コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「熱が40度近くもあるぞよ。医者に参ろう」
「アカン。ゴホゴホッ! ア、アタシ、健康保険証持ってきてないねん。大阪のおかんのタンスの引き出しに入ったままや。ゴホッ! お金もないし、病院行かれへんわ……」
「そ、そのようなことを申している場合ではないぞ」
熱に加えて咳と鼻水。
頭も痛いし、関節──特に抜けた肩が──ジワジワ痛む。
喋るたびに炎症した喉が引き攣った。
「アタシ、病気なんてしたことなかったのに……。パンツ盗まれたショックと花阪妖精事件、あと目の前で壮絶な出家シーン目撃したから……だから……」
「もう喋るな。ほれ、水を飲め」
「あ、ありがとう、ももたゴブッ! 伝染ったらアカンからマスクして。ホンマはアタシがしたらいいんやけど、鼻水ドロドロでマスクの中に鼻水たまるねん。気持ち悪いからアカンわ」
「余のことは良い。自分の身体をいとえ」
「も、ももた……ウッ!」
お姉にもワンちゃんにも見捨てられたアタシを、信じられないことに桃太郎が献身的に看病してくれた。
「ほれ、粥ができたぞ」
やたら真っ茶々なお粥を作ってくれたり、生ぬるいアイスノンをおでこに乗せてくれたり。
こういう時に人間の真価っていうのが分かるんやな。
桃太郎……優しいし? 思いやりあるし? 意外と頼もしいし?──すべてにおいて疑問符が付くのは否めないが。
でも無理矢理追い出そうとしていたことが、今更ながら申し訳なく思えてきた。
「ホ、ホンマに感謝してるねん。ゴホゴホ。ありがとうな、桃太郎。この家にずっといて……ゴフッ! ゴッ、ガッ! グヘッ!」
「この家にずっと……何じゃ? はっきりと申してみよ」
恐ろしいセリフを口走りそうになり、咄嗟にフトンを噛んだ。
「アカンて! アタシ、アカンってば!」
アタシは今、病気で心が弱ってるだけや。
ここにいてもいいよ、なんて口走ってみ?
一生この変人に付き纏われるかもしれん。
「そんなん、ゴメンや!」
アタシが激しく首を振ると、桃太郎は向こうに顔を向けて「チッ」と舌打ちした。
ふぅ。危ない、危ない……。
その後は看病に飽きたかのように部屋の隅に行って、昨日買ってきた文庫本を読みだした。
カバー背にマジックでタイトルが書かれている。
『今からでも間に合う株式入門──絶対損をしないために』
──桃太郎、アンタは一体、何を目指してるの? どこへ向かおうとしてんの?
桃太郎が読書にいそしんでいる数時間、静かに時は流れた。
さすがにお姉がマトモなお粥を持ってきてくれたり、毛布を貸してくれたりしたので症状はかなり治まってきた。
アタシは小学校の頃を思い出していた。
風邪をひいて学校を休んだ時のあの時間の流れ方。
本来なら勉強をしているはずなのに、あたたかいフトンで公然とゴロゴロしていられる。
ゆっくりと時は流れ、お母さんはいつになく優しい。
あの時の何とも言えない幸福感──思い出すだけでアタシ、泣きそうになる。
そんな静かな時間が無残に破られたのは、かぐやちゃんの登場と同時だった。
絶世の美青年は、派手にドアを開け放って我が物顔でアタシの部屋に入ってきたのだ。
今更言うまでもないが、アタシが病に伏した女性であるという意識は一切持ち合わせていないようだ。
「体調を崩したと聞いたが? 気をつけろ。一日4リットルの水分を摂り、ビタミンCを意識しつつ野菜中心の食生活を心がけるんだ。夜明けは急激に気温が下がるから腹を冷やさないようにし、90分の倍数の睡眠時間を心がけろ。つまり1時間半、3時間、4時間半、6時間……といった単位での睡眠だ。各国の軍隊は就寝時間に関してそのシステムを採用している」
「ぬぅ……」
……一気に熱、上がった。
かぐやちゃんは言いたいことだけペラペラ喋ってる。
まだ1回もアタシの方を見てない。
多分、遠くの戦場が見えるんやろ。この人の目には。
「じゃあ、どの国の軍でもいいから入ったらいいやん。ゴホッ。それとも、アンタも竹から生まれたから戸籍がないって言い張るか?」
「?」
かぐやちゃんはポカンとしている。
「竹から? 何を言う……」
唐突にマトモな反応をされて、アタシは急に恥ずかしくなった。
そこへ桃太郎が割って入ってくる。
「かぐや殿、そちは見舞いに参ったのか。邪魔をしにきたのか。リカ殿は病に伏しておるのじゃ。ささ、出て行きたもれ」
そう言ってかぐやちゃんを外へ追い出した。
「も、桃太郎、ありがとう」
一風変わったこの小男が何だか頼もしく見えてくる。
でも、絶対に言わん。
この部屋に住んでいいとは絶対に言うまい。
「のぅ、リカ殿」
桃太郎が穏やかな調子で話しかけてきた。
再びのアタシの失言を狙っているのは明かだ。
用心しながらも、アタシはつい気を許していた。
「肩が外れるとはどういった感覚なのじゃ、リカ殿。痛いのか?」
「そりゃ痛いで。どういうって……ちょっと説明は難しいけどな。とにかく痛いねん。腕が普通の状態ちゃうねん。体はこっちにあるけど、腕だけ前の方に持っていかれた感じやねん。泣きそうになるで」
「左様か。何故、そのようなことが癖になってしまったのじゃ」
実はな、とアタシは声をひそめた。
「中学でバドミントン部に入ってん。はりきって練習してたら初日に脱臼して。それから外れやすくなって、結局2週間で辞めてしもてん」
それ以来、事あるごとに肩が外れる。
「みんなには内緒やで? なんで肩外れやすいのってよく聞かれるけど、言うの恥ずかしいやん」
「フフ。余とそちの秘密じゃの」
照れたように桃太郎が笑った。
アタシも何だか嬉しくなる。
下らないことだけど、秘密を共有しているという感覚が、この桃太郎をかけがえのない友のように思わせていた。
翌朝。
アタシが中学のバドミントン部で脱臼したという話はアパート中に広まっていた。
廊下ですれ違い様に「ダサッ!」とオキナに笑われ、アタシは怒りで吠える。
「桃太郎の奴! 何が余とそちの秘密や。ベラベラ喋りくさって! もう誰も信じへん!」
オキナに対する怒り? 桃太郎に対して?
それとも不甲斐ないアタシ自身に?
もうワケが分からんわ!
「29.ボクの××は聖水だよ~それは不毛な名言」につづく