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#契約結婚
草原草原

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72
#王道
涙乃
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#ざまぁ
草原草原

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「……どうして、ここを」
「調べた。ごめんね」
御影さんは、悪びれもせずに言った。
「でも、君がここに住んでるって知ってるのは、たぶん僕だけじゃないよ。気をつけたほうがいい」
街灯の下で、御影さんは笑っていなかった。
脅しではなく、忠告の顔だった。
「立ち話もなんだから、車の中で話そう。どこにも行かない。ここに停めたまま」
御影さんは、助手席のドアを開けた。
「ここに立ってると、このマンションの防犯カメラに、ずっと映ってることになるからね。それとも、鷹宮さんが帰ってくるまで、二人でここに立ってる?」
私は、腕時計を見た。二十分遅れる、というメッセージから、まだ十分しか経っていない。
「五分だけです」
「十分ちょうだい」
助手席に座ると、車の中は、知らない匂いがした。
柑橘と、乾いた木のような香り。御影さんの香水なのだと思う。
ドアは、閉めなかった。半分だけ開けたまま、私は体ごと運転席のほうを向いた。車内灯が、御影さんの顔を真上から照らしている。
正面から、顔が見える。
「さすが。ちゃんと、見える位置に座るね」
御影さんは、ハンドルに片腕を載せて笑った。
「僕は、君に嘘をつかない。だから君も、僕の前では、本当のことだけ言って」
三秒。四秒。
一本の線。
この人は、画面の向こうでは何でも言える人だ。それなのに、目の前に座ると、こんなにはっきりと読める。
*
「鷹宮フーズを買う前にね、僕たちは、あの会社を隅々まで調べる」
御影さんは、後部座席から、薄いファイルを一冊取り出した。
「工場、取引先、物流、請求書。で、一つ、変なものが見つかった」
ファイルの中には、表が一枚。
北関東にある、鷹宮フーズの委託先の食品工場。その工場からの出荷量と、フーズが工場に払っている金額。二本の折れ線が、ある月から少しずつ、離れていく。
「出荷した量より、請求の量が多い。毎月、ほんの少しずつ。誰も気づかない程度にね」
「差額は」
「どこかに消えてる。で、その工場との契約を、十年前に取ってきたのが、当時の営業本部長」
御影さんは、指でファイルをとんと叩いた。
「堂島剛三さん」
私は、ファイルから顔を上げた。
「証拠は、あるんですか」
「ない。これは、外から見える数字を並べただけ。工場の中の記録も、お金の行き先も、僕たちには見えない」
御影さんは、肩をすくめた。
「だから、君に会いに来た」
「僕は、堂島を潰したい。君は、堂島の嘘が見える。手を組もう」
「……どうして、堂島常務を」
「僕はね、自分を道具に使った人間が、嫌いなんだ」
御影さんは、初めて笑うのをやめた。
「情報源は言えない。前にも言ったでしょう。でも、君はもう知ってるよね。四十二億」
私は、答えなかった。
「数字を送ってきた人間が、自分の会社の工場で泥棒をしてるなら、話は別だ。僕は、泥棒の片棒を担ぐために、五・一パーセントも買ったわけじゃない」
この人は、怒っている。笑っている顔の、ずっと奥で。
*
「社長に、話します」
私は言った。
「この話は、私一人では決められません」
御影さんは、また目尻に皺を寄せた。
「いいよ。そう言うと思ってた」
それから、ハンドルから腕を下ろして、私のほうへ少しだけ体を寄せた。
「でもね、灯ちゃん。彼が君に何を隠してるかは、彼に聞いても、絶対にわからないよ」
「……何を、ご存じなんですか」
「知らない。本当に」
一本の線。
「でも、見てればわかる。パーティの夜、ずっと見てたから」
御影さんの目が、私の顔の上で止まった。
「あいつはね、君を見るとき、初めて会った人を見る目をしてない。ずっと前から知ってる人を見る目をしてる。……僕、そういうのを見るのが、仕事なんだ」
ポーチの中の、古いハンカチ。
喉の奥まで出かかったものを、私は飲み込んだ。
「十分です」
助手席から降りると、六月の夜の空気が、急に冷たく感じた。
「考えといて」
御影さんは、運転席の窓を下ろして言った。
「僕の番号は、パーティの名刺に書いてある」
濃い緑の車は、川沿いの道を、音もなく遠ざかっていった。
*
社長の黒い車がエントランスの前に着いたのは、それから五分後だった。
後部座席のドアが開くより早く、社長が降りてきた。
「動くなと言った」
「すみません。歩いたほうが、早いと思って」
「……一人で、歩いてきたのか」
「はい」
社長は、私の顔を見た。それから、緑の車が消えていった川沿いの道の先を、しばらく黙って見ていた。
何も言わずに、エントランスのカードキーをかざした。
エレベーターの中で、社長は一言も話さなかった。
五階の玄関で靴を脱ぎ、リビングの明かりをつける。
私がカーディガンを脱いで椅子の背にかけたとき、社長が、すぐ後ろで足を止めた。
「誰と会っていた」
振り向くと、社長の顔が、すぐ近くにあった。
声が、大きかった。
この人が声を荒げるのを、私は初めて聞いた。役員会でも、料亭でも、どんなときも平らだった声が。
「髪から、知らない匂いがする」
私は、まっすぐに答えた。
「御影さんです。エントランスの前で、待っていました。車の中で、十分だけ話しました」
「車の中で」
「ドアは、開けたままでした。どこにも、行っていません」
私は、ペンを握った。
「堂島常務のことで、話がありました。明日の朝、全部ご報告します」
社長は、私の顔を見ていた。
私も、社長の顔を見ていた。
砂嵐だった。怒っているのか、悲しいのか、ただ心配しているのか。眉が寄っているのに、その下にあるものが、何も届いてこない。
社長は、黙って私の手を取った。
それから、自分の上着を脱いで、私の肩にかけた。カーディガンを脱いだばかりの、薄いブラウスの肩に。
襟を、両手で合わせる。ボタンを、一つだけ留める。
柑橘の匂いの上から、紙とインクの匂いが、すっぽりと私を包んだ。
「……社長、寒くないです」
「私が、嫌なだけだ」
それだけ言って、社長は、私の手を離した。
廊下の奥へ歩いていく背中を、私は、大きすぎる上着の中から見送った。
嫌なだけだ。
それが本当なのかどうかも、私には、もうわからない。
わからないのに、上着のボタンを外す気には、なれなかった。
*
翌朝、八時十分。
中目黒から乗った電車の中で、スマホが立て続けに震えた。まどかからだった。
『灯、社内SNS見た?』
『見ないほうがいいかも』
『いや、見て。今すぐ』
社内SNSの、全社の掲示板。一番上に、匿名の投稿があった。
夜の路上の写真が、一枚。
街灯の下で、濃い緑の車の助手席に、グレーのカーディガンの女が乗り込もうとしている。顔は半分しか写っていない。それでも、黒縁の眼鏡と、低い位置の一つ結びは、はっきりとわかった。
運転席には、明るい髪の男の横顔。
写真の背景は、暗く塗りつぶしたように何も写っていなかった。川も、エントランスのガラスも、建物の名前も。
誰かが、私がどこに住んでいるかだけを、きれいに切り落としていた。
それは、親切ではなかった。いつでも切り落とさずに出せる、という意味だった。
吊り革を握る手のひらが、じっとりと濡れていった。
投稿の一行目には、こう書いてあった。
『社長秘書、買収者と深夜の密会』
コメント
1件
おおお第27話、車の中の会話シーンがもう…御影さんの「僕は嘘をつかない」からの本音の顔、めっちゃ推せる😭✨ 灯ちゃんが社長の上着を脱げなかった心情、分かりすぎて胸がギュッてなった。最後のSNSの投稿で終わるのエグすぎて続き早く見たいよ!💦 #灯ちゃんがんばれ #御影さんも気になる (200字以内)