まだ月曜か、と珍しく挙動不審な気がする指月の前で仕事をしながら、夏菜は溜息をついた。
……別に週末を楽しみになんてしていませんよ。
いや、楽しみかもしれないですが。
それは、残りの100均グッズをどう使おうかなーと思っているからでですね。
そうそう。
銀次さんのおねえさんにもらったあのアイビーを何処に飾ろうかなと思っているだけで。
などと誰にも訊かれていないのに、自分で自分に週末が待ち遠しい言い訳をしていると、
「藤原っ、なにをニマニマしているっ」
といきなり、指月の叱責が飛んできた。
「あっ、すっ、すみませんっ」
と謝りながら、キーを叩く手を早くする。
だが、そんな夏菜の頭の上をまだ指月からのお叱りの言葉が飛んでいく。
「それでなくとも、お前の顔はしまりなく、ヘラヘラしているからなっ」
「は、はいっ」
「秘書というには緊張感がないしっ」
「はいっ」
「お前のその、なんかこうっ、見てたら気が抜ける小動物のようなところをなんとかしろっ」
「はいっ」
と反射で言ったが。
それ、何処をどうしたらいいんだと思って顔を上げる。
「小動物というにはデカイ気がしますが」
と珈琲を飲みに上がってきていた黒木が長身の夏菜を見ながら、淡々と呟き、上林が、
「そこは生まれつきなんでどうしょうもないでしょうね」
と言う。
上林は、何故か、はは、と笑って、指月の方を見ていた。
「さっき指月さんに、その緊張感のない顔をどうにかしろと言われましたよ」
と夏菜は屋上で有生に言う。
今日は突風なので、此処まで上がってくる人は誰も居ない。
有生にあとで珈琲を持って行ったら、ちょっと上に上がるかと誘われたのだ。
「それは俺も同感だが」
と言って、珈琲を一口飲んだあとで、有生は、いきなり夏菜の頭に手刀を食らわそうとする。
夏菜はたいして動かずに、右腕だけで、ぱし、とそれを受け止めた。
「……緊張感のないのは顔だけだな」
と手を下ろして有生は言う。
「もうちょっと隙があってもいいんだぞ」
珈琲を飲む有生を見ながら、夏菜はふと思った。
隙といえば、今、こんなところでぼんやりしているのは、隙ではないのだろうかと。
私がではなく、社長が。
四方八方から狙い放題なんだがこの場所。
「しゃ、社長っ。
やっぱり中に入りましょうっ」
と夏菜は訴える。
「何故だ」
「狙撃されるかもしれないじゃないですかっ」
だが、有生は、ぷっと笑って、
「そういうのには狙われてない」
と言う。
「上林や雪丸やお前みたいに、俺を軽く一刺ししたら、スッキリするくらいの連中しかいない」
「わ、わからないじゃないですかっ。
そういうショボい感じの暗殺者の方々も、何処かで、すごい武器を手に入れてくるかもしれないし」
「……お前、今、上林と雪丸もいっしょくたにショボいと切ったな」
早く早く、と衛星からも狙われているのではっ、という勢いで、夏菜は有生の背を押し、屋上から撤退させようとしたが、有生は笑って動かない。
「……ありがとう、夏菜。
だが、俺は大丈夫だ」
「そんなこと言う人は、翌週には必ず殺られてますよっ」
うーん、と微動だにしない有生の背を押しながら夏菜はそう主張する。
「ドラマか」
と言ったあとで、有生は振り返り、ポンポンと夏菜の頭を叩いた。
「お前が心配してくれるだけで嬉しいよ。
だが、部屋で二人きりもいいんだが。
こういうところで、密会するのも悪くないなと今、思ってるところなのに」
もうちょっと楽しませてくれ、と言ってくるので、夏菜は赤くなり、手を離した。
「みっ、密会とかではありませんよっ。
どっ、何処からいつ、誰が社長を狙ってくるかわからないから、側にいるだけなんですからねっ」
と夏菜は早口に言った。
ははは、と笑った有生だったが、視線を動かし、ぎくりとする。
入り口のドアが少し開き、そこから指月が覗いていたからだ。
「……お前、なにしてんだ。
そんなところで」
ドアを開けた指月は、今の夏菜のセリフをそのままパクリ、
「いえ、何処からいつ、誰が社長を狙ってくるかわからないので」
と言ってくる。
「そ、そうか。
ありがとう……」
と言う有生とともに、なんとなくそのまま屋内に戻った。
「変わった人ですね」
その夜、大広間の夕食の席で、有生は銀次に言われた。
「せっかく平日もお嬢と二人で暮らしていいって言われたのに、何故、此処にいるんですか。
素直にマンションに戻ればよかったじゃないですか」
今日の食事の当番なので、銀次がよそったご飯を持ってきてくれた。
「お前はそれでいいのか?」
と問うと、
「よくはないですけどね。
せっかく二人でラブラブでいられるときに、妙な人だなと思いましてね」
と言ってくる。
「いや、離れている時間が愛を育てるかなと思って」
と有生は言いながら、お膳の向こうを間が抜けている感じに歩いている夏菜を見る。
歩いているだけで間が抜けてるとか凄すぎるな、と改めて思いながら見つめていると、夏菜がこちらに気づいて、殺気っ? とばかりに振り向いた。
が、目が合った瞬間、へらりと笑う。
「……何処も離れてないですよね」
と銀次はすぐそこにいる夏菜を振り返りながら呟いていた。
ちょっと長くお風呂に入りすぎてしまいました、と思いながら、夏菜は縁側にしゃがみ、涼んでいた。
風が頬にひんやりと気持ちいい。
罠のたくさんある山の上の月をぼんやり見ていると、傍らに置いてあるスマホが鳴った。
『今、何処にいる?』
と有生からLINEが入っていた。
広い屋敷なので、時折、こうしてお互いを見失う。
『縁側の真ん中辺りです』
と返したあとで、スタンプを入れようとして迷う。
機嫌良さげなスタンプを送りたいのだが。
今、送りたい感じのスタンプには、どれもハートマークがついている。
いや、女同士で送り合うときには、特に気にならないんですけど。
……これを男の方に送るのは抵抗がありますね。
ラブラブみたいではないですか。
ちょうどいいスタンプがないので、ラブラブになってしまうとかおかしいですよ、と思いながら、夏菜はスマホを手に迷っていた。
ああでも、早く送らねばですよっ、と夏菜は焦る。
文字だけで、しかも敬語で送っているので、ちょっと無愛想な感じになってしまっている気がしたからだ。
慌てて夏菜はスタンプを探すが、そんなときに限って、ラブラブな感じのスタンプしか出てこない。
そのとき、
「夏菜」
と有生の声がして、ポン、と肩を叩かれた。
「ああーっ!」
と夏菜が叫び、なんだっ? と有生が怯える。
「ラ、ラブラブになっちゃったじゃないですかっ!」
「……誰と誰がだ」
私と社長がですかね……?
と思いながら、有生がスマホを見てしまう前にと、夏菜は急いで言った。
「びっくりして、ラブラブスタンプ送っちゃったんですよっ。
社長がいきなり、ぽんって触るからっ」
「じゃあ、今度から予告して触ろうか」
「は?」
側に腰掛けた有生は、真剣な顔でこちらを見、
「触るぞ」
と言ってきた。
いえ、結構です……。
次の日の昼、まだ火曜か、と思いながら、夏菜は、利南子たちとカフェにいた。
食後にスマホを取り出し、一生懸命なにかしている彩美という後輩女子社員に利南子が、
「なにしてんのよ」
と訊いている。
「え?
ああ、スマホの恋愛ゲームです。
今朝忙しくてできなかったので」
「ふーん。
そんなのあるんだ?」
と言う利南子に運転手として連れてこられていた営業の柴田が、
「うちの姉貴もなにか夢中でやってますよ」
と笑っていた。
「それ、面白いの?」
と覗き込む利南子に彩美が熱く語り出す。
「面白いですよ~っ。
でも、今、迷ってるところなんですよっ。
素朴な愛かっ。
イケメンとの愛かっ。
利南子さんならどっちにしますっ?」
「イケメンとの素朴な愛がいいわね」
いや、だからーっと言う彩美に、利南子は、はた、と気づいたように叫び出した。
「いやちょっと待ってっ。
やっぱり、妖しいイケメンとの恋がいいわっ。
結婚を考えるなら、素朴な方がいいけど、恋愛なら、ちょっと悪いくらいの男がいいわよっ。
危険な男の方がときめくじゃない」
真剣に語り出す利南子たちを美鳥は、ただただ微笑んで見ている。
内心、困った人たちだな~と思っているのかもれしないが、やさしい美鳥は顔には出さなかった。
素朴な愛か、悪い男との危険な恋か。
……社長はどっちなのでしょうね、と思っていると、
「あんたなら、どっち?」
といきなり、利南子が振り向き、訊いてきた。
え? は?
と振り向くと、
「あんたならどっちを選ぶ? って訊いたんだけど。
よく考えたら、あんたは危険な感じの悪い男が好きなんだったわね」
と勝手に決めつけられた。
「え、なんでですか?」
「だって、あんた、社長狙いなんでしょ?」
「……社長は全然、悪い男じゃないですよ」
危険な感じはしますけどね、と思いながら、夏菜はそう言った。
「ああ見えて真面目で……
ちょっと不器用で、
まあ……可愛いところもあるかなって思いますね」
と一緒に、100均グッズ、なにを使うか真剣に悩んでいるときの有生や、一緒にアイビーを鉢に植えてくれたときの有生を思い出しながら、夏菜は呟く。
「あっ、なにその言い方っ。
なんか怪しいわっ。
もしかして、進展してるの? 社長とっ」
「あー、いえ、そういうわけでもないのですが……」
苦笑いとも照れ笑いとも言えないものを浮かべて言って、吐きなさいよーっと責められる。
その騒動より、スマホのイケメンが気になるらしい彩美が俯いてスマホをいじりながら言ってきた。
「危険な男と言えば、指月さんいいですよね」
「指月さん?
ああ、そうねっ。
指月さん、いいわよねっ?
あんた、なんのために秘書にいるのっ。
呑み会とかセッティングしなさいよっ」
今すぐよっ、今すぐーっ、と腕をつかまれ、利南子に揺さぶられる。