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#オフィスラブ
ひより
5,510
一城 兼人。
眉目秀麗にして文武両道。
突如として群青高校の生徒会長に躍り出た人気者。
温厚で人格者という評判だが、実態はそうではないことを、私は知っている。
そのくだんの生徒会長は、眉根を寄せて机上の書類をせっせと崩しているところだった。
時期によって波がある生徒会の仕事だが、今はまさに大詰めだ。いつもなら温和な表情を保っている彼ですら、目の前の山には渋い顔を隠せないでいる。
しかし、これは好機だった。私はそっと背後に回り込み、隙だらけの彼の制服を思い切りめくり上げた。
一拍遅れて、生徒会室に素っ頓狂な悲鳴が響く。
「うわあああ!?」
室内で作業をしていた役員たちが、一斉に手を止めた。
その辺の女子生徒より白くてきめ細やかな皮膚が目の前に広がっている。が、目的のものは見当たらなかった。
(まさかと思ったけど……ここにもないか)
私は舌打ちをして手を下ろした。
「ちょっ……、三澄さん!? さすがに痴漢で訴えるよ!?」
生徒会室には私と会長、そして数人の女子役員がいた。彼女たちはそろって顔を赤らめ、私たち二人をちらちらと見やる。
「か……、会長の、ハダカ……」
「……会長と副会長って、やっぱりそういう関係だったんだ……」
「違います!」
会長は服の乱れを直しながら、端正な顔を険しくした。
「三澄さん。遊んでいる場合じゃないよ。次の会議まで、もう時間がないんだから」
そう言われて、私以外の役員はみな、顔を引き締めて手元の資料に視線を戻した。
我ら生徒会の目下の仕事は、各部の後期予算の調整である。
どの部にとっても予算の獲得は重要事項だ。雀の涙ほどの予算しか与えられていない弱小部はもちろん、優秀な成績を収めている強豪部にとっても、部費の増減は一大事である。
実際、先日の予算会議は予想以上に紛糾し、物別れに終わってしまった。各部の主張は一方通行で、妥協案など出てくる気配すら感じられなかった。そのため、次回は必ず決着が着くよう、役員達で手分けして根回しをすることになったのである。ここにいない他の役員たちは、直接各部へ交渉に行っているはずだった。
だが私は、先ほどから別の資料を探して室内を徘徊している。会長の言葉が私一人に向けられているのは、それゆえのことだろう。
「私は、遊んでいるわけではありませんが」
「でも、バスケ部の予算交渉について考えているわけではないだろう?」
会長のピンポイントな指摘に、今度は私が目を細める。
バスケ部は、地区大会で何度も入賞している強豪部だ。部長である鈴城先輩の人気が高く、部外にもファンが大勢いるという。そのため、予算の引き下げ交渉は難航を極めると予想されていた。しかし一番の問題は、会長がそこを私に押し付けようとしている点である。
「何度も申し上げますが、私の割り当て分は先週終わりました。それに、バスケ部はじゃんけんで海野(うみの)が担当に決まったはずです。今更覆されても困ります」
「そうだけど、あいつは話し合いが苦手だろう。この間も、一触即発みたいな雰囲気になっちゃって、話し合いは一歩も進んでいないらしいんだ」
「――で、あれば、そこは責任者である生・徒・会・長の出番では?」
「僕は、君に頼んでるんだよ、副・会・長」
一触即発の状態は今もである。
「副」を強調して嫌みったらしくほほえんだ会長をにらみつける。天使のようだと評される笑顔が、私には空々しい作りものにしか見えない。
お願いという名の命令だが、私は言いなりになるつもりはなかった。第一、ここは会長に泥をかぶってもらわねば、私の計画がつぶれてしまう。
無視して応接用のテーブルをひっくり返していると、会長は意味ありげな流し目を寄越してきた。
「わかってると思うけど、バスケ部の部長は鈴城先輩だよ。憧れの君にお近づきになれるチャンスなんじゃない?」
私はいったん動きを止めて、大きく息を吸う。
「……なんのことかわかりませんが、バスケ部を説得できるのは会長だけだと思います。何しろ、あなたはあの演劇部を黙らせたんですから」
演劇部も、バスケ部に負けず劣らず人気のある部活である。単純に部員数だけでいえば、圧倒的なトップを誇る。定期的に公演も行っており、衣装や舞台設営にかかる金額は半端ではないと聞く。おかげで、日ごろから目を血走らせて金目の物を漁る部員が目撃されており、特に今回のような予算会議には命を懸けているといっても過言ではない。
だから、私としてもどうやって説得したのか疑問だったのだが、
「そうそう! 聞きたかったんですよ、会長!」
「なんで納得してくれたんですか?」
私の代わりに役員達が目を輝かせて会長に詰め寄ってくれた。
すると、珍しいことに、ああ言えばこういう性質の会長が一瞬押し黙った。それから、ごまかすときのうさんくさい笑みを顔に貼り付ける。
「さあ……、僕にもわからないな。でも、基本的にはみんなと同じだと思うよ。今回の政策の趣旨を丁寧に説明したら、最終的には誠意をくみ取ってくれたというか」
「えー、それだけですか?」
「なんか、特別なコツとか話術とかあるのかと思ったのに」
みな、がっかりして肩を落とす。その中の一人が、フォローのつもりなのか説明を付け加えた。
「うーん……、そういえば、演劇部って前から会長に熱烈アピールしてましたよね。ゲストとして公演に出て欲しいって。だから、会長に頼まれたら断れないのかも」
考察してくれた彼女には悪いが、いくら会長ファンが演劇部に多かろうと、そんな簡単に了承するはずがない。
腹黒な会長のことだ。きっと、何か裏取引を用いたのだろう。その証拠をつかんでおけば、後で何かに使えるかもしれない――。
会長はその後、急に演劇部の話が聞こえなくなったようで、手元の資料に没頭していたが、役員達のおしゃべりは続いていた。
「演劇部といえば、副会長も誘われたって聞きましたよ! 氷のような美人の役なんて、副会長にぴったりですね! 冬の公演、出るんならぜひ見に――って、そういえば、さっきから何してるんですか?」
怪訝そうな顔をされたので、私は冷蔵庫の扉を閉めて立ち上がった。
「先日、先生方から何か協力を頼まれたでしょう。その資料はどこにあるのかと思いまして」
実際に書類を渡されていたのは、会長だ。だから、彼が隠しそうな所を探し回っているのである。
「え? 副会長、聞いてないんですか?」
役員の一人が、きょとんとして周囲を見渡す。
私もつられて見回して気がついた。肝心のバスケ部担当の海野はもちろん、他の男子が全員いないのはあまりにも不自然だ。
「あっちとこっちは完全分業でしょう。あっちのグループは今日から現地集合で――」
そのとき突然、会長がバタンと大きな音を立ててファイルを閉じた。不穏な空気が漂い、生徒会室が水を打ったように静まりかえる。
私は鋭い視線を生徒会長へ向け、ゆっくりと歩を進めた。彼は気づかぬふりをしているのか、こちらを一瞥もしない。
「……会長……」
地を這うような声が生徒会室に響く。しかし、憎たらしいことに、会長の笑顔は崩れない。
「私は、最低限の義務は果たしたはずです。他に業務があるのなら、そちらに移らせてください」
「いや、まだ終わってないよ。三澄さんにはバスケ部と、あと二、三カ所追加で担当してもらいたくて――」
「生・徒・会・長?」
「……内緒にしていたのは悪いけど、適材適所って言葉があるでしょ? あっちは女性向けの仕事じゃないんだ。今回くらいは大人しく――」
「――あの秘密、ばらしますよ」
「――秘密なんてないけど、外で話そうか」
笑みを浮かべたまま、会長は廊下へ私を誘った。
生徒会室から距離を取り、周囲に人がいないのを確かめてから、私は口火を切った。本当は無傷で手に入れたかった情報だが、背に腹は代えられない。会長を脅すために蓄えていたカードを一枚切る。
大した秘密ではなかったので大まかなことしか聞き出せなかったが、概要だけでもわかれば十分だ。会長の引き留める声を背に、私は急いで学校を後にした。
教師陣からの依頼はこうだった。
最近、中高生の軽犯罪が増加傾向にある。犯罪抑止を目的に、急遽、教師達が繁華街を巡回することが決定した。しかし、教師には部活の監督という仕事もあり、どうしても手薄になる時間帯ができる。生徒会で、この穴を埋めてもらえないだろうか。
会長が代表して話し合い、結果、放課後から数十分間を生徒会が担当することで合意したという。
だが、あいにく、生徒会の方も予算会議の準備があって忙しい。そこで会長は、役員を二分して、一つのグループにそちらを担当させることにした。役員の誰がメンバーなのかまでは教えてもらえなかったが、予想はつく。交渉ごとに向かない者や男子生徒を巡回組に振り分けたのだろう。かよわい女子生徒の参加は論外、というわけだ。
だが、そんなものはただの差別ではないか。
少なくとも、護身術の心得がある私を除外したのは間違いだ。なにしろ、巡回組に割り当てられていた海野を締め上げることができたのだから。
とはいえ、護身術をこういう場面で使うのはルール違反である。偏見上等の会長に、腕力だけで向き不向きを判定できないことを証明するためには致し方なかったと言い訳をしておく。
ふと、押さえつけている海野の腕時計が目に入った。いつの間にか、ホームルームからだいぶ時間が経っている。
敗者に選択権はない。会長から渡されたという巡回地図を彼から奪い、私は印の付いた場所へと足を速めた。
目印の場所は、我が群青高校の生徒があまり利用しない区域にあるショッピングモールだった。
と言っても、ゼロではない。行き交う他校の学生達の中に、群青色の制服もちらほらと見受けられる。
その中で、一階の雑貨店にいる一人の男子生徒が目に付いた。
まっすぐな黒髪をあごのラインで切りそろえた、雰囲気のある男子だった。しかし、彼が目を引いたのは、女性向けの店内に一人だけ男子が混じっているからだけではない。文字通り、周囲から頭がぴょんと抜け出ていたからだ。体格はともかく、背の高さだけで言えば、生徒会室で話題になったバスケ部の鈴城先輩と同じくらいあるかもしれない。
そう思ったとたん、先ほどまでの怒りが再燃した。
――あこがれの君にお近づきになれるチャンスじゃない?
手に持っていた資料を思わず握りつぶす。
私は別に鈴城先輩に恋愛感情を抱いているわけではない。が、確かに、気のあるふりをしたことはある。
なぜなら、よりにもよって、会長と私がつきあっているというデマが流れたからである。
実態はともかく、外面のいい会長は、校内の女子人気ナンバーワンだ。
そんな人の彼女だなんて思われたら大変である。妬みや嫉みの対象にされるのは必至だし、面倒ごとに巻き込まれることも想像に難くない。何より、この私が奴に好意を寄せているなどと、想像するだけでもおぞましかった。
そこで目をつけたのが鈴城先輩である。バスケ部の実力者であり、ムードメーカーでもある彼に憧れている女子は多い。その中の一人が私だとしても、不自然ではないだろう。また、高身長ゆえに、私のような大女と並んでもバランスがとれる。かつ、接点がないので本人に知られる可能性は低い。つまり、ダミーとしてちょうどよかったのだ。
しかし、会長はそのことをうすうす察していながら、からかっているふしがある。
腹立たしい……。
私は怒りであふれそうになった頭を横に振って、深呼吸をした。
落ち着け。今はそんなことに気を取られている場合ではない。なるべく早く奴の面の皮を剥ぎ、退任に追い込んでやるのだ。
そのための絶好の機会が、今週末に控えている予算会議である。
決議は多数決制。発言力の強い部に涙を呑んでもらう予算案では、反対派がいなくなることはありえない。しかし、私と会長が根回しした部だけで過半数を超えているから、残りの部が反対したとしても会長の政策が承認されることはすでに決まっている。
だが、将来に禍根は残るだろう。会長はそれを避けるために全員の説得と承認を目指しているが、とうてい間に合いそうにない。
この調子でどんどん各部の不興を買ってもらえれば、会長の不信任決議が現実味を帯びてくる。そして、見事会長をリコールしたあかつきには、副会長である私が会長代行を勤めることができる。
そのとき、私では不服と思われないよう、先生方や生徒達からの信頼を集めておく必要があった。
「あのー……。君、もしかして、三澄 馨さん?」
気がつくと、先ほど注目していた男子生徒が目の前にいた。
何度か声をかけられていたようだ。いつも冷静沈着を心がけている私だが、会長が絡むとつい、怒りで我を忘れてしまうことがある。
反省しつつ、平静を装って顔を上げた。彼は近くで見るとやはり背が高く、切れ長の目が緊張してこわばっているように見えた。
「ここへは、生徒会の仕事で……だよね?」
「……ええ。急遽、メンバー交代になりましたので。失礼ですが、あなたは?」
なぜそのことを知っているのか。当事者である私でさえ知らなかったことを、一般の生徒たちが知っているはずがないのに。
ネクタイの色を見ると三年生のようだが、面識はない。
全校生徒の名と顔を覚えたという妖怪みたいな会長ならば、一目で誰なのかわかるのだろう。その点、私は、部活や委員会などのトップのような目立つ生徒しか、把握できていなかった。
彼は私の持っているプリントを見て、小声で何か言った。
「まさか、本当に……?」
「え?」
聞き返すと、彼は慌てたように、左腕につけた腕章を指さした。
「あ、ああ、ごめん。ええと、俺は空手部の鈴城 亜樹。生徒会だけじゃ足りないからって、君のところの会長に助っ人を頼まれたんだ。各ルートは二人以上でまわることになっていて、この辺は君と俺が担当するみたいだね。短い間だけど、よろしく」
「鈴城……?」
私は思わずつぶやいた。バスケ部部長と同じ名字だ。珍しい名字だし、顔や雰囲気は似ていないが、無関係とは思えない。
「単刀直入にお聞きしますが、あの鈴城先輩とは何か関係が?」
「あの鈴城先輩……ね」
彼は複雑そうな表情で微笑した。遅ればせながら、自分の失言を悟る。
「すみません。失礼な言い方をしてしまいました」
「いや、いいんだ。たぶんみんなそう思ってるだろうしね」
彼は自嘲じみた笑い方をして、続けた。
「俺とあいつは双子だよ。数分の差で俺が兄だけど。二卵性だから似てないんだ」
(……双子、ですって?)
私は眉をひそめる。
鈴城先輩が双子だなんて話、聞いたことがない。バスケ部は私の担当ではなかったから今回特別に調べたりはしていないが、あれほど有名な人に兄弟がいたら、さすがに私の耳にも入っているはずだ。
「信じられないって顔してるね。俺、目立たないからさ」
「目立たない……なんてことは、ないと思いますが」
鈴城亜樹先輩を、正面から観察する。
バスケ部部長の葉琉先輩と違い、顔のつくりはどちらかといえば女性的だし、精悍というよりは文学青年っぽい外見をしている。共通点があるとしたら背の高さくらいか。
だが、目立たないという評価には疑問を抱く。
月並みな例えだが、葉琉先輩が太陽だとすれば、亜樹先輩は月といった印象だ。たしかにパッと目を惹くタイプではないが、姿勢が良く無駄のない身のこなしに、すでに何人かが振り返っている。
そう言うと、亜樹先輩は頬を赤らめた。
「え、あ、ほんと……? そう言ってもらえると嬉しいけど……」
「鈴城先輩……いえ、葉琉先輩とはあまり一緒にいらっしゃらないんですか?」
「あー……。まあ、あいつとは、部活もクラスも違うしね。でも、文化祭とか、一緒にまわったりもしたよ」
「……そうですか」
あまりに似ていないため正体を疑ってしまったが、腕章と資料を持っているのだし、会長から打診があったことに間違いはないだろう。そこさえわかれば、この際彼がどこの誰だろうと構わない。
私はシワのついたプリントを伸ばして、地図の右脇に書かれた注意事項を確認した。
「毎日場所が変わるんですか。今日は……この雑貨屋の前で三十分」
亜樹先輩も隣からのぞき込み、口元に手を当てる。
「うん。開始時間からというよりは、着いてから三十分っていうことみたいだ。でも、不思議なんだけど、ただ同じ場所に立ってるだけでいいのかな? 巡回って普通、歩きまわったりするよね。まあ、この辺あんまり知らないから、俺にとってはその方がありがたいんだけど」
「……おそらくここが、ホットスポットということでしょう」
首をかしげた彼にわかるよう、私は説明する。
「ホットスポットとは、犯罪多発地点のことです。手当たり次第にうろつきまわるより、そういった場所に一定時間とどまる方が、防犯効果が高いと言われています。犯罪を計画している者が、その内容がばれていると勘違いするせいではないかということのようですね」
「へえ……、そうなんだ」
心底感心したように亜樹先輩が息をついた。
「すごいね、三澄さん。そんなこと知ってるんだ」
「ちゃんとした説明は受けていないので憶測ですが。三十分は、少し長いような気もしますし。先輩は、この件について何か聞かされていないんですか?」
「え? ……うん」
「何もですか? 会長から頼まれたんですよね?」
「そ、そうなんだけど……」
責めたわけではないのだが、彼が傷ついたように眉を下げた。まさか、本当に何の説明も受けていないのか。
さすがに彼に同情する。三年生は、部活動によっては、引退して受験に専念する頃だというのに。
もしかして、会長に弱みでも握られて、無理強いさせられているのだろうか。
周囲に視線をめぐらすついでに、彼の様子もそれとなく観察する。
不審な動きをしている者なんてそう簡単に見つかるわけがない。周囲の人たちを眺めているだけの時間に、先輩は次第に飽きが来たようだ。
彼のそわそわした雰囲気を感じ取った私は、鞄の中からバインダーに挟んだ書類を取りだして彼に見せた。
「もしよろしければ、こちらに署名していただけませんか?」
「え? なに、これ?」
彼は表題の「現・生徒会長一城兼人のリコール請求」という文字を見て、顔を引きつらせた。
「署名を集めています。全校生徒の三分の一以上の署名を集めれば、選挙管理委員会に会長の解職請求をすることができるんです」
「ご……ごめん。遠慮しときます……」
彼はまだわずかしか集まっていない署名のプリントをすぐに返却してきた。
数少ない署名のほとんどが男子生徒のもの。生徒会長の人気をひがんでいたり、嫉んでいたりする生徒のものばかりだ。しかも、しばらく前からその数は全く増えていない。
「一応これでも、あいつとは幼なじみなんだ。申し訳ないけど、顔をつぶすようなことはできないよ」
「そうですか。そういうことなら、仕方ありません」
私は即座に鞄にしまう。
署名については特に残念ではない。今焦らなくても、今週末には、十分な数が集まる予定なのだ。
しかし、少々意外だった。会長に無理やりかり出されたのならば、不満もあるだろうと思ったのだが、そうではないらしい。
だとすると、幼なじみのよしみで引き受けたということか。
「先輩は、会長とは仲がよろしいのですか?」
「え? いや、あんまり接点はないかな。近所だから、たまに顔を合わせることはあるけど」
「ですが、あまり目障りだと思うようなことはなかったわけですね」
「め、目障り……? ええと……、三澄さんは、一城が嫌いなの?」
言いにくそうに、だがストレートに先輩が聞いてきた。
何を今更。
私は舌で唇をしめらせてから答えた。
「すでにご存じかと思っていましたが……。ええ、大嫌いですよ、あんな怪物」
人通りが多くなってきた。目の前の雑貨店には女子生徒の固まりがいくつもできて、賑やかさが増している。
私と会長の不和は隠していない事もあり、割と知られていると思っていた。が、先輩はそうではないらしい。目を丸くして絶句しているので、さらに付け足す。
「一年の時なんて、生徒会役員どころか帰宅部だったくせに、次期生徒会長確実と言われていた私を押しのけて会長職に就いたんです。嫌みったらしく副会長なんかに私を指名したりして。顔だけの人物かと思いきや、実力が人並み以上にありましたから、余計に腹が立ちますね」
天才と呼ばれる人の計り知れなさに、何度打ちのめされたか。
凡人は所詮何をやっても適わないのだと、一番近くで思い知らされるたび、嫌悪感が募っていく。
「ですが、安心してください。別に、無理に署名していただくつもりはありませんから」
「あ、ああ……うん」
微妙な表情で私の言葉を聞いていた亜樹先輩が、ぎこちなく頷く。彼からは共感を得られると踏んでいたのだが、その表情からはどちらとも読み取れない。
今まで、特に何も思ってこなかったのだろうか。いや、会長と葉琉先輩が子どもの頃からそばにいたのだ。その存在に圧倒されないなんて事は考えられない。現に、さっきは自虐めいた発言をしていたではないか。
きっと、感情を殺すのに慣れたか、もしくは、うまく折り合いをつける方法を身につけたのだろう。ただそれでも、まったく何も思うところがないとは信じられないが。
「…………」
「…………」
……いや、変に勘ぐるのはよそう。彼と関わり合うのは今回だけだ。署名もしてくれそうにないし、どうでもいい相手ではないか。
微妙な空気になってしまったので、私は一度溜息をつくと、周囲の監視に集中した。
行き交う人々は思い思いに買い物をしたりおしゃべりをしたりしているだけで、残りの時間も何事もなく過ぎていく。その間、亜樹先輩は何か言いかけては口を閉じ、再度決心しては口を開いてまた閉じるという仕草を繰り返していて、やけに落ち着きがなかった。
そろそろ三十分、という時、今度こそ意を決したのか、先輩が声を発した。
「と、ところで、女の子って、どういうのが好きかな!?」
「……は?」
あまりにも突拍子のない質問に、声から礼儀が剥がれ落ちた。
先輩は目の前のやたらピンクなキラキラした空間を指さしているが、突然すぎて意図がわからない。
「いや、あの、せっかくこういう場所にいるんだし、将来のためにリサーチしておこうかと思って……っ。どういう物をもらったら、女の子は嬉しいのかな!? 例えば、三澄さんだったら!」
「はあ……」
なるほど。恋人へのプレゼントでも物色するつもりなのか。不真面目にも程がある。
だがまあ、もう少しで予定の時間も終わりだ。他愛のない雑談に少しくらい付き合ってもいいだろう。
「私の意見はあまり参考にならないと思います。むしろ、その彼女さんの趣味を教えていただいた方が、的確な助言ができるかと」
「えっ、か、彼女!?」
亜樹先輩は目を白黒にして動揺した。
「や、違……っ! 彼女なんていないから! ただ、俺は今後のためにと……!」
「? 別に隠されなくても結構ですよ。言いふらしたりはしませんし。用途はなんですか? 誕生日プレゼントとか、何かのお詫び……、ああ、もしかして、付き合って一年目の記念日とか」
「いや、だから、いないんだって! ……わ、わかった。じゃあ、妹とか! 一つ下くらいの妹に贈るとしたら、何がいいだろう!?」
「ああ、妹さんがいらっしゃるんですか。なら、その方に直接、何が欲しいか聞いてみるのがよろしいのでは?」
そう言うと、亜樹先輩は視線を落としてつぶやいた。
「いや……、妹は、いないんだけど……」
「……さっきから、先輩は何をおっしゃっているんですか……?」
私は呆れて彼をまじまじと見つめた。
理知的な顔立ちだと思っていたが、実はおつむが弱いのだろうか。
あまりにじっくり見つめすぎたせいか、先輩がどんどんうつむいていく。
「ごめん……、さっき言ったこと、全部忘れてください……」
「あら、よろしいのですか? 想像上の妹さんにプレゼントを買わなくても」
「それは言葉の綾だから! ――っていうか、わかってて言ってるでしょう、三澄さん!」
焦る先輩を尻目に腕時計を確認すると、いつの間にか予定の時間を過ぎていた。先輩が何をしたかったのかは不明だが、とりあえず今日のノルマは達成だ。
今後の流れを確認すると、先輩は脱力しながら教えてくれた。報告書の類は先輩が後でまとめてしてくれる。明日は、大体同じ時間に決められた場所に現地集合とする。
打ち合わせを終えて解散しようとしたとき、先輩のスマホが着信音を鳴らした。
「――あれ? 一城からだ」
(…………え)
私はなんとなく嫌な予感がした。
翌日の集合時間が二十分繰り上げになった。
担当区域が学校から近くはないため、ホームルームが終わったら速攻で向かわないと間に合わない。きっと、海野から仕事を奪ったことが会長に伝わったのだろう。くだらない嫌がらせだが、だからこそ腹が立つ。
「覚えてらっしゃい……! こういう姑息な奴だって……、すぐに白日の下にさらしてやるんだから……!」
息を切らしながら昨日と同じ場所についたときには、すでに亜樹先輩が待機していた。
「……先輩、お早いお着きですね……」
「えっ? ああ、今日は部活にも顔出さないできたから」
それは私も同じなのだが、これは歩幅の差なのだろうか。
改めて、彼の背の高さを実感する。葉琉先輩と同じバスケ部に入ったら重宝されただろうに、なぜ、亜樹先輩は空手部なのか。
考えかけたが、やめた。情報が少ない中で考えても穿った見方しかできないし、第一、それほど興味がない。
今日の巡回スポットは、バッティングセンターやゲームコーナーのある小さな娯楽施設だった。店の人に断って中に入ると、耳をつんざくような音が飛び込んでくる。思わず顔をしかめた私を見て、先輩が気遣わしげな表情になった。
「こういうところが苦手なら、俺だけで見てこようか?」
「いえ、おかまいなく」
指定箇所はゲームセンターとなっていた。こちらの方は死角が多すぎて、さすがに立っているだけでは防犯効果は薄いだろう。
腕章をつけて足を踏み出す。けたたましい音楽と否が応でも耳に入るように計算された効果音。それに負けじと声を張り上げる客達の熱気に、だいぶ精神力を削られながらも、一通り見回りを完遂した。
昨日と同じはずの三十分なのになかなか終わらなかった。なんだかとてつもなく長い時間に感じた。
「――あ、そこ、自販機があるね! 三澄さん、何か買ってこようか?」
「いえ……、結構です」
下校中の買い食いは、禁止されてはいないが推奨されてもいない。比較的閑静な一角を見つけ、そこに備え付けられているベンチに腰を下ろして一息ついた。先輩も溜息をついて隣に座る。
「……三澄さんは真面目だね」
「よく言われます」
よく言われるのは事実だが、果たしてそうだろうかという疑問をいつも抱く。何か事件が起こらないと生徒たちや先生方にアピールできないではないかと考えている私は、本当に真面目と言えるのだろうか。
それに。
「真面目」という言葉が、決して賞賛の意味で使われていないことも私は知っている。
取り付く島もない回答に、先輩がまた溜息をついた。溜息の連続に、さすがの私もいらだちが募ってくる。
「……お暇そうですね。先輩も少し遊んで来られたらいかがですか。先ほど、あそこのゲーム機を、随分と熱心にごらんになっていましたよね」
ゲームセンターの中央あたりにあるバスケットシュートゲームを指さす。最初見つけたときはやたら目をやっていたのに、今は不自然なほど視界から外している。気にしているのがまるわかりである。
先輩がかすかに顔をこわばらせた。
「いや、そんなことないよ。俺もあんまりこういうところに来ないから、珍しくて色々見ていただけで」
「でしたらなおのこと、やってみられたらいかがですか? 葉琉先輩とご兄弟なのですし、ある程度はできるのでしょう? 実際はどちらの方が上手なのですか?」
露骨すぎる挑発を受けた先輩は唖然として私を見ていたが、やがて苦笑した。
「向こうに決まってるでしょ。俺はバスケなんて、体育の授業くらいでしかしてないよ」
そうしてさりげなく目をそらす。その仕草には身に覚えがある。
……きっと、今のは自分への言い訳だ。
何をしても勝てない、後からやってきて軽々と超越していく相手から、自分を守るための言い訳。
亜樹先輩を見ているとなぜイライラするのか、腑に落ちた。
「……そろそろ、帰りましょうか」
私もまた彼から目をそらして提案する。自分と似ている人間を挑発するなんて不毛でしかない。
立ち上がって歩き出すと、先輩が私の名を呼んだ。私は軽くお辞儀だけを返して、あとは 振り返らずに店を出た。
巡回も三日目。
沢山のお店が並ぶ賑やかな通りが、本日の巡回スポットだ。
見回りの手伝い期間は今週の平日のみだ。犯罪を惹起したいわけではないが、そろそろ成果がほしいところだ。
「え? でも、今回の目的は、犯罪を起こさないようにすることなんでしょ?」
私の赤裸々すぎる要望に、先輩は目を丸くして答えた。
彼はどうやら、昨日のやりとりにわだかまりは持っていないようだ。私も普段通りの態度で先輩の正論を無視し、ベンチに座って繁華街を見渡す。
本日も平和な夕方の光景がそこかしこで展開されている。
今日一日の義務を果たし、家路につくまでの短い時間。目にとまる人々の表情が緩んでいるのと対照的に、クレープ屋を見つめる先輩の顔は憂いに満ちている。
「先輩。そんなに食べたければとめませんので、ご自由にどうぞ」
「いや、だから、俺だけじゃなくて君も……。これは、一城の指示でもあるんだよ?」
亜樹先輩はスマホを見ながら困ったように言った。私はそれを意に介することなく鼻を鳴らす。
「だからこそです。会長の意味不明な指示には従えません。どうしてもというなら、理由を簡潔かつ合理的に説明して下さい」
「文化祭で、生徒会がクレープ屋をやるかもしれないから、その視察のためだと」
「却下です」
その後も先輩は、パイナップルの生ジュースはどうか、向こうにはパイナップル激盛りのパンケーキの店があるよと勧めてくる。
なぜ私がパイナップルに目がないことを知っているのか。
しかも、土地勘がないと言っていた割にはやけに詳しい。
それもこれも、おそらく会長からの情報なのだろう。先輩はずっとスマホを見ながら話しているから、逐一指示が来ているに違いない。
奴め、この状況を面白がり始めたようだ。しかし、なぜ私のパイナップル好きを知っている。
「うわ、三澄さん! 向こうのワッフル、パイナップルクリームとレモン風味のカスタードクリームを重ねた上に、パイナップルのシロップ漬けを挟んだ超・ふわふわワッフルだって! これは食べた方がいいんじゃない!?」
――うるさい、黙れ!
「……先輩。すみませんが、よろしければ三秒程そちらをお貸し下さい」
これ以上は耐えかねた。一言断り、亜樹先輩のスマホを借りる。素早く文章を送信し、宣言通り三秒で彼にお返しした。
「えっと……、『ねこみみ』とは?」
私が打ち込んだのはたった四文字。粘り強く調査をし、昼休みに手に入れたばかりの秘密の言葉だ。その不可解な文字列を、先輩は呆気にとられたように見つめている。
「生徒会に代々伝わる隠語です。重要事項なので、会長も、こちらに構っている余裕はなくなるでしょう」
予告通り、会長からの連絡はぴたりと止まった。
わざわざ先輩のスマホを拝借したかいがあった。私の本気度は十分伝わったようである。が、こんなに効果てきめんなのであれば、もっと重要な事に使えば良かったと悔やまれる。
先輩は謎の単語とおざなりな私の嘘に挟まれてだいぶ困惑していたが、しばらくしてからぽつりとつぶやいた。
「君は……、一城と仲がいいんだね」
「――は!?」
何を言い出すかと思えば。
その目と耳は節穴か。なぜこの人はこうも神経を逆なですることを言うのだろうか。
反射的ににらみつけそうになったが、かろうじて自制する。
「……なぜそんな風に思われるのか、理解に苦しみます。私はあの人を失脚させるために署名を集めていると、申し上げたはずですが」
「それは、そうだけど……。でも、信頼されてるっていうか。一城は、君をわざわざ副会長に任命したんだよね?」
「そうですね。大変迷惑なことに」
断ろうとしたのに、まんまと挑発に乗って言質を取られてしまったのだ。今でも思い出す度に頭が痛くなる。
声を荒げないようにするため、強く息を吐いた。
「逆におたずねしますが、先輩なら、どう思われますか。あんなふうに何でもできる人が身近にいて。……例えば、葉琉先輩とか」
「――っ」
亜樹先輩が息を呑んで私を見つめた。しかし、傷ついたような顔をしたのは一瞬で、すぐに何でもなさそうな表情を上書きする。やはり、慣れているのだろう。
だが、言いすぎた。取り繕い慣れた先輩が思わず感情を露にしてしまうほど、傷つけてしまう言葉だった。
嬉しそうにクレープを買っていく女子達の顔を、オレンジ色の光が照らす。今日も何事もなく三十分が終わる。
「――あれ? 副会長……? こんなところで何を……」
その時、声をかけられた。顔を向けると、体格のいい男子が大きなボストンバッグを持って佇んでいる。
「蓮沼さん」
私は呼びかけてベンチから腰を上げた。彼は、空手部部長の蓮沼だった。相変わらず大柄で、私と同じくらいの身長なのに迫力が圧倒的に違う。
「え。蓮沼さん……?」
鈴城先輩も慌てて立ち上がる。怪訝そうな声の中に、かすかな焦りが感じ取れた。夕焼けで見にくいのか、蓮沼部長が目を細める。
「……ん? ……お前、鈴城か……?」
「な、なんでここに……。確か自宅は、駅の側だったんじゃ……?」
「いや、母親が足をけがしてさ。入院しているから帰りに病院に――って、いや、それより、お前こそ何してるんだ。副会長と知り合いなのか?」
信じられないものでも見るように、鈴城先輩をじろじろと眺めまわす。
もしや、部長に説明していないのだろうか。尋ねようと口を開いたとき、鈴城先輩ががしっと蓮沼部長の首に腕を回した。
「ちょうど良かった! 部活のことでちょっとお話が!」
そう言って、引きずるようにして店と店の間に引きずって行く。体格の差を見ると蓮沼部長に軍配が上がると思ったが、背の高さ分だけ鈴城先輩の方が有利なのだろうか。「すずしろおおお……!?」という悲鳴が喧噪の中にあっけなく飲み込まれた。
彼らの姿が見えなくなって五分程。鈴城先輩が額の汗を拭きながら一人で戻ってくる。
「あの、蓮沼部長は……?」
話はもう終わったのだろうか。やけに早いお帰りである。一瞬、鈴城先輩の目に強い光が灯ったように見えた。しかし、ベンチに座った時には普段の穏やかな目つきに戻っている。
「――え? ああ、病院に向かったよ。急いでるみたいだったしね。それより、三澄さんて蓮沼さんと知り合いなの?」
「知り合いというほどでは。先日、下校時に病院に寄り道をしていいか聞かれたんです。校則に照らして問題ないとお答えしたくらいで、別に親しくはありませんね」
「そう。なら良かった……」
ほっと胸をなでおろしている。私は眉をひそめて追及した。
「良かった? 何がですか? もしかして、部長に断らずに無断でこちらに参加しているわけではありませんよね?」
「えっ? も、もちろんだよ! 部長は、知ってる……。うん、無断じゃないよ……」
「…………」
「えー、と……。そ、そういえば、今年の文化祭はクレープ屋をやるのかな?」
なんとも歯切れが悪い。しかも、話題の変え方があからさまだった。
しかし、これは彼の部の問題であって、もし不手際があったとしたら、それは部長に話を通していない会長の責任である。腑に落ちない部分はあるが、これ以上追求したところで、特に得るものはなさそうだった。
私は鈴城先輩の会話にのってあげることにして、少し考えてから答えた。
「さあ、どうでしょう。確かに、生徒会で何か出し物をやろうという話はでています。ですが、まだ具体的な話は何も出ておりませんし……」
先ほど出たクレープ屋の話は、おそらく会長の方便だろう。そう言うと、先輩はきょとんとした。
「え? そうなの?」
「ええ。まあ……、もしやるとしても、私は反対ですね」
「え? どうして?」
「……先輩は、去年の文化祭を覚えていらっしゃいますか? 去年まで生徒会は、実行委員と協力して、当日の見回りを担当していました。完全に裏方です」
「……うん」
「生徒の自主性を重んじる校風というのは、生徒会活動が活発なことと同義ではありません。私が思う生徒会は、様々な行事を主導したり、何にでも口を出すようなものではなく、あくまで縁の下の力持ちのような……。簡潔に言えば、生徒会は目立つべきではないと考えているのです」
今回の予算会議に関してもそうだ。全ては会長の提案から始まった。
――愛好会を含め、全ての部へ配分する部費の下限を、大幅に引き上げる。
どんな弱小部であろうと、まともに活動をするには一定の金額が必要だというのがその理由。
学校で部費として確保できる財源は毎年ほぼ同じである。相対的に、今まで高額な予算を得ていた部が減額されることになる。そういった不利益を被る部を説得するために、私達生徒会役員が走り回ることになったわけだ。
「会長の意見も納得できるところはあります。けれど、生徒会がそこまで強い権限を持つことには反対です。部費の配分に不満があるとすれば、それは各部の部長から発議するべきでしょう。会長は何でもできるから、全部自分でやってしまうのかもしれませんが、それでは周りが会長へ依存するだけです」
一方、私の場合は萎縮してしまう。
依存するか萎縮するか。二者択一を暗に要求する彼のような存在は、私にとっては目障りでしかない。
だから、会長とは相容れない関係だと伝えたつもりだったのだが、先輩の反応は違った。
ゆっくり瞬きをした後、感心したように息をついた。
「そうなんだ……。三澄さんは、やっぱり、すごいね」
「――は?」
「一城と対等に渡り合ってるからさ。俺の場合、引け目とか感じちゃって、張り合おうなんて考えたこともなかった。だから、すごいなって思って」
「同じですよ。すごいことなんてありません。やりたいことをやっているだけです」
「……うん。そう、なんだろうね」
奥歯に物が挟まったような言い方が、なんだか癪に障る。
似ているかと思ったが、違ったのかもしれない。似ていないから、イライラするのだ。
私は、利用できるものは利用する。きれいごとばかり言って何もしない亜樹先輩とは違う。
彼は、諦めているだけだ。諦めて、傷つかないための言い訳をしているだけ。
引け目を感じないなんて、そんなわけがない。会長の側にいて、能力の差を見せつけられるたびに、嫉妬心が渦巻いて息苦しいほどだというのに。
それでも、私は知っている。そこで足を止めてしまったら、この先何もできなくなる。自己嫌悪の沼に足を取られて、一歩も進めなくなってしまうのだ。
そんなの、自分の人生なのに、ばかばかしいではないか。
だから私は、無理にでも足を進める。転がり落ちながらでも、走り続けるしかない。
「先輩は、どうなんですか? 自分よりも、もっとうまくできる人がいたら、自分は何もしないんですか?」
「……ええと……、俺は……」
亜樹先輩は悄然とした面持ちで口をつぐんでしまった。またもや言い過ぎたことに気づく。
生徒会長の職以外のことで、何を熱くなっているのだろう。こんなことで激情に駆られてしまうなんて、いつもの私らしくない。
「失礼しました。先輩に対して不躾でした。……もう、時間が過ぎてしまいましたね。帰りましょう」
「あ……、うん」
歩き出すと、ためらいがちに後ろを付いてくる。そして、おそるおそるという風に口を開いた。
「そういえば……。明日はこれ、休みなんだね」
ああ、そうだった。連日、亜樹先輩と顔を合わせづらくなるような対応ばかりしてしまっているので、休みというのは正直助かる。
「明日は、部活動の予算会議があるんです。生徒会役員は全員出席なので、こちらはお休みさせていただきます」
もちろん、生徒会のヘルプである亜樹先輩もお休みだ。それは教師陣も了解済みだと聞いている。
私は、夕陽の沈んだ方角をなにげなく眺めた。
とうとう予算会議が明日に迫る。
会長の提案は多数決で可決されるだろう。賛成しなかった部は、当然、不満を抱く。私はそれを待って行動を開始する。
余計なことに気を取られている場合ではない。明日、ようやく、会長の解職請求に手が届くかもしれないのだから。
――だが。
予算会議、当日。
私は信じられない光景を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(――嘘……でしょう……?)
棄権、ゼロ。
反対、ゼロ。
出席者の全員が、手をまっすぐ上にあげている。
お気に入りの青い花柄のペンが、手から滑り落ちてかつんと軽い音を立てた。
進行役の生徒会長がおもむろに口を開く。
「――では、賛成多数により、今回の予算案を可決いたします」
――ありえない、ありえない、ありえない……!
会議が終わるや否や、私は早足で各部の部室をまわった。
生徒会役員による根回しや交渉は、到底間に合わなかったはずだ。少なくとも、バスケ部に対する交渉はうまくいくわけがなかった。それでも、予算案を可決するだけの過半数の承認は確保しているから、反対する部が多少残っていても、議案は通る。
私の狙いはそこだった。反対意見を無視された部――、特に、実績のある有力な部から不満が噴出するはずだと推測していたのだ。
――それなのに、フタを開けたら、全ての部が今回の提案に賛同していた。
全員一致。そんなの、ありえない。
うわべだけの賛成かと思った。しかし、会議後にどの部を尋ねても、会長への不満は感じとれなかった。それどころか、みな、良い結論を導き出したかのような、満足げな表情を浮かべている。
(何があったと言うの? 私が知らない間に、何が……?)
おかしなことと言えば、もう一つ――。
そこで、ぴたりと、足が止まった。
「あ……!」
私が巡回業務をしていた三日間。
放課後はまっすぐ現地に向かい、生徒会室に寄る暇はなかった。
(――そういうことか……!)
私は愕然とし、進行方向を変えて足を速めた。
「よくもやってくれましたね……!」
生徒会室に戻ると、そこには会長一人しかいなかった。
会議終了直後はいろいろと雑事が残っていたはずだが、あれからだいぶ時間が経っている。役員全員でさっさと終わらせたのか、それとも今日は早めに切り上げて細かい仕事は明日に回したのか。室内には、山場を無事乗り越えた興奮の残滓が漂うばかりで、いつものような喧噪はない。私は遠慮なく、怨嗟の言葉を正面に放った。
会長は私の訪問を予期していたらしく、読みかけの本を閉じてにっこりと微笑む。
「やあ、おかえり、三澄さん。部活巡りは終わったの?」
「全部、あなたの策略ですか、会長!?」
遠慮せずににらみつけると、彼は苦笑いをしながら頬をかいた。
「人聞き悪いなあ。もし巡回業務のことを言ってるんだとしたら、僕が止めるのも聞かずに飛び出していったのは君の方だろう?」
「――それもこれも、あなたが仕組んだんでしょう!?」
ようやくわかった。
私の性格と目的を正確に把握していた会長は、私の目を予算会議からそらすために、巡回業務というエサをちらつかせたのだ。
先生から書類を受け取った場面を見せたのは、おそらくわざと。さらに、そのメンバーとして海野を想起するようにさせたのもわざとだ。
なぜ、そこまでして。
理由を考えたら、チクリと胸が痛んだ。
「私が……邪魔だったからですか? 予算案決議の妨害をするのではないかと疑って、それで――」
「それは違うよ」
だが、これ以上ないくらいきっぱりと、会長は否定した。
「三澄さんがそんなことするわけないでしょう。君が生徒会を大切にしていることは、ちゃんとわかってる。それに、君を巡回業務に振り分けたくなかったのも本当。ただ、隠していても勝手にかぎつけて飛び出していくのはわかっていたし、それならばまあ、できるだけ安全なペアで、とは思ったけど」
「……やっぱり、仕組んだのは本当なんですね」
「あ」
会長がわざとらしく舌を出した。
ここにいるのが会長ファンの女子だったら、そのあざとい仕草に色めき立つところだろう。しかし、相手が私の場合は逆効果だ。私は眉間のしわをますます深くして、射殺しそうな目で睨みつける。
「ごめんね。騙したのは悪かったよ。予算の方も、実は、バスケ部については目処が付いていたんだ。鈴城先輩って、心を許した相手にはめっぽう弱い人だから」
「……は? それは、どういう――……」
沸騰しかかった頭の中で、今の会長の言葉を復唱する。
バスケ部の部費。心を許した相手。
――鈴城葉琉部長、そして、その兄弟である亜樹先輩の顔が浮かんだ。同時に、いろいろなことが腑に落ちる。
(まさか……!)
会長はいたずらっぽい笑顔を浮かべている。
「……誠意が聞いて呆れますね。幼なじみだろうと、先輩だろうと、容赦なく利用するなんて……!」
「それ、三澄さんにだけは言われたくないんだけど……」
「ということは、バスケ部以外もそうなんですね。例の演劇部のときのように、会長が裏工作をして――!」
演劇部が部費削減を快く了承したのには裏がある。彼らはこの政策に賛成する対価として、会長にコスプレをするよう要求したのである。猫耳コスプレ姿の会長の写真を売って部費の足しにしたらしく、むしろ削減前より大幅アップしそうだと喜んでいた。
「演劇部百人で一斉に土下座って、数の暴力ってやつだよね……」
その時の情景を思い出したのか、会長は遠い目をしてつぶやいた。
箝口令を敷くことと販売先リストを厳重に管理することを条件に、会長はこの要求を呑んだらしいので、割と本気で嫌だったのだろう。しかし、以前ノリノリで仮装していたこともあるし、それと何が違うのかよくわからない。
私が相槌も打てずに黙っていると、会長は気を取り直したように続けた。
「だけど、他は違うよ。みんなが毎日頑張っていたのは、三澄さんも知ってるでしょう? 君の資料も参考にさせてもらって、みんなで各部の状況を分析して、最適な予算額を算定したんだ。あとは、一人一人、誠意を込めて説得しただけ」
「……そんなことで、納得するわけが」
「納得してくれたんだよ」
会長は屹然として言った。
「逆に聞くけど、三澄さんは、みんなには無理だと思ってたんだ?」
「……っ!」
私は唇をかみしめた。
だって、そんなの、当たり前だろう。会長に聞かれるまでもない。どの部だって、部費の獲得には必死なのだ。生徒会役員のうちの誰を想定しても、そんな交渉術があるとは思えない。
しかし……。
みんな、やり遂げたのだと言う。会長も、彼らを信じた。信頼して任せたのだ。
――信じていなかったのは、私一人。
会長が立ち上がって近づいてくる。私は後ずさりしそうになる足を押しとどめ、無理矢理彼の目を見つめ返した。ほとんど残っていない、口の中のつばを飲み込む。
何か一言でも、言い返せたら。
――しかし、口からこぼれたのはまたもや質問だった。
「……なぜ、私を副会長に任命したんですか」
返答によっては、この場で辞任しようと思った。怒りを言葉にしてたたきつけて、会長の目の前から消え去ろうと。
だが、同時に、恐れがよぎった。
私には判らない、気づいていない、何かがあるのだろうか。
生徒会長選挙で圧倒的大差をつけられた敗者、自分に対する敵意を隠そうともしない相手を、側においておく意味が。
声が震えたのに気づかれただろうか。会長は、少し考えるような仕草をした後、笑うでもなく、怒るでもなく、事実を告げるだけのように淡々と答えた。
「なぜって、それこそ単純なことだよ。――三澄さんが、僕を嫌いだから」
「――……!」
今度こそ、何も言えなかった。
立ち尽くした私を置いて、会長は部屋から出て行った。私は遠ざかっていく彼の足音を、呆然として聞いていることしかできなかった。
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みぅ🤍🥀です!第1話読了しました〜! 副会長・三澄さんの会長への敵意と執着、すごく重たくて切なくてどんどん引き込まれました。特に「大嫌い」と言いながらも会長の行動に一喜一憂する姿が、彼女自身も気づいてない複雑な感情を感じさせて。亜樹先輩の登場も良いスパイスですね、双子の対比も気になるし、3人の関係が今後どう転ぶのか…楽しみです!🌙