木漏れ日が射す事さえ少ない、辺りは深い針葉樹林。
「はぁ……」
不意に洩らした吐息は、白く漂い消えていく。
この時期のこの地方は特に冷え込み始める。
霜月から師走へ。もうすぐ辺り一面が、白銀世界へ覆われる事だろう。
「異常は無し……と」
明朝見廻りに来てから半刻(約一時間)。それは“現在”は異常が無い事を意味した。
だけど油断は出来ない。
“今は良くても明日は?”
先の事は分からないし、考えても最善の策は浮かばない。
次の瞬間、今が崩壊する事も有り得る。
ただ、確実に危機が迫っている事は確かだ。
もう少しとの葛藤の狭間で、踵を返そうとしたその時だった。
「……あれは!」
視界の先に風景に溶け込まない、違和感なる“何か”が映ったのが見えたのは。
「まさか?」
いつでも対応出来る様、手に持った短刀の鯉口を切ったまま、警戒を以てゆっくりとその違和感に近付いていく。
その違和感に思わず目を疑った。
「……子供?」
木陰に寄り添う様に倒れていたのは、小さき人の姿。
白い着流しを身に纏うその姿は、雪の様に白い肌と相まって、まるでこの世とは別離された幽体の様な。
それでいて儚げなまでに消え入りそうな美しさに、暫し魅入られている事に気付く。
「――はっ!」
一瞬我を失っていたが、流れる様な黒髪と幼い顔の造りが、間違いなく人である事を再認識させた。
その姿を見渡して更に目を見張ったのが、足首が赤黒く変色した咬痕と、左手に握り締められている、幼きその姿が持つには余りに不釣り合いな――
「これって……刀?」
鞘から柄に至るまで白を象徴する、一振りの日本刀だった。
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眼を開くと其処に飛び込んできたのは、木造の見知らぬ天井。
「…………」
何故己が此処に居るのか、理解するのに暫しの刻を要する。
布団に寝かされている事と、辺りを見回して思う事は、此処は紛れもなく人の手による建造物内にである事。
畳や襖の造りから、此処はある程度の屋敷内で在る事を推測する。
「――っつ!」
状況思考の合間に割り込む様に、僅かだが鈍い痛覚に気付き、自らの左足首を確認。
其処には包帯が巻かれており、完璧に処置が施されていた。
状況から何者かが此処に運び、手当てを施したと見て間違いないだろう。
「そもそも此処は一体……?」
朧気な記憶を辿ってみるが、途中で意識が途絶えた影響か、状況を上手く整理出来ない。
ふと“ある物”が自分の傍らに無い事に気付く。
見回すが、やはり何処にも無い。
“奪われたのか無くしたのか?”
そうこうしている間に、部屋の襖が静かに開いた。
「あっ! 目が覚めたのね? 良かった……」
襖を開け、意識の戻ったその姿を見て、そう部屋内に入って来る人物。
長く艶やかな黒髪が象徴で、穏やかで柔らかい表情の美しい少女だ。
それは誰が見ても、思わず見惚れ癒されてしまうかも知れない。
年の頃は十七、八位だろうか? 白と赤を基調とした民俗風巫女衣装を纏うその姿は、一般的な巫女姿とは少し毛並みが違う。
どちらかというと、身軽さ重視の戦闘向き。
「貴女が助けてくれたのですか?」
傍らにちょこんと座った少女に対し、少女より更に一回り幼く見える黒髪の白い少年は問い掛けた。
その口調は何処か落ち着いていて、ある意味大人びて聞こえるのは杞憂だろうか。声帯の事では無い。声変わりもしていない中性的な声質だが、年相応には不釣り合いな程、落ち着き過ぎているのだ。
「ええ。あの森の生き物は、外敵に対して牙を剥くの。君が咬まれたのは恐らく毒蛇ね。もう少し遅かったら危なかったのよ」
少女は少し戸惑いながらも、その少年の問いに応える。心なしか、その表情には何処か憂いを感じさせた。
「それはありがとうございます。この借りは必ず返しますゆえ」
少年は礼を述べ、少女へ深々と頭を下げたが、やはり何処かズレている印象だ。危機感といった類いを感じない。
それより此処が何処なのか? お互い何者なのか? 一体どういう状況下で?
「あ……あのね」
まだ肝心な事を口にしないそれは、お互いが警戒を以て牽制し合っている様にも感じられる。
「ところで……」
「えっ!?」
どちらかというと、言いあぐねている感じの少女を遮る様に。
「白い刀を見ませんでしたか?」
そう開口一番、この少年が持っていたあの白い刀の所在を尋ねていた。
切れの長く、何処か熱を感じさせない無機質な爬虫類の如き漆黒の瞳で、しっかりと少女を見据えて。
少女はその瞳に一瞬ゾッとする、悪寒の様なものを感じた。
どう生きて来たらこうなるのか?
その瞳には何も無い。ただ闇が、虚無の世界だけが広がっていた。
「あっ! あの刀ならこちらで預かってるの。あとね、起きたばかりでごめんだけど……ちょっと来れるかな? 起きたらすぐ連れて来る様に言われててね……」
どう見ても只者ではない事は明らか。だが伝えられた事は遂行するのみ。
少女は何故か悲しそうな表情で、“本題”を少年に問い掛けた。
「いいでしょう」
少年は特に疑う事もせず、苦も無く立ち上がると少女と共に部屋を出て、ある場所へと向かう。
「そういえばまだお互い名乗ってなかったわね。私はアミ」
アミと名乗った少女はふと思い出したかの様に、自分の後ろを歩く少年に振り返り問い掛ける。
「えっと……君の名前を教えて貰えるかな?」
「ああ……。名前ですね」
少年は表情を変える事なく、そっと口を開く。
「私は……ユキヤと呼びます」
少年は誰に語りかける訳でも無いかの如く呟いた。
“呼びます”と。
それはまるで他人事の様に。