玄関で「夜は遅い」とだけ言って、靴べらも使わずに靴を履いた。
「結衣、今日、図書館に行こうか。西口の」
「行く。恐竜の本、返すの忘れてた」
真尋はランドセルの横に置いてあった図書館の袋を取り、はがきをカーディガンのポケットに入れた。
西口の図書館は、駅を抜けて五分ほどのところにある。結衣は返却の箱に本を落として、児童書の棚に走っていった。
真尋は貸出カードを結衣に渡し、「三十分したら、入口のところね」と言って外へ出た。
西町二丁目は、図書館の裏の通りからだった。古い住宅地の東側と違って、この辺りは三年ほど前に区画が整理されて、同じ形の賃貸マンションが並んでいる。真尋ははがきの住所と、電柱の表示を見比べながら歩いた。
コンフォール西町は、白いタイルの四階建てだった。入口のガラス戸は開いていて、オートロックはない。中に入ると、左の壁に郵便受けが四段、並んでいる。
三段目の、右から二つ。『302』。
その下の名札の枠に、白いラベルが貼られていた。印字された明朝体で、二文字。
『篠原』
真尋は、郵便受けの前で三秒ほど立っていた。
名字が同じだけの、別の篠原という可能性を、頭の中で一度数えた。この市に篠原という家が何軒あるか知らない。ただ、保険会社が恭平の申し出で、恭平の名前の宛先として送り先に選んだ部屋の表札が、篠原だった。偶然の数え方を、真尋は知らない。
スマホを出して、郵便受けの写真を撮った。『302』と『篠原』が一枚に入るように、二度。
階段は、郵便受けの奥にあった。上がれば三階の302の扉の前に立てる。チャイムを押せば、誰かが出てくるかもしれない。
真尋は階段を見て、それから入口のガラス戸を見た。土曜の午前十時。恭平は仕事に出ている。中に誰がいるのかは分からない。チャイムを押して、知らない顔が出てきて、「どなたですか」と聞かれて、自分は何と答えるのか。篠原です、と言うのか。
真尋は階段を上がらなかった。
結衣を三十分、図書館に一人で置いている。それと、今、ここで誰かと顔を合わせてしまったら、恭平に伝わる。真尋が何を知っているか、恭平に知られる。
知られる前に、数えておきたいことがあった。
ガラス戸を出るとき、三階のベランダに、ピンクのバスタオルが一枚、干してあるのが見えた。
図書館から戻ると、結衣は恐竜の本を三冊借りて、ソファで広げた。
真尋は食器棚の下の段から、家計簿を四冊出した。二〇二二年から二〇二五年。緑の表紙の六冊目から九冊目。それと、昨夜撮った通帳の写真を、スマホで三年前の十月から順に開いていく。
電卓を置いた。
恭平からの振込は、二〇二二年の九月までは月三十三万円だった。十月から二十八万円。恭平が課長になった年だった。「下期からボーナスの計算が変わった。残業も減らされた」と、あのとき恭平は言った。真尋は家計簿の余白に『10月〜 振込 28万(ボーナス減、残業減)』と書いて、食費を月一万円削った。
三十三引く二十八は五。五万円が、二〇二二年の十月から今年の十月まで、三十七か月。
『50,000×37=1,850,000』
次に、恭平に渡した現金を拾っていく。家計簿には「立替」という欄がある。「接待の立替。会社から戻ったら返す」と言って、恭平が家計から持っていった分だ。二〇二三年は四回。二〇二四年は十一回。二〇二五年は十月までで十七回。一回二万円から五万円。真尋は三十二回分を一つずつ電卓に足した。戻ってきた回は、一度もない。催促は二度した。二度とも「会社の精算が遅い」で終わった。
『立替 32回 970,000』
最後に、学資保険の百三十万円。
『1,850,000+970,000+1,300,000=4,120,000』
真尋は電卓の表示を、もう一度最初から打ち直して確かめた。同じ数字が出た。
四百十二万円。
三年間、この家の家計に入るはずだった金と、この家の家計から出ていった金。真尋は一万円の端数まで合わせたくて、四冊目の最後のページをもう一度めくった。合っている。むしろ、合いすぎている。恭平が「減った」と言った額と、恭平が「立て替える」と言った額は、どちらも家計簿に残っている。
真尋は余白に『4,120,000』と書き、その下に『130万』と書いて丸で囲んだ。
百三十万円は、四百十二万円の中で、いちばん新しくて、いちばん行き先が分かりやすいはずの金だった。十月に解約されて、十月のうちに、どこかへ動いている。
「お母さん、お昼」
結衣が本から顔を上げた。時計は一時を回っていた。
「ごめん。焼きそばでいい?」
「いい」
真尋は家計簿を閉じて、食器棚の下の段に戻した。
恭平は九時二十分に帰ってきた。
「飯まだ?」
「温めます」
恭平は上着を椅子の背に放った。ネクタイを引き抜いて、その上に重ねる。真尋は味噌汁を火にかけ、焼いておいた鯖を電子レンジに入れた。
結衣はもう寝ている。恭平はテレビをつけて、鯖の骨を皿の端に寄せながら、スマホを見ていた。真尋は向かいに座らず、台所の椀を洗った。
「明日も遅い」
「はい」
それだけだった。恭平が風呂に行き、真尋は椅子の背の上着を取った。
月曜にクリーニングに出す分は、玄関の脇の袋にまとめてある。上着を袋に入れる前に、ポケットを探るのは、九年間、毎週やってきた。ハンカチ、レシート、ガムの包み紙。ポケットの中身を出しておかないと、クリーニングの店の人に申し訳ないからだ。
左の内ポケットに、折った紙が二枚あった。
一枚はコンビニのレシート。缶コーヒーが二本。
もう一枚は、縦長の、少し厚い紙だった。真尋は玄関の灯りの下で開いた。
上に、医院の名前がある。『さくらレディースクリニック』。その下に小さく『産婦人科・婦人科』。日付は『2025/10/28』。火曜日。恭平の休みの日だ。
項目は『初診料』と、聞き慣れない検査の名前が一つ。合計は『¥6,480』。
いちばん上の、宛名の欄。
『高梨 瑠美 様』
真尋は、その三文字と二文字を、一度ずつ読んだ。
高梨。瑠美。
聞いたことのない名前だった。恭平の会社の人の名前は、課長になったときに一度、課の人の名簿を見せられただけで、覚えていない。
真尋はスマホを出して、領収書の写真を撮った。宛名と日付と医院の名前が一枚に入るように、二度。それから紙を元のとおりに折って、左の内ポケットに戻した。コンビニのレシートも、順番を変えずに重ねる。
紙がないと、恭平が探す。クリーニングの袋には入れず、上着は椅子の背に戻した。
風呂の戸が開く音がして、廊下の奥から恭平の声がした。
「おい。湯、ぬるい。足しといて」
真尋は椅子の背の上着を見た。左の内ポケットの、折った紙の厚みが、布の上から分かる。
「はい。今、行きます」
コメント
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読ませていただきました。第2話、じわりと心臓を掴まれました……。 真尋が家計簿を開いて数字をなぞる場面、何よりもその手の動きが静かで、感情が完全に押さえ込まれているのが逆に怖いくらいでした。電卓の数字が積み上がっていくたびに、ああこれはただの家計の確認じゃないんだな、と。特に「合っている。むしろ、合いすぎている」という一文が耳に残っています。正しさがむしろ違和感を強める、その書き方が好きです。 領収書を折り目通りに戻すところも、あまりに自然な動作だからこそ、冴えた冷静さと長年の慣れに切なくなりました。恋愛ものというより、関係性の綻びを描く心理ドラマとして、とても繊細だと思います。 次が待ち遠しいです……!