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午前1時25分。
「ただいまー。」
スーパーに買い物でも行ってきたのだろう。ビニール袋が擦れる音を立てながら、小さな声でそう言って、帰ってきた。できるだけ音を立てないようにしているつもりだろうが、足音だけでも結構うるさい。それでも、声のトーン的に結構疲れてることはわかった。
「おかえり、美月。」
テレビを見ていたソファから立ち上がって、美月を玄関まで迎えに行った。
「え、起こしちゃった?ごめん。」
「いや、元々起きてた。帰るのずっと待ってた。」
美月の帰りはいつも遅い。でも、それはもう別に慣れたことだった。それよりも、いつもは0時前に帰ってくる美月が、なんの連絡もせずに1時間以上帰りが遅いことに少しの苛立ちがあった。
「何で今日は起きてるの?いつもはこの時間寝てるのに。早く寝なくて大丈夫なの?」
それでも、それを言わなかったのは、美月の声が細々としていたから。何かを諦めたような声だった。
「全然大丈夫じゃないけど、まぁ大丈夫でしょ。」
「私とベッドでイチャイチャしたくて待ってたわけじゃなくて?」
その無理やりすぎる冗談に笑ってしまいそうになった。明るく声をつくっているけど、その声の中に、諦めとか疲れとか、全てはわからないけれど、色んなものが含まれていることはなんとなくわかった。
「別にそんなんじゃないし。」
少しの沈黙があった。いつもと違う沈黙だったけど、沈黙は別に珍しくない。寝ようと思ってテレビを消そうとする。
「あのさ、」
「うん。」
「私がデリヘルでお金稼いでること、何か思ったりしない?」
「え?」
「ホントに何も思わない?」
美月とは、高校時代に出会った。高校時代、唯一できた僕の彼女の友達が、美月だった。彼女のこと、よく相談にのってもらっていくうちに、自然と仲良くなった。彼女と別れてからも、関係は続いた。美月は、僕のことを親友の一人だと言ってくれた。
大学生になってしばらくしてから、美月からの連絡があった。借金の話を打ち明けて、時価の高い都会で働きたいけれど、住む場所がないから、同棲させてほしいとのことだった。代わりに彼女でもセフレでも何でもなると言った。
借金をした美月の父が亡くなった後、母がその返済を受け持つことになった。しかし、母は、その返済に追われ、過労死した。そして、残りは美月が受け持つことになった。その額は、約600万円。母が頑張ってくれたおかげで、なんとか、少しずつ返せば、いつかは完済できる額だ。
美月が僕のアパートに来て、セックスだってした。僕は、美月のことがずっと好きだった。美月も行為中は、好きだと言ってくれた。けれど、その「好き」を当てにして、付き合おうなんて言えなかった。
美月はしばらく真面目に働いていたけれど、なかなか思うようにお金が貯まらず、デリヘル嬢になることを僕に相談してきた。いいんじゃない、と答えた。少しでも早く、借金から解放されて幸せになる美月の姿が見たかった。
「ホントに何も思わないの?」
「どうしたの?急に。何かあったの?」
「私がデリヘルをしていること、嫌じゃないの?」
美月はため息をついて、声を変えてそう言った。
「・・・嫌じゃない」
勇気が必要だったけれど、正直に言う自分の素直さなのか、自分のひねくれ具合なのか、そういうものの方が勝った。
「そっか。あんたは私のこと好きなんだってずっと思ってた。」
美月はため息をついて、声を変えてそう言った。
「好きだよ、ちゃんと。」
「じゃあ、何で嫌じゃないの?何で私がデリヘルやること、止めないの?」
美月はため息はつかなかった。でも、声は変わった。
「美月が選んだんだろ。それを僕に止める権利はないよ。」
美月はため息はつかなかった。声も出さなかった。ただ、泣きそうな顔をしていた。美月が僕に何を望んだのか、わかっていたけど、僕は美月を信じきれなかった。デリヘルじゃない美月の人生を背負う覚悟が僕にはなかった。