皇后崎の家族は、彼を含めて4人。
強くカッコいい父、明るく穏やかな母、そして…
いつでも自分を優しい嘘で守り、手を引いてくれた大好きな姉。
桃太郎である父は忙しく、なかなか家に帰って来ない。
だから母と姉を守るのは自分の役目だと、幼いながらに皇后崎は心に決めていた。
ある日学校帰りに姉から買い物を頼まれた皇后崎は、事を済ますと急いで家へと向かった。
何故ならその日は、憧れの対象である父の誕生日だったから。
だがキッチンへ続くドアを開けた皇后崎の目に飛び込んできたのは、荒れた室内に横たわる血だらけの母と姉だった。
むせかえるような血の匂いの中に、2人を殺した人物…父である桃井戸颯が立っていた。
“母さんと葉月は鬼だった。お前はどっちだ?”
父は落ち着いた声でそう問いかけると、息子へ冷たく光る目を向けた。
状況が理解できず、混乱した頭の中には、大好きな2人が殺されたという悲しみと怒りが渦巻く。
そして彼もまた、父にとっては敵である鬼へと変わった。
2人と同様、何の躊躇いもなく息子を斬り捨てた父。
彼から逃げるようにボロボロの体を引きずって歩く皇后崎は、大好きな母と姉を守れなかったと涙を流す。
だがその涙はすぐに止まった。
代わりに生まれたのは、かつては憧れの対象であった父への深く暗い感情。
父親を地獄の底へ叩き堕とし、今度こそ2人を守る。
この日を境に、皇后崎は怨みの鬼として生きることを胸に誓ったのだ。
前を向いたまま、淡々と話を続ける皇后崎。
彼の話が終わると、辺りはさっきまでとは種類の違う静寂に包まれた。
その静けさを破ったのは、終始つまらなそうに話を聞いていた一ノ瀬だった。
「ふーん、なるほどね。あーあ、辛気くせぇ話のせいで膀胱パンパン。小便してくらぁ。」
そう言って公衆トイレへと向かった一ノ瀬を見送ると、場には鳴海と皇后崎だけが残った。
しばらくお互い黙ったままだったが、先に口を開いたのは鳴海の方だった。
「話してありがと…あとごめんね」
「?」
「呼び方のこと。そういう過去があったって知らなくて、気安く呼び捨てにしちゃった。」
「…それの何がダメなのか分かんねぇんだけど。」
「…最初から一匹狼っぽかったし、家族以外に名前で呼ばれたことないかな~と思ってさ。呼ばれる度に、いろいろ思い出させてたんじゃないかと…」
「なるほどな。…まぁ確かに家族以外に俺を名前で呼ぶ奴はいなかった。家族がチラつかないって言ったら嘘になる。」
「…」
「でもさっきお前に名前で呼ばれた時、マイナスな感情は一つも出てこなかった。」
「……本当?」
「この状況で嘘ついてどうすんだよ。…だから、呼び方はそのまんまでいい。」
「あとから怒ったりしない?」
「しねーよ。……し…った。」
「ん?」
「…久しぶりに名前で呼ばれて……嬉しかった。」
「!」
「あー…やっぱ今のなし!忘れろ!」
「忘れるわけないじゃーん!」
「ニヤニヤすんな!」
「ふふっ。これからもよろしくね、迅ちゃん!」
「…おぅ。」
照れ臭そうに顔を伏せる皇后崎を、鳴海は笑顔で見守るのだった。
どこか彼の姉を思わせるような、温かく優しい笑顔で。
数分後、一ノ瀬がトイレから戻ってくる。
パンパンに目が腫れた彼の顔を見るなり、皇后崎は分かりやすくドン引きした。
一方でクスッと笑みを漏らした鳴海は、言い争う2人を置いて水道場へと向かう。
「顔見て引いてんじゃねーよ。いつもと変わらねぇだろ。」
「まぁそうだな。」
「そうだなじゃねーよ!見ろ!目パンパンじゃねーか!」
「お前いつもそんな顔だぞ。」
「よし殺す!前歯全部抜いて殺す!」
「テメェ可哀想とか思ったら殺すぞ。」
「馬鹿か?可哀想とか思わねーよ。ただまぁ…心が折れねぇのはすげぇと思ったよ。」
「うん、そうだね。」
言いながら一ノ瀬の隣へ座った鳴海は、濡らしてきたハンカチをそっと彼の目元へ持っていった。
急な冷たさと鳴海の接近に、一ノ瀬は少しバタつく。
だがすぐに落ち着きを取り戻すと、鳴海にお礼を言いながら顔を上に向けてハンカチの冷たさを味わった。
一ノ瀬越しに皇后崎の方へ視線を向ければ、気恥ずかしそうな表情をした彼が見える。
何だかんだ言いながら、出会った頃よりも確実に絆が出来ている2人の姿に、喜びの表情を見せる鳴海なのだった。
そんな折、不意に一ノ瀬のスマホが鳴り響いた。
このタイミングでかけてくるのは間違いなく神門。
内容はもちろん、お願いしていた妹の居場所についてだ。
そう遠くない場所だからと急いで駆けつけた先で、3人はまたも火事を目撃することになる。
「そんな…また燃えてる…」
「なんで…なんで行くとこ行くとこ火事なんだよ?おかしいだろ!」
「うるせぇ…!俺にわかるわけねーだろ。」
呆然と立ち尽くす鳴海達の横を、救急隊が慌ただしく動き回る。
ストレッチャーの上には、呼吸器をつけてはいるが穏やかな表情の妹が寝せられていた。
「なぁ鳴海、皇后崎…俺たちは…何に振り回されてんだ…?」
「100%良くない方に動いてる…現状を皆に報告しないと。うちの隊にも確認しないと…」
「そうだよな。とりあえず先生たちの所戻ろうぜ。俺らで考えても仕方ねぇ。」
練馬のアジトへと戻って来ると、皇后崎は約束通り事の次第を話し始めた。
行く先々で先手を打たれている現状を見るに、淀川は何らかの能力で盗撮または盗聴されていると予測を立てる。
一番可能性が高いのは桃と接触した皇后崎だが、身体検査の結果特に気になるところは見つからなかった。
相手側の情報が何もないという圧倒的不利な状況故に、大人組は唯一の手がかりとして半グレ集団を挙げた。
早くしないと、自分達に繋がる彼らを桃側が処分してしまう。
その前に何としても見つける必要があるのだと、淀川は生徒たちに言い聞かせた。
未知の能力、相手の残虐性、盗撮・盗聴…
それらの不安材料に、生徒たちはいつになく大人しい。
「打つ手なしですか…」
「ばーか。どんな能力にも必ず穴がある。大事なのは諦めず、その穴を見つけることだ。なんだ?お前ら追い込まれた途端、弱気になりやがって。ピンチの時こそ冷静に脳みそフル回転で突破方法考えろ。そんなんじゃ偵察も医療も戦闘部隊も勤まらねぇぞ。心だけは折るな。心が折れなきゃ、チャンスは0にはならねぇ。」
「押忍!」
淀川の言葉に、場は少しずつポジティブな空気へと変わっていく。
一ノ瀬の元気な表情と声に淀川はもちろん、場の後方で話を聞いていた鳴海も安堵の表情を見せる。
しかしその顔をパっと引き締めると、鳴海は大人組を集めて作戦会議を始めようとする隊長殿の元へ走った。
「無陀野、馨。作戦会議だ。」
「あ、真澄くん!」
「! …馨、そこの会議室だ。無陀野と先行ってろ。」
「はい。…デレデレして遅くならないでくださいよ。」
「どっかとばすぞ。早く行け。」
ニヤニヤする並木度と呆れたような表情を見せる無陀野を送り出すと、淀川は鳴海と向かい合う。
この状況で呼び止めるということは、少しでも早く自分に伝えたいことがあるのだろう。
だがそれを聞くよりも先に、淀川は自分の中から出てこようとする言葉を抑えられなかった。
「おかえり、鳴海。ちゃんと戻って来たな。」
「真澄くんとの約束破るわけにはいかないもんね!俺いい子だから!」
「(! …いちいち心が乱れる)たまには言うこと聞くんだな。」
「い、いつも聞いてるもん!」
「そうだったか?…それよりどうした。何か話があったんじゃねぇのか?」
「そうだった…!迅ちゃんなんだけど、治療の一環で輸血をしていた時に、少し変な感じがして…」
「変な感じって?」
「違う人が入ってる…?なんていうか…うん。そんな感じ」
「体内からってことか?」
「うん。潜入捜査してた時に似た能力持ってる人いたから多分その人…」
「お前が言うならほぼ確定だろ。分かった。念のため目隠しとヘッドホンもつけるよう伝えとく。ありがとな。」
「どーいたしまして」
手を振って生徒の元へ戻る鳴海を見送ると、皇后崎を隔離している部屋へ連絡し、今の話を伝える淀川。
それからもう一度鳴海の方へ視線を向け、彼は会議室へと足を速めるのだった。
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