「ね、くるみ。そんなわけないって分かっちょるじゃろ? 俺はキミととおるんが一番楽しいし、何よりも幸せなんに。出来たらこのままずーっとずーっとくるみちゃんと一緒におりたいし、何なら死ぬまで一生キミの顔を見続けたいって思うちょる。朝もくるみちゃんの横で目覚めて夜もくるみちゃんの顔を見ながら眠りに就きたいんよ……。俺がどんだけキミのことを好きで好きでたまらんか分かっちょるくせに……俺の気持ちを勝手に否定せんで?」
思わず勢い余ってそんな風に一気にまくし立てて、目の前のくるみが大きく瞳を見開いた後、「実篤さん……」と小さくつぶやくなりうるりと目元を潤ませるのを見てやっとハッとした。
(え、あ……。ちょっと待って。俺、今……)
深く考えなくても分かる。
たったいま感情のままに吐露してしまったあれこれは、完全にプロポーズの言葉じゃないか。
(マジか……)
テンパり過ぎにも程があるじゃろ!と自分にセルフつっこっみを入れてから、実篤は腹をくくった。
(えーい、もうこうなったらこのままっ!)
思いながらグッと拳を握りしめると、潤み目のくるみに視線を合わせた。
「――木下くるみさん。俺と……結婚してください」
そこでゴソゴソとポケットに手を入れて、
「あ……」
思わず間の抜けた声を上げてしまった。
***
ここ! というところで急にくるみの顔を見詰めたまま実篤が眉尻を下げるから、
「……実篤、さん?」
くるみは「はい」とも「いいえ」とも言えないままに実篤を見遣った。
「あ、あのっ、ごめん! 俺……! ちょ、ちょっと待っちょってくれる? すぐ戻るけん!」
そうして、あろうことかそんなくるみを置いて実篤は席を立ってしまう。
***
(え? まさか……トイレ!?)
緊張の余りもよおしてしまったのだろうか。
思えば実篤。今日はデートの間中ずっとソワソワと落ち着きがなかったではないか。
まくし立てるようにくるみにプロポーズをしてくれたけれど……それで緊張がピークに達してしまったのかも知れない。
せめて自分が彼のアプローチへの返事をするまでくらい我慢して欲しかったけれど、もしもトイレなら生理現象だ。
くるみは大人しく待つしかないと思って……小さくコクッとうなずいたら、実篤はそれを確認するなり慌てたように走って行ってしまう。
しかもトイレの方ではなく、店の出入り口すぐのところに置かれたコート掛けに向かって、彼の上着を掴むから。
(えっ!? うち置いて行かれるん!?)
さすがに不安になって、思わず立ち上がってしまったくるみだ。
そんなくるみに、そこここから皆の視線が集まる。
くるみは自分に集中する好奇の視線にさらされて、どうしたらいいのか分からなくなって、中腰のままうつむいた。
その瞬間、極限まで目に溜っていた涙がポロリとテーブルクロスの上に落ちる。
(実篤さんっ、うち、うち……)
座ることも立つことも出来ないまま。くるみは一人、いたたまれない気持ちで一杯になった。
***
実篤はコートの中からお目当てのものを取り出すと、くるみが中腰のままうつむいているのに気が付いた。
(……くるみちゃん?)
まさか自分の行動が彼女をめちゃくちゃ不安にさせてしまっただなんて思いもよらないまま、とりあえずくるみに集まった視線を牽制するみたいに睨みをきかせながら席へ戻った。
そうしてくるみのそばまで行くと、そっと彼女の肩に手を載せてくるみを着座させて、自分はそのまま彼女のそばにひざまずく。
下から見上げたくるみの目からポロリと涙が頬を伝うから。実篤は親指の腹で彼女の涙をそっと拭って「俺の不手際のせいで不安にさせたね。……ホンマこんな時までしまらん男でごめん」と謝った。
「これ、なんじゃけど――」
言って、パカリと指輪ケースのふたを開けると、胡乱気な表情で実篤を見詰めるくるみに、ダイヤの付いた婚約指輪を見せる。
「スーツのポケットに入れちょるつもりじゃったんじゃけど……コートの方に入りっぱなしになっちょったんよ」
それを取って来ただけだと示唆してから。
「こんな時までグダグダでカッコ悪うてホンマごめんね。じゃけど……くるみちゃんを思う気持ちだけは誰にも負けんつもりじゃけ。俺、心の底からくるみちゃんと家族になりたいって思うちょるんじゃけど……どうかな? ……なって……くれる?」
情けないほどに心臓がバクバクしているのを感じる。
指輪を差し出している両の手が震えないよう一生懸命力を込めてはいるけれど、その努力がくるみに気付かれていないだろうか?
そんな思いにぐるぐると支配されながら、実篤はうつむいたままのくるみの顔をじっと見上げ続ける。
片ひざをついた、このいかにもプロポーズをしていますと言う王子様然とした自分の格好が、強面な面貌とは余りにも不釣り合いな気がして……今にも顔から火が出そうなぐらい恥ずかしい。
くるみが実篤の言葉に「はい……、喜んで。よろしくお願いします」とうなずいてくれるまで、実際はほんの数秒だったにも関わらず、走馬灯と言うのはこういう風に瞬時に駆け巡るのだと身をもって実感した実篤だ。
走馬灯を見たと言っても、別に今際の際なわけではないのだけれど、瀕死の状態に近かったことは否めない。
「くるみちゃ……」
ホッと気が抜けて実篤がその場にへたり込んだのと、周りから「わぁー」と言う歓声とともに「おめでとう!」と拍手がわき起こったのとがほぼ同時で、実篤はどれだけ自分たちがこの店内で目立つ行動をしていたのかを今更のように思い知った。
実篤同様、目を白黒させながら真っ赤な顔をしたくるみが、それでも嬉しそうに、照れくさそうににっこり微笑むから……実篤はその笑顔に励まされるように立ち上がった。
店中から寄せられる祝福の声に、仕事で培った綺麗な所作で一礼すると、実篤は改めてくるみに向き合って、
「くるみ」
敢えて愛しい恋人の名を呼び捨てにして、そっとくるみの小さな左手を握る。
実篤がどこかぎこちない様子でくるみの薬指にキラキラ輝くダイヤ付きの婚約指輪をはめている間、くるみはずっと幸せそうに実篤の顔を頬を赤らめながら見つめて、指輪が光る左手を見てポロポロと嬉し涙を落とした。
「うち、今日のこと絶対に忘れません」
泣き笑いをしながらくるみが言うのを見て、「グダグダん所は割愛して……?」と実篤が眉根を寄せるから、くるみはますますとびっきりの笑顔になる。
「実篤さんとじゃったら、絶対笑いの絶えん幸せな家庭が作れると思います!」
そう言って、くるみがすぐそばに立つ実篤にギュッとしがみついた瞬間。
周りから、更に大きな拍手が巻き起こった。
実篤の腕に抱かれたくるみはもう、周りからの注目に不安になって泣くことはない。
そうして今この時から……木下くるみは栗野実篤の大切な大切なたった一人のフィアンセになった――。
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