テラーノベル
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第15話 次の種
戦争は起きなかった。
月から何かが降ってくることもなかった。
地球から月へ向けて、怒りの火が走ることもなかった。
砂漠が一夜で世界を飲むこともなかった。
ただ、朝が来た。
いつもより少し騒がしい朝だった。
ニュースはまだ月内部の森を映していた。
HASAの隠蔽記録は、毎日少しずつ公開されていた。
人類月到達計画の作業場では、技術者たちが眠そうな顔で部品を運んでいた。
有楽派は森を守れと訴え続けた。
枯れ敵派は乾いた土地にも暮らしがあると叫び続けた。
人類独立派は、誰にも未来を預けるなと集まり続けた。
何も終わっていなかった。
けれど、何かは始まっていた。
ユウは校舎裏の畑にいた。
最初に接触種子を拾った場所。
トマトの支柱は直されている。
土はまだ少し乱れている。
HASAの調査跡も残っている。
フェンスの外には、今でも数人の報道関係者が立っていた。
けれど、前のような怒号はない。
かわりに、見守るような沈黙があった。
ミハルはしゃがみこみ、ノートを開いていた。
「ここから始まったんだね」
ユウは畑の土を見た。
「うん」
「まさか月まで行くとは思わなかった」
「種だと思っただけだったし」
ミハルは少し笑った。
「普通、しゃべる種は拾わないよ」
「拾ったあとにしゃべったんだよ」
胸元の接触種子が、かすかに温かくなった。
リウの声が響く。
厳密には、しゃべっていない。
ミハルが顔を上げる。
「聞こえてる?」
聞こえている。
「最後まで細かい」
細部を見落とす者は、森も砂も見誤る。
ツカサが校舎裏へ入ってきた。
古い軍用風ジャケットの袖をまくり、手には小さな袋を持っている。
「また説教か」
リウの声が返る。
記録だ。
「便利だな、その言葉」
ツカサはユウの横に立ち、袋を差し出した。
中には種が入っていた。
有楽の種ではない。
地球の植物の種だった。
「何これ」
ユウが聞くと、ツカサは少しだけ目をそらした。
「人類独立派で集めた。月の種に頼るだけじゃなく、地球の種も残せって話になった」
ミハルがぱっと顔を上げた。
「すごい」
ツカサは顔をしかめる。
「すごくない。普通だ」
リウが言った。
普通を積むことは、軽くない。
ツカサは何か言い返そうとして、やめた。
「まあ、そういうことにしとく」
畑の端に、HASA広報官が立っていた。
灰色のスーツではなく、動きやすい作業服を着ている。
胸のバッジは小さな布袋に入れられ、首から下がっていた。
前より、少しだけ人間らしい顔をしていた。
「こちらも持ってきました」
広報官が差し出したのは、古い箱だった。
中には、凍結されていた研究資料の写しが入っている。
GPS類似計画。
有人衛星計画。
地球環境観測案。
かつて止められた道の記録。
ミハルはそれを見て、静かに言った。
「隠さないんですね」
広報官はうなずいた。
「隠せば、また同じになります」
「信用されたと思わないでください」
ツカサが言う。
広報官は苦く笑った。
「分かっています」
リウの声が響く。
信用は、求めるものではない。
ユウが続けた。
「積むもの」
ミハルも言った。
「何度も」
ツカサがぼそっと言う。
「失敗したら、記録」
広報官が静かにうなずいた。
「はい」
畑の土に、風が通った。
ユウは小さな穴を掘った。
そこへ、ツカサが持ってきた地球の種を一粒置く。
その横に、リウが送った有楽の小さな種を置く。
さらに、砂の都市から持ち帰った乾いた砂を、ほんの少しだけ寄せた。
ミハルが息を止める。
「混ぜるの?」
ユウはうなずいた。
「森だけじゃなくて、砂だけでもなくて」
ツカサが言った。
「簡単に混ぜたら危ないだろ」
「だから、ここで見る」
リウが静かに言った。
「小さく試す。記録する。広げるかどうかは、芽を見て決める」
広報官が端末を起動した。
「記録を開始します」
ミハルもノートを開いた。
「こっちも」
ツカサは腕を組みながら、足元の土を見ていた。
「なんか、世界の未来って感じにしては小さすぎるな」
ユウは種に土をかぶせた。
「でも、種って小さいよ」
その時、接触種子が光った。
畑の上に、月内部の森が映る。
巨大な幹。
河川。
水路。
有楽たちが飛び交う姿。
その中に、ラカがいた。
濃い灰色の羽。
太い緑と黄色の尾羽。
くちばしの傷。
ラカは種まき隊を率いて、別の荒野へ降りていた。
有楽は変わらず種をまいている。
誰に知られても。
誰に疑われても。
何万年も続けてきたように。
画面の端に、砂の都市も映った。
カラザがいた。
巨大な殻を静かに傾け、砂の地図を見ている。
枯れ敵は変わらず砂漠を広げようとしている。
けれど、その地図の一部には、昨日より細い線が増えていた。
避ける線。
保留の線。
見守る線。
カラザの声が、かすかに届いた。
人間は、まだ決まっていない。
ユウは土に手を置いた。
「そうだよ」
カラザは答えなかった。
画面は消えた。
畑には静けさが戻る。
遠くの教室から、生徒たちの声が聞こえた。
授業は再開している。
天体の授業も変わった。
教科書は間に合わない。
先生たちは手探りで、月の森の映像を使いながら話している。
太陽系。
無重力空間。
月面着陸の秘密。
HASAの隠蔽。
有楽と枯れ敵。
子どもたちは質問し、大人たちは答えに詰まり、また調べる。
それもまた、始まりだった。
ミハルがノートに書いた。
戦争は起きなかった。
でも、終わっていない。
ユウはその文字を見て、うなずいた。
本当に、終わっていない。
有楽は人間を完全には信用していない。
枯れ敵は人間を自然破壊生物と見ている。
HASAは過去の責任を抱え続ける。
人類月到達計画は、失敗するかもしれない。
月へ行く道が、また争いになるかもしれない。
今日まいた種が、芽を出さないかもしれない。
芽を出しても、誰かが踏むかもしれない。
それでも、ユウは土から手を離さなかった。
「ユウ」
ミハルが呼んだ。
「うん」
「これ、未来かな」
ユウは土を見た。
まだ芽は出ていない。
ただ、土が少しだけ盛り上がっている。
その中に、地球の種と、有楽の種と、砂の記憶が眠っている。
「分からない」
ツカサがため息をつく。
「またそれか」
ユウは笑った。
「でも、見てる」
リウの声がした。
それでよい。
広報官が端末を閉じた。
「この記録も公開します」
ミハルがうなずく。
「私の記録も」
ツカサが畑の外を見た。
有楽派の人が、フェンスの向こうで静かに頭を下げている。
人類独立派の数人が、種の袋を持って待っている。
枯れ敵派の老人もいた。
砂の都市にいた女性から預かった乾いた土地用の知識を持っているらしい。
三つの勢力は、まだ混ざっていない。
でも、同じ畑の前に立っている。
それだけでも、前とは違った。
ユウは立ち上がった。
月は昼の中で薄く見えた。
その裏側には森がある。
今日も有楽たちは森を育てている。
水路を整え、種を運び、地球を見ている。
その目はきっとまだ厳しい。
でも、接続は切れていない。
地球の下では、砂の都市が続いている。
枯れ敵たちは砂を読み、乾いた土地を守り、広げる道を探している。
その目もまた厳しい。
でも、カラザは見ている。
人間がどう変わるのかを。
人類は、ようやく自分たちの足元を見始めている。
無重力空間へ向かう機体は、まだ完成していない。
GPS類似網もまだない。
天体の知識も足りない。
だけど、隠された道は開いた。
もう一度閉じることは、簡単ではない。
畑の土が、かすかに動いた。
ミハルが息をのむ。
ツカサも身を乗り出す。
広報官が端末を構える。
ユウは膝をついた。
土の表面が割れる。
細い芽が出た。
緑。
とても小さい。
頼りない。
風が吹けば消えそうなほど弱い。
けれど、それは立っていた。
ユウは息を止めた。
ミハルのペンが紙の上で止まる。
ツカサは何も言わない。
リウも黙っている。
小さな芽は、地球の未来なのか。
それとも、次の争いの始まりなのか。
誰にも分からない。
芽はただ、土を押し上げていた。
答えではなく。
約束でもなく。
問いのまま。
ユウはそっと笑った。
「次の種だ」
リウの声が、静かに響いた。
次の樹セカイは、まだ遠い。
ユウは芽を見つめた。
「うん」
遠くても。
見えなくても。
自分の命より先でも。
今日、ここに置けるものがある。
月の裏側では、今日も有楽たちが森を育てている。
地球では、人類が初めて、自分たちの記録を自分たちで見つめ始めている。
砂の都市では、カラザがきっと地図を見ている。
そして、この小さな畑で。
新しい芽が、風に揺れていた。
物語は終わらない。
樹セカイと枯れセカイのあいだで。
森と砂のあいだで。
月と地球のあいだで。
人間は、まだ選び続ける。
次の樹セカイへ向かって。
コメント
1件
ああ……読み終わったあと、しばらく動けなかった。戦争が起きなかった朝、それだけで胸がいっぱいになったよ。特に最後の芽が土を押し上げる場面、「答えではなく、問いのまま」って言葉がすごく響いた。何も終わってないけど、確かに何かが始まってる感じがして。小さな種から、ちゃんと未来が息づいてるんだって思えた🌱