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ハチさんの茶屋の店先には、一本の木が立っていた。
通りがかりのタカさんが、ふと足を止める。
「おいおい、ハチさん」
「なんだい、タカさん」
「この木は、お前のかい?」
「ああ、そうだよ。うちのもんさ」
タカは木を見上げた。
実に見事な木だった。
「こいつ、何か実をつけるのかい?」
「秋になるとね、立派な梨がなるんだ」
「ほう。そいつは美味いのか?」
「まあね。家族や近所に配ってるけど、評判はいいよ」
それを聞いて、タカは言った。
「それはもったいないな。そんなに美味いなら、売ればいい金になるだろう」
「茶屋と梨売り、両方やればもっと儲かるんじゃないか?」
ハチは少し考え、その年の秋、試しに梨を売りに出してみた。
すると、町中で評判になり、梨は飛ぶように売れた。
「こいつはいいものを手に入れたな。何もしなくても、金が生まれるじゃないか」
その噂を聞きつけ、隣町からも人が訪れた。
だが、その年の梨はすでに売り切れていた。
「いやあ、せっかく来てもらったのにね。もう全部売れちまったんだ」
「そうか……もっと早く来ればよかったな」
それを見送りながら、ハチは思った。
(この木が、もっと実をつけたら……)
翌日から、ハチは梨の勉強を始めた。
摘果、肥料、消毒。良いと聞いたことは、すべて木に与えた。
すると次の秋、梨は去年より多く実った。
翌年も、その翌年も。ハチは学んだことを、欠かさず木に施し続けた。
梨の実りは、年々増えていった。
──だが、ある年を境に変化が起きた。
どれだけ世話をしても、実りは増えない。それどころか、木そのものが弱っていった。
枯れる寸前になった頃、ひとりの旅人が茶屋を訪れた。
旅人はお茶を一口すすり、言った。
「ご主人、あれは梨の木かい?」
「ええ、そうです。ですが……」
ハチは木を見て、目を伏せた。
「枯れそうなんです」
旅人は木を眺め、静かに言った。
「ずいぶん、無理をさせたようだね」
「こいつが元気になる方法は、ひとつだけだ」
ハチは身を乗り出した。
「そ、それは?」
旅人は、少しだけ笑った。
「何もしないことさ」
その日から、ハチは梨の木に手を加えるのをやめた。
肥料も、消毒も、摘果もしなかった。
ただ、そこにあるままにした。
すると次の年、梨の実りは、最初の頃と同じ量に戻っていた。
多くはないが、十分だった。