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麗太
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「ふぅ……やっと終わった」
私は焦げた髪を手で払いながら、グラ男の灰を見下ろした。
「さてと。ユズリハがまた汚れたから洗うよ、辰夫」
「はい!」
辰夫が、すかさず金木犀の香りの洗剤を差し出す。
『え』
ゴシゴシ……バキッ!
『いやあああああ!? また部品が! 返して!』
「んー……戻し方わからん! ポイッ!」(※川にポチャン)
『あああああ!』
*
「さて、じゃ、出口探そう」
金木犀の香りを残して、私たちは奈落の出口を目指す足を再び踏み出した。
*
「……ねぇ、辰夫」
私たちは祭壇を離れ、暗い通路を歩いていた。
金木犀の香りが薄れていく。
代わりに、何か嫌な予感が胸を撫でる。
「なんです?」
「さっきグラ男が言ってたこと、気になるんだけど」
「……封印が脆い、と?」
「千年も経ってるなら、そりゃヒビくらい入るんじゃない?」
『サクちゃん怖いこと言わないで!?』
「だって千年だよ? 私だったら三日で限界だよ」
「封印の耐久をサクラ殿の基準で語らないでください」
「この前もとんでもない気配を感じて辰夫と二人でビビったとこ──」
──その時。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
足元が揺れた。
「……え?」
いや、洞窟全体が揺れた。
「これは……!」
祭壇の奥が、脈打った。
石壁のひび割れが、血管みたいに光り始める。
瘴気が流れ出すというより──息をしている。
魔神王の気配だ。
グラ男とは格が違う。
空気が生き物の体液みたいに重く、湿って、動いていた。
呼吸をすると、肺の奥まで黒い何かが流れ込む。
「……ねぇ辰夫、これ、地面が呼吸してない?」
「してますな……嫌な予感しかしません……」
ズズズ……ッ。
低音が鼓膜の外じゃなく、内側から鳴った。
世界そのものが心臓みたいに脈打っている。
『これ……奈落全体が生きてる……?』
「やめてそういう正解言うの! 怖くなるじゃん!」
その瞬間、何かが“立ち上がった”。
音はしなかった。
空気が押し潰され、重力の方向がわからなくなる。
奈落が、ひとつの生き物として形を変えた。
「……やべ」
地が鳴っていた。鼓動みたいに。だが規則性がなかった。
辰夫の翼が音もなくたわんだ。ユズリハの籠手が微かに震える。
「サクラ殿……動くな……」
辰夫の声が掠れている。竜の喉ですら震えていた。
私は唇を噛んだ。
呼吸が浅い。心臓が早い。
……これは、純粋な恐怖だ。
辰夫が膝をつく。ユズリハの籠手が地に触れ、光を失った。
「なに、これ……」
そして──世界が、言葉を発した。
いや、声ではない“何か”が、意味だけを脳に直接押し込んでくる。
『──我は魔神王テラ=ワロス』
その名が落ちた瞬間、
奈落の鼓動が一瞬、止まった。
──そして、倍の速度で脈打ち始める。
沈黙が走る。
私たちはお互いの顔を見合わせる。
「……魔神王の名前、”テラワロス”?」
「はい、そう聞こえましたな……」
『急に親しみわいたよね』
『……』
『千年。声は絶え、祈りは石と化した。ならば、もはや”生”は要らぬ』
魔神王が続ける。
「ちょっと待って!
ラスボスっぽい口上が入ってこない!!」
私は声に出して反芻する。
「っぷ……ぐっ……ふふ……ダメッ!!
親から貰った……名前を笑うとか……最低だ、私……」
私は震え、太ももをつねる。
「テラ……ワロス……ワロス殿……」
辰夫がゆっくり噛み締めるように呟いた。
「ぷ……た、辰夫、今、じわじわ……きてる?」
「……くッ……は、はい、じわじわきて……ふはッ……ますな」
『やめて! ワロス様が……んふッ……困ってるよ!?』
「ワロス様って言うな余計おかしくなるだろ!!」
『──……』
魔神王が沈黙した。
痛いほどの静寂が洞窟を包み込む。
『……』
気まずい間が流れる。
「これ……傷ついてる?」
「千年の封印より名前の方がダメージでかそうですな……」
『……』
瘴気が息を潜め──次の瞬間、倍の密度で押し寄せた。
『……冗談は終わりか』
──その時、壁に亀裂が走った。
中から”目”が覗いた。
人でも、獣でもない。形が決まらない。見るたびに違う姿になる。
辰夫には、竜の屍の山が見えた。
ユズリハには、千年前の戦友たちの顔が見えた。
そして、私には──。
「……電子レンジの中で冷凍唐揚げが爆発した時の私……?」
『それ程の絶望!?』
さらに映像は続く。
「……あ……あぁ……コンビニチキンを地面に落として絶望した時の私まで……?」
『トラウマが食べ物系ばかりだな!?』
「お腹空いてます?」
空洞の”面”がこちらを見ていた。
何千という声が同時に囁く。
『──人のかたちとは、かくも脆い。ひと息で砕けるものを、なぜ生きると言う?』
私の足が勝手に後ろへ下がった。
辰夫の爪が岩を抉る音だけが現実だ。
「……魔神王、か」
声が出た瞬間、自分の鼓膜が破れるような痛みがした。
『──汝ら、まだ”生”を望むか』
瘴気が波のように押し寄せた。
体が動かない。目が焼ける。肺が潰れる。
私は歯を食いしばった。
「……望むよ。当たり前でしょ……まだ美味しいご飯食べたいし。温泉入りたいし。みんなに会いたい。ただいまって言う」
声が出た。
誰の助けもなく。ただ、自分の中の”生きたい”という執念が声になった。
『サクちゃん……』
「サクラ殿……!」
奈落が震えた。
魔神王の”顔”がこちらを見下ろす。
『──ほう……まだ、望むか。ならば──』
黒い霧が広がる。
天井が砂のように崩れていく。
……あぁ、これ、死ぬやつだ。
でも、笑ってやる。
「……なぁ辰夫?」
「なんです?」
「今こそスライディング土下座じゃない?」
「前も却下しましたぞ」
「だよねぇ……」
私は周囲を見回す。
「じゃ逃げる」
私は振り返らずに言った。
「それしかありませんな」
辰夫は当然のようについてきた。
「……ムダ様も言ってたんだ。
負け犬って言葉、聞こえねぇくらい遠くまで走れ──
どんな罵声も聞こえなければ気にならない。
気にならなければ負けていない。つまり勝ってる!!」
私はクルリと踵を返し、全力で駆け出しながら叫んだ。
「染みる……ムダ様の言葉、やっぱ好きだな……」
私は、怖さを誤魔化すみたいに笑っていた。
「久しぶりに聞きましたな……狂気の語録」
辰夫は、半ば呆れながらも足は止めない。
『謎の説得力!?』
ユズリハは、一拍遅れて慌てて追いかけた。
──逃走開始。
(つづく)
◇◇◇
──【グレート・ムダ様語録:距離の悟り】──
『負け犬って言葉、聞こえねぇくらい遠くまで走れ。どんな罵声も聞こえなければ気にならない。気にならなければ負けていない。つまり勝ってる』
解説:
罵声は音だ。音は空気を震わせて届く。
ならば、その空気ごと置き去りにしろ。
距離がすべてを癒やす。
遠くなればなるほど、意味は薄れ、声は消える。
その静寂の中で息してる奴こそ、本物の勝者だ。
勝ち負けなんて、声が届く範囲の遊びだ。
逃げ切った瞬間、それは全部、過去形になる。