テラーノベル
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視界の端々が、疲労でかすかに明滅していた。
二日連続の徹夜明け。
日付はとっくに跨ぎ、時計の針は午前三時を指している。
日比谷線の終電に滑り込んだはずだったが、意識を失うように寝落ちし、行き着いたのは終点の中目黒駅。
タクシーを拾う気力も金もなく、西麻布の自宅方向へ向かってただぼんやりと湿った大通りを歩いていた。
そこに追い打ちをかけるように容赦なく土砂降りの雨が降り出した。
傘なんて持っているはずもない。
仁人は逃げ込むように路地裏へ入り込み、古びた飲食店の軒先——穴の空いた緑色の布屋根の下に腰を下ろした。
雨粒が穴からポタポタと頭に落ちてくるのを避ける気力すら湧かず、ただ、濡れて光るアスファルトを眺めた。
自分の置かれた状況の虚しさに、胸の奥が冷たく冷え切っていく。
仕事に追われ、身も心も擦り切れるような毎日。
高校の頃に思い描いていた二十六歳は、こんなに惨めなものじゃなかったはずだ。
ボタボタと落ちる雨音に混じって、水たまりを蹴る静かな足音が近づいてきた。
ふと、頭上を叩いていた冷たい雨が止んだ。
見上げると、視界を覆っていた暗闇の代わりに、大きな黒い傘の影が自分を包み込んでいた。
雨の冷気とは真逆の、じんわりとした体温の気配。
「大丈夫ですか?」
少し低く、落ち着いた声が降ってくる。
同時に鼻腔をくすぐったのは、重くて甘い香水の香りと、かすかな煙草の匂いだった。
「すみません……」
仁人は重い頭を持ち上げ、傘の持ち主を見上げた。
そして、言葉を失った。
街灯のぼんやりとした光の下で、その男とバチリと目が合う。
男の綺麗な二重の目が、一瞬だけ驚きで大きく見開かれた。
「……え、あ、仁人……?」
喉の奥がヒュッと鳴った。
二十六歳の今、自分をそんな声で呼ぶ人間は一人しかいない。
「……え、あ……は、やと……?」
かすれた声で名前を呼んだ瞬間、仁人の脳裏に、高校時代の彼の姿が鮮烈に蘇った。
汗を輝かせてグラウンドを走り回っていたサッカー部のエース。太陽みたいに眩しい笑顔で、いつも自分の隣で無邪気に笑っていた最高の親友。
けれど、目の前に立つ男は——あまりにも、違っていた。
夜の闇に溶け込むような、黒の細身の高級スーツ。
第二ボタンまで開けられたシャツの隙間からは、街灯の光を弾く白く綺麗な鎖骨が覗いている。
傘を握る手首には、街の明かりを受けて冷たく光る、見るからに高価な銀の腕時計。
大人になった、なんて言葉じゃ片付けられない。
そこには、怪しい色気と、どこか冷めたミステリアスな影を纏った夜の世界の男が立っていた。
「マジかよ……こんなとこで何してんの、仁ちゃん」
勇斗は驚きを隠せないように目を見開いたあと、ふっと目元を緩めた。
その笑顔は一瞬だけ昔の彼に戻ったようにも見えたけれど、纏っている空気は、仁人の知らない大人の男そのものだった。
勇斗は傘を仁人の頭上へと傾け、自分は半分雨に濡れながら、そっと手を差し伸べてくる。
「風邪引くぞ。立ち上がれる?」
刺すように冷たい雨の中で、差し出された勇斗の手と、そこから漂う甘い匂いだけが、恐ろしいほど熱く感じられた。
仁人はその手を握り返すこともできず、ただ息を呑んで勇斗を見つめ返すことしか出来なかった。
コメント
1件
あーこれ、めっちゃ刺さるやつだわ…! 雨の夜、疲れ果ててたどり着いた軒先でまさかの再会って胸熱すぎる。昔の眩しい勇斗と、今のミステリアスなスーツ姿のギャップがエグくて、次の展開が気になりすぎる。傘差し出して自分が濡れるとこも優しくて泣ける。続き待ってる🔥
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