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第八章 夢の残響
――暗い。
しかし、その暗さは何かに包まれているような、温かい闇だった。
朗は、夢の中で“誰かの腕”に抱かれていた。
その腕は震え、微かに血の匂いがした。
だが、抱える力は優しい。必死で、守ろうとしている。
(……だれ?)
輪郭がぼやけて見えない。
顔も、声も、霞んでいる。
聞こえるのは荒い息、そして足音。
複数の影が追ってくる足音。
「……っ、朗……すまない……!」
声が震えていた。
それは悲しみではなく、焦りと恐怖に満ちた声。
朗の視界が揺れ、抱えている人物の肩越しに黒い影が見えた。
追ってくる者たち。
その先頭に――“奇妙な仮面”が一瞬見えた気がした。
(あ……れは……)
だがその瞬間、夢の響きが別の場面へと切り替わる。
***
炎の中。
焦げた木材の匂い、はぜる音。
泣き叫ぶ声と、剣戟の響きが重なっている。
朗は幼い身体で立ち尽くしていた。
周囲は赤く染まり、叫びが飛び交う。
誰かが倒れる音。
誰かが名を呼ぶ声。
そして耳を裂くような叫びがひとつ――
「逃げろ!!」
朗の小さな手が誰かに強く引かれた。
だが、振り返ろうとすると世界がまた揺らぎ、炎の景色は霧のように薄れていく。
***
(まって……まって……!)
朗は夢の中で手を伸ばす。
誰かを呼ぼうと口を開く――だが、声にならない。
霧の向こうで、ふたりの影が見えた。
ひとりは自分を抱えていた人物。
もうひとりは――長い髪、冷たい眼光、手に刀。
刀を持つ人物の顔は、闇に隠れて見えない。
ただ、その瞳だけが、まるで“別れ”を告げるように揺れていた。
「……朗。
次こそ……必ず……」
言葉は途切れ、夢が白く弾ける。
***
朗はびくりと身体を跳ねさせて目を覚ました。
「っ……!」
目の前には見知らぬ天井。
竹爺の家の天井だ。
額には汗。
胸が痛いほどに脈打っている。
何も思い出せないはずの心が、夢の断片だけで苦しそうに震えていた。
「……いた……い……」
小さく呟いた朗の瞳には、夢の残響がまだ揺らめいていた。
誰かの叫び。
誰かの腕。
そして、仮面の影。
竹爺が隣でうたた寝をしていたが、朗の気配に気づき、目を開ける。
「お、起きたか。……夢でも見てたのか?」
朗は竹爺の方を向き、小さく首を振った。
だがその表情は怯えていた。
竹爺は静かに息を吐き、朗の頭に手を置く。
「大丈夫だ。ここにゃ、何も来ねぇよ」
朗はその温もりに安心し、竹爺の袖をぎゅっと掴んだ。
外では風が鳴る。
その音の奥に、先ほど見た仮面の笑い声が微かに重なった気がして、朗は小さく身を震わせた。
――夢は過去。
過去は封じられた真実。
そしてその真実を知る者は、既に闇へ消えている。
物語は、静かに、確実に動き始めていた。
・つづく