第七章 道化のサギ
夜の闇は、まるで濃い墨を流し込んだように川辺を覆っていた。
竹爺は川の周辺を歩きながら深く息をついた。
「……朗あいつは一体何なんだ」
その問いに答える者など、本来この場にはいないはずだった。
――だが、闇は突然“笑った”。
「ひっ、ひひ……最高だねぇ。こりゃあ実に愉快だ」
竹爺の背筋がぞくりと粟立つ。
木々の影がざわめき、黒い夜気がゆらゆらと揺れ、ゆがみ、…そこから“それ”が踊り出た。
月明かりの欠片すら弾き返すような、異質な存在。
ピエロの仮面。
色の抜けたサーカス服。
無邪気さと狂気を同時に宿す笑い声。
道化のサギ。
「やぁやぁ竹爺さん。さっきの戦い、ボクちゃんずっと見てたよ〜?いやあ、刺激的だった。実に面白かった」
竹爺は眉を寄せ、すぐに戦闘出来るよう肩に力を込める。
「貴様……どこから湧いた」
「ん〜どこでもよくない?ボクはね、いつだって“見たいところにいる”だけさ」
サギはひょい、と首をかしげ、仮面の向こうで目を細めたように見えた。
「いやあしかし……君、ほんと強いねぇ。朗くんの“殻”を割っちゃうなんてさ」
竹爺の喉がわずかに鳴る。
この道化は、何かを知っている。いや――知りすぎている。
サギは軽やかに足を揺らし、一歩、二歩、川の方へと歩いていく。
まるで水面の上に見えない“舞台”があるかのような、ふざけた足取りで。
「さてさて……ボクが来た目的はね、そ・れ・だ・けじゃないんだよ」
指先が川底を指し示す。
ずるり、と闇が伸び、川の水が逆らうように持ち上がった。
まるで意志を持つ布のように、黒くうねる。
“闇の手”が川底に沈んだ朗の刀をつまみ上げ、水滴を散らしながらサギの足元へ置く。
「ほら、彼の刀。これ、とっても気に入っちゃってね」
竹爺が反射的に身構える。
「おい、それを離せ!」
「やだよぉ。これはボクの“おもちゃ”にするんだもん」
サギは踊るように刀を拾い上げ、その冷たい刃を月にかざす。
「それにさ……朗くん、今はただの子供でしょ?
記憶の破片を全部落として、心まで柔らかくなってる。
――あれは“これから”がとても楽しみな素材だ」
「何を企んでいる……!」
道化はぴたりと動きを止めた。
仮面の下――笑っている。
それだけは竹爺にもはっきり分かった。
「企む?やだなぁ。ボクはただ、面白い物語が好きなだけ。
この刀も、朗くんの“運命”も……ちゃんと最後まで見てあげたくなるじゃん?」
刀を抱えるように胸に寄せ、サギはひらひらと手を振った。
「それじゃ、続きはまた今度。
次に会うとき、朗くんは“もっと面白く”なってるといいなぁ」
不気味で穏やかな風が吹く。
闇が吸い込まれるように閉じ、サギの姿も、刀の光も、すべて消え去った。
「……ちっ。厄介なのが動き出しやがった」
竹爺は小さく呟き、夜空を見つめていた
そして、闇の奥で道化が落としたふざけた笑い声だけが、遅れて耳に残っていた。
・つづく
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