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#四季総受け
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21,524
「……何か」
椅子を回さず、背を向けたまま答える。我ながら、氷点下の声が出た。
「すみません。ええっと、来月号の販促部数の件で、ご確認いただきたい書類がありまして」
|芹沢 悠《せりざわ はるか》。営業部。
入社以来、誰の記憶にも残らないことを才能にしているような男だ。伸びた前髪が目元に影を落とし、背中はいつも少し丸まっている。会議では末席で、議事録の端に名前が載る程度。
その男が、自分の真後ろに立っている。
(落ち着け。書類だ。ただの書類だ。見て、判を押して、返す。それだけだ)
椅子をゆっくり回す。視線は、書類の一点だけに固定した。
「見せてください」
「はい」
差し出されたクリップ留めの紙束を、指先で受け取る。紙の端が、微かに汗ばんだ指の腹に貼りついた。
その時、芹沢の指が、澪の指の背を掠めた。
ほんの一瞬。偶然に見える程度の、ささやかな接触だった。
なのに、触れられた皮膚が、そこだけ火傷をしたように熱い。
(――っ、やめろ馬鹿、触んな)
表情は、動かさない。動かしてたまるか。
眉間に力を込めて、紙面の数字を睨む。初版部数、重版の見込み、書店への配本予定。何一つ、頭に入ってこない。
視界の端で、社員達がこちらをちらりと窺っているのがわかった。
氷の編集長が、また機嫌を損ねている。そんな空気が、フロアに満ちていく。
(違う。不機嫌なんじゃない。こっちはそれどころじゃ……)
「ここの数字、少し見込みが甘いかと思いまして」
芹沢が、紙面を覗き込むように身を屈めた。
距離が、詰まる。椅子の背もたれの上に、大きな影が落ちる。
肩に、熱が触れた。体温だ。シャツ越しに、じわりと染み込んでくる。
「編集長」
低い声が、落ちた。
さっきまでの控えめな響きとは違う。耳の縁に触れるほど近くで、吐息の湿度だけを含んだ、掠れた低音。
「そんなに警戒されたら」
鼓膜が、ざらりと擦られる。
「もっと虐めたくなるじゃないですか」
ぞくり、と背骨の真ん中を、氷の指でなぞり上げられたような感覚が走った。
「――あの夜みたいに」
「……っ」
ペンを握る指が、止まる。
息を、吸い損ねた。
(なっ……お前、ここ、職場だぞ!? 正気か!?)
叫びたい。怒鳴りつけたい。
けれど、声を出したら、震えがばれる。
だから澪は、唇を噛んで、紙面を睨み続けた。首筋にかかる吐息の熱に、耳の裏の産毛が逆立つのを感じながら。
「顔、赤いですよ」
「……空調が、効きすぎているだけです」
絞り出した嘘は、自分でも呆れるほど苦しかった。
くす、と、喉の奥で笑う気配。
「そうですか。では、そういうことにしておきます」
芹沢が、ゆっくりと身体を起こした。離れていく体温に、なぜか肩が寒くなる。
「書類は、お預けします。ご確認は、急ぎませんので」
いつも通りの、穏やかで、控えめで、どこまでも無害な声に戻っていた。
一歩、二歩。
靴が床を擦る音が、遠ざかっていく。
澪は、そこで初めて細く息を吐いた。
(……逃げた。いや、逃げられた。いや、違う、あいつが勝手に……)
震える指で、預けられた書類を捲る。
最後の頁の余白に、ボールペンの走り書きがあった。
見慣れない、少し右上がりの几帳面な字。
〈金曜 十九時 お邪魔します〉
読み終えた瞬間、紙が、掌の中でくしゃりと音を立てた。
(――ふざけんなよ)
口の中で呟く。
なのに、どうしてだろう。
心臓だけが、馬鹿みたいにうるさかった。
コメント
1件
まってまってまって!!!「そんなに警戒されたらもっと虐めたくなる」ってセリフやばすぎない?!?!職場であの距離感、しかも表向きは地味な後輩が実は…っていう二面性に胸がギュンした😭💕 最後の「金曜 十九時」のメモ、破壊力エグすぎてクラクラする。氷の編集長がポーカーフェイスのまま心臓バクバクしてるギャップが尊い…続き気になりすぎるよ〜!!!🔥