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第3話「お祭り屋台とふしぎな味」
夜のような昼だった。
空は水ににじんだ墨のようで、だけど提灯だけは、まるで何も知らずに明るかった。
「ここ、屋台が出るんだよ」
ユキコが言った。
ナギの隣で、ゆっくり歩いている。長い髪が揺れるたび、肩から下の輪郭がにじむ。
ワンピースの布地は風に舞うけれど、その風はナギには感じられなかった。
「……夜じゃないのに?」
「夜だよ。たぶん、ここでは」
ユキコは答えた。声はやさしくて、でもどこか温度が抜けている。
小道を抜けると、そこには祭りの景色が広がっていた。
屋台が並び、金魚の水槽が静かに揺れ、焼きそばの湯気が空気を曇らせている。
でも、誰も喋っていなかった。
音が、なかった。
「あのね、ここの屋台のごはんって……味が、自分で決められるんだよ」
ユキコはナギに、紙のチケットを差し出した。
しわしわの赤い券。何度も誰かの手を通ったような、あたたかさのない紙だった。
ナギは、ひとつの屋台に並んだ。
ミネという女の子がいた。髪はまとめられ、エプロンの柄が古い花の模様だった。
隣では、アサギという妹らしき子が、水風船を手のひらでころがしている。
「かき氷……何味にする?」
ミネが言った。
声の出し方を忘れていた人のように、少しずつ音を思い出すような喋り方だった。
ナギは、少し迷ってから答えた。
「メロン……だったと思う。たぶん、好きだった」
差し出されたかき氷は、たしかにメロン色だった。
だけど、ひとくち食べた瞬間、ナギの目がすこしだけ見開いた。
「……これ……」
味が、メロンじゃなかった。
もっとなにか……なつかしいものの味。
小学校の帰り道、汗をかいた手で握っていた麦茶のパック。
誰にも言わずに泣いた日の、口の中のにがさ。
「なつかしいって、おいしいんだよ」
ユキコが、少しだけ笑った。
ナギは、もうひとくちだけ食べた。
そのあと、スプーンを置いて、空を見上げた。
空は、今日も貼りついたように動かなかった。
ただ、遠くのどこかで、太鼓の音がひとつ鳴った。
それは、夢が終わる合図にも似ていた。