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ゆうき あきや
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#心理描写重視
第194話:完全包囲網。小春母の『ピンク色の受理書』
十勝の空に広がる、抜けるような春の青空。
限界集落の古民家の居間には、俺が先ほど振り下ろした『超硬度タングステン製・実印』の重厚な音が、まだ微かに反響していた。
机の上に置かれた、月額十八万円という適正価格が記された『履歴書兼雇用契約書』。
そこに押された鮮やかな朱色の印影は、我が陣地におけるロジスティクス管理業務のアウトソーシング契約が、完璧な手続きをもって正式に締結されたことを意味している。
「……よし。これで契約は完了だ。明日から正式に、我が陣地の兵站管理官として――」
俺が需品科としての冷徹な事務連絡を告げようとした、まさにその時だった。
ススゥッ……。
俺の背後にある、普段は開け放たれることのない奥の和室の襖が、音もなく静かにスライドした。
外はポカポカとした春の陽気だというのに、居間の気温が急激に、それこそ氷点下の猛吹雪の時よりも恐ろしい速度で急降下していくのを、俺の自律神経が強烈なアラートとして感知した。
「ふふっ……アキヤさん。契約成立、おめでとうございます」
そこに立っていたのは、いつの間にか古民家に潜入し、息を殺してすべての成り行きを見守っていた最強の捕食者。
小春ちゃんの母親であった。
お母様は、一切の足音を立てずに俺の背後へと回り込むと、机の上の雇用契約書を、まるで熟練の忍者のような神速の動きでサッと抜き取った。
「お、お母さん!? なんで和室に隠れてたの!?」
小春ちゃんがパニックになって叫ぶが、お母様は全く動じることなく、満面の、しかし絶対に逃げ道を許さない絶対者の笑みを浮かべて紙面を見つめている。
「あらあら、立派な実印ねぇ。……ふふっ、この契約書、実質的には『ピンク色の紙(婚姻届)』と同じようなものよね。確かに私、小春の母親として、そしてこの契約の『保証人』として、大切に預からせていただきましたよ。これで、もうどこにも逃げられませんね?」
その瞬間。
元・陸上自衛隊需品科として、いかなる修羅場や理不尽な激務を前にしても決してポーカーフェイスを崩さなかった俺の額から、タラーリと、生まれて初めての『冷や汗』が流れ落ちた。
退路遮断。完全包囲。
これは労働契約などではない。村を挙げた、計算し尽くされた外堀埋めの最終工程であったのだ。
ジンバルに固定されたスマホの画面の向こう側、五千万人のリスナーが接続する生配信のチャット欄が、この劇的すぎるラスボスの登場に人類史上最大の大爆発を起こした。
『うわあああああああ!!! お義母様が和室でスタンバってたぁぁぁ!!!』
『完全に罠だ!! アキヤ、見事にハメられたぞ!!!』
『ピンク色の受理書www 実質的な婚姻届の受理キタァァァ!!!』
『あのブレないアキヤが冷や汗かいてる!! レアすぎるだろ!!!』
世界中の視聴者がこの完璧すぎる包囲網に大爆笑し、チャット欄が滝のような速度で流れ続ける中、世界の経済を裏で操る超弩級VIPたちも、この『最強のフィクサー』の登場に即座に反応した。
ピコーン! ピコーン! ピコーン!
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”The ultimate strategist!! The mother-in-law has secured the contract! I am in awe of this flawless operation! I will transfer 500 billion yen to the mother as a guarantor fee!“(究極の戦略家だ!! 義母が契約書を確保したぞ! この完璧な作戦に敬意を表する! 保証人への手数料として、お母様に五千億円を送金しよう!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”A flawless hostile takeover! She bypassed all defenses and acquired the core asset! I will invest 1 trillion yen in this family holding company immediately!“(完璧な敵対的買収だ! すべての防壁をすり抜け、中核資産を獲得しおった! このファミリー企業に今すぐ一兆円を投資するぞ!)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$5,000MeTubeギフト)無限連発』
『”Nooooo!! The mother is the final boss!! Akiya, run away right now!! I will send a rescue helicopter to extract you from that house!!!“(いやああああ!! お母様がラスボスだったなんて!! アキヤ、今すぐ逃げて!! あなたをその家から救出するためにレスキューヘリを向かわせるわ!!!)』
総額数兆円規模の電子マネー(赤スパ)が、祝福と畏怖の極彩色弾幕となって画面を完全に埋め尽くした。
国家予算レベルの保証人手数料が乱れ飛び、広場で倒れていた村長が奇跡的に目を覚ましたものの、タブレットの画面を見て「ひ、ひぇぇぇ……! お母さんに五千億円……! もう村の権力が完全にひっくり返ったべさ……!」と呟き、本日四度目の気絶を果たしている。
だが。
俺――アキヤは、生まれて初めての冷や汗を拭いながらも、必死に崩れかけた精神の防壁(ポーカーフェイス)を再構築し、傍らに置いてあった三つ目のタッパーのフタを震える手で開けた。
中に入っているのは、完璧な水加減でストイックに炊き上げられたさらに追加の『玄米』と、自家製の『大豆ミートと春掘り長芋の醤油漬け』である。
俺は、世界中の富豪たちの絶叫と、お母様の放つ恐るべき笑顔のプレッシャーに照らされながら、一切の感情を排した元・社畜の無表情を強引に作り出し、大豆ミートを玄米の上にワンバウンドさせ、淡々と咀嚼し始めた。
バリッ、ゴリッ、モグモグ……。
(……ふむ。雪の下で越冬し甘みを増した長芋のムチンと、大豆ミートの力強い植物性タンパク質。最強の捕食者との対峙という極限のストレス下において、己の胃粘膜を保護し、自律神経を強制的に正常化させる究極の兵站食だな)
己の肉体という名のロジスティクスを必死に維持しながら、俺は水筒の熱いほうじ茶で喉を潤すと、五千万人を突破して世界の結婚市場を完全に支配し尽くしているカメラと、目の前のお母様にキリッとした真顔を向けた。
いつもの『限界言い訳タイム』の発動である。
「お母様、書類の保管業務ご苦労様です。そして画面の向こうで、ただの雇用契約の監査プロセスに巨額の資本を投下して婚姻届だと騒いでいる皆さまも、全員冷静になってください」
『出たァァァァァ!!!』
『冷や汗かきながら絶対に認めない男!!!』
『主の限界言い訳タイム・ピンク色の受理書完全スルー編ww』
『さあ、この逃げ道ゼロの完全包囲網をどうやって需品科の業務にするつもりだww』
俺は、声の震えを必死に抑え込み、極めてフラットな口調で言い放った。
「これは婚姻届の受理でも、外堀を埋める罠でもありません。お母様が契約書を回収したのは、月額十八万円という継続的な資金移動が発生するBPO契約において、契約の健全性を担保するための『第三者機関によるコンプライアンス監査』および『エスクロー(第三者預託)サービス』を実行したに過ぎません。労働基準法および機密保持契約(NDA)が適切に守られているか、保護者という名の外部監査役が書類を厳重に保管しているだけです。ええ、すべてはガバナンスを強化し、健全な『業務委託関係』を証明するための、冷徹な『リスクマネジメント』と『文書管理プロトコル』ですね。私が冷や汗を流しているのも、春の急激な気温上昇に伴う自律神経の乱れを、発汗によって物理的に調節しているだけの、徹底した『ホメオスタシス維持機能』です」
「んなわけあるかあああ!!!」
ガゴォォォォォンッ!!!!
背後から、分厚い辞書を叩き割ったような凄まじい破砕音が響き渡った。
小春ちゃんが、実家の農家から持参してきた『JA指定・特厚農業経営簿(高密度レザー装丁・鈍器仕様、重量約三キロ)』を両手で大上段に構え、俺の頭頂部に向かってパーフェクトなフルスイングを見舞ったのだ。
三キロの硬質な分厚い束が肉体に直撃した、鈍くも大地を揺るがすような恐ろしい大爆音が、十勝の春の空へと虚しく響き渡る。
「ただの第三者機関の監査で、私のお母さんが『孫の顔が楽しみだわ』みたいな顔してニコニコしながら和室から出てくるわけないでしょうが!! どう見たって、お兄さんが逃げられないように、村を挙げて私とお兄さんをくっつけるための完璧な包囲網でしょうが!! 私の人生の決断を、冷たいエスクローサービスとかコンプライアンス監査とかいうお役所言葉で誤魔化すんじゃないわよ!!」
『小春ちゃんのキレキレ特厚経営簿スマッシュ炸裂www(音が完全に鈍器ww)』
『第三者機関によるコンプライアンス監査(ただの最強の義母の監視)』
『エスクローサービス(婚姻届の完全な人質)』
『適応力バグおじさん、ついに義母の圧力をコンプライアンスと文書管理に分類しやがったww』
『冷や汗かきながら言い訳してるの最高にダサくて草ww今日も最高!!』
俺の理不尽極まりない監査的な限界言い訳と、小春ちゃんの容赦ない経営簿ツッコミに、五千万人の視聴者たちは感動の涙から一転、大爆笑の渦へと叩き落とされた。
『ミャウ(ほんと、相変わらず分厚い帳簿で叩かれても直らない、冷や汗かきの鈍感下僕ね)』
縁側の上から、純白の神獣シロ様が呆れたように俺を見下ろし、その美しいオッドアイの瞳を優しく細めてゴロゴロと喉を鳴らした。
サファイアブルーと琥珀色の二色の瞳は、数十兆円の電子マネーの輝きよりも遥かに眩しく、ぽかぽかとした春の陽射しの中で、まるで世界中のどんな宝石よりも温かく美しく輝いていた。
庭では、俺の限界言い訳など全く聞こえていない巨大ヒグマが「グゥ〜♪」と幸せそうなイビキをかき続け、コン吉とコン次郎のキツネ兄弟も「キュンキュン!」と新しい家族の誕生を祝福するように走り回っている。
どんなに莫大な金が動こうとも、彼らにとっては、この穏やかな古民家で家族がずっと一緒にいられることこそが、最高の宝物なのだ。
「あらあら、アキヤさんったら本当に照れ屋さんなんだから。ふふっ、監査役として、これから末長くよろしくお願いしますね?」
お母様は経営簿で叩かれている俺を見て、全く引くことなく、むしろ勝利を確信した最強の笑顔を浮かべてお茶を啜っている。
「……まぁ、理由はどうあれ。我が陣地の兵站管理書類が、最もセキュリティレベルの高い金庫(お母様)に保管され、情報の秘匿性が完璧に維持されたのなら、作戦としては完全勝利だ」
俺は経営簿の凄まじい衝撃で痺れた頭と、止まらない冷や汗を拭いながら苦笑し、春の風を感じながら、タッパーの玄米と大豆ミートをゆっくりと噛み締めた。
激務に潰されて逃げ込んできた、この限界集落。
最初は一人で静かに暮らすための隠れ家(シェルター)だったはずが、今では世界一美しいオッドアイの神獣と、数兆円の保証人手数料を投げてくる大富豪たち、そして農業経営簿を振りかぶる専属アシスタントと最強の母親に囲まれた、世界一バグっていて温かい『絶対の聖域』になってしまった。
神獣の魅せる圧倒的な尊さと、元需品科のブレない大豆ミート咀嚼、およびコンプライアンス監査の限界屁理屈。
春の足音が聞こえる限界集落の完全包囲網は、鈍器のような帳簿の快音と大爆笑に包まれながら、さらに強固になった絆と共に、新しい日常という名の未来へ向かって、どこまでも力強く走り出していくのだった。
コメント
1件
ちょっと待ってお母様が和室でスタンバってる時点で完全に勝利確信したラスボスすぎる!!笑 アキヤさんの「コンプライアンス監査」って限界言い訳、冷や汗ダラダラで必死なのバレバレなのにポーカーフェイス崩さないの最高にダサ可愛い😭💕 小春ちゃんの経営簿スマッシュも爽快で笑ったし、シロ様のオッドアイが電子マネーより輝いてる描写に胸がギュッとなった…。もう完全に家族じゃん、この聖域ズルいよ!!!