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第六話 『観察者』
三歳の秋。
王城の庭園は、夏の名残を少しずつ失い始めていた。
風は涼しく、空は高い。
リュシアンはいつもの東屋に座り、本を開いていた。
――正確には、「開いているだけ」だった。
文字は読んでいる。
理解もしている。
けれど意識の半分は、常に別の場所にあった。
(魔力の流れは安定している。)
(呼吸は乱れていない。)
(感情の揺れも……問題なし。)
小さく息を吐く。
生きているだけで、ずっと管理している感覚。
それが当たり前になりつつあった。
「リュシアン。」
声。
顔を上げると、アルフレッドが駆けてくる。
その後ろにレオンハルト。
そして少し遅れて――セシル。
「また本?」
アルフレッドが覗き込む。
「うん。」
「えらいなぁ。」
無邪気な言葉。
リュシアンは小さく頷く。
「……そうでもない。」
本当は違う。
“やらないと危ないからやっているだけ”だ。
だが、そんな説明は誰にもできない。
「今日はね!」
アルフレッドが目を輝かせる。
「剣の訓練見せてもらった!」
「レオン、すごかったんだよ!」
レオンハルトは少しだけ視線をそらす。
「……普通だ。」
「普通じゃないよ!」
アルフレッドは笑う。
そのやり取りを見ながら、リュシアンは静かに観察していた。
(レオンハルトの動作は安定。)
(筋力発達は年齢相応以上。)
(感情はまだ単純。)
そして、ふと気付く。
(アルフレッドは……人を引っ張るタイプ。)
(無意識に場の中心にいる。)
ゲームで見た通りだ。
まだ幼いのに、すでに“王子”になり始めている。
その時。
「……またですか。」
静かな声。
セシルが東屋に入ってきた。
「三人とも、騒がしいですね。」
「えー、いいじゃん!」
アルフレッドが笑う。
セシルは軽くため息をつく。
「リュシアンは休んでいるのに。」
その言葉で、空気が少し変わる。
レオンハルトが視線を向ける。
「休んでる?」
アルフレッドも首をかしげる。
「リュシアン、疲れてるの?」
「……別に。」
即答だった。
だがセシルはそこで止まらない。
「嘘ですね。」
ぴたり、と空気が止まる。
リュシアンの指先がわずかに動く。
「あなたは、いつもそうです。」
セシルの声は静かだった。
責めていない。
感情もほとんどない。
ただ“観察結果”を述べているだけのような口調。
「魔力を制御している時。」
「誰かを助けた時。」
「必ず、ほんの少しだけ表情が崩れる。」
リュシアンは何も言えなかった。
(見すぎだろ……)
心の中でだけ、ため息をつく。
セシルはさらに続ける。
「そしてそれを、すぐに隠す。」
「まるで、それが悪いことのように。」
アルフレッドが小さく首をかしげる。
「悪いことじゃないよね?」
「うん。」
レオンハルトも頷く。
「別に。」
その言葉に、リュシアンの胸が少しだけ痛む。
(そういう問題じゃない。)
そう言えたら楽だった。
でも。
言えない。
言った瞬間、全部が壊れる気がした。
その沈黙を、セシルは見逃さない。
「やはり。」
小さく呟く。
「あなたは、自分を“観察対象”にしています。」
リュシアンの呼吸が止まった。
(……何を言ってるんだ、この子は。)
三歳だ。
まだ三歳のはずだ。
なのに。
見透かされている。
まるで。
自分の中身ごと。
そのときだった。
ぽとり。
何かが落ちる音。
リュシアンの視界が揺れる。
「あ……」
意識するより先に。
涙が一粒、頬を伝った。
(しまった。)
すぐに拭こうとする。
けれど遅かった。
「……!」
アルフレッドが固まる。
「リュシアン?」
レオンハルトも動きを止める。
セシルは――目を細めた。
「やはり。」
静かに言う。
「今のが、“本音”ですね。」
リュシアンは何も言えなかった。
(違う。)
(これはただの反応だ。)
(魔力じゃない。)
(感情の揺れを抑えきれなかっただけだ。)
そう言い訳するほど。
涙はもう一粒落ちた。
アルフレッドが慌てて近寄る。
「だいじょうぶ?」
レオンハルトも続く。
「どこか痛いのか?」
リュシアンは首を振る。
「……違う。」
声が震えた。
それを聞いて、三人は少しだけ黙る。
その沈黙の中で。
セシルだけが静かに立っていた。
そして小さく言う。
「安心しました。」
その言葉は、優しくも冷たかった。
「あなたはまだ、“人間”です。」
それだけ言って。
セシルは東屋を出ていく。
残されたのは、三人の視線と、止まらないわずかな涙。
リュシアンはそれを必死に拭った。
(見られた。)
(まただ。)
(また、余計なものを見せた。)
なのに。
アルフレッドがそっと手を握る。
「泣いてもいいよ。」
レオンハルトが短く言う。
「別に、悪いことじゃない。」
その言葉に。
リュシアンの胸の奥が、少しだけ崩れそうになる。
(だめだ。)
(これは、違う。)
(これは、危険だ。)
そう思うのに。
手は、振りほどけなかった。
その日から。
セシルは“観察者”になった。
アルフレッドは“光”になった。
レオンハルトは“壁”になった。
そしてリュシアンは――
そのすべてを見返すことをやめた、“制御する側”になっていった。
まだ三歳。
けれどその小さな世界は、すでに静かに歪み始めていた。
第六話『観察者』 終
コメント
3件
うわっ……三歳でこれか……リュシアン、もうずっと自分を管理してるのが伝わってきて胸が痛かった……セシル、まだ三歳なのに「あなたは自分を観察対象にしてる」って見抜くの怖いし優しいしなんか複雑すぎる。でも最後に「あなたはまだ人間です」って言ったシーン、すごく残った。アルフレッドが手を握って「泣いていいよ」って言ったところも……じわっと来た。この年齢でこれだけの重さを描けるの、すごいなって思いました。続きが気になる……🌙