テラーノベル
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僕はしばらくその口の動きを見つめた。「k、z、h」
もう一度。
ゆっくり。
まるで答え合わせみたいに。
名前を覚えろと言いたいわけじゃない。
ちゃんと伝えたいだけなのが分かった。
喉が少し詰まる。
そんなことだけで。
そんな当たり前のことだけで。
胸の奥が妙に熱くなった。
kzhは首をかしげる。
「お前は?」
口の形だけでなんとなく分かった。
僕は慌てて鞄を開き、ノートを引っ張り出した。
ペンを握る指が少し震える。
『kne』
そう書いて見せる。
kzhはノートを見て、すぐに笑った。
「kneな」
その時、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴った。
__たぶんだけどね
音は聞こえない。
けれど周囲の生徒たちが一斉に席へ戻り始めたから分かった。
先生が入ってくる。
教室の空気が授業用のものに変わる。
kzhも自分の席へ座った。
授業が始まる直前。
ふいに机の上へ小さなメモが滑ってきた。
振り返る。
後ろの席のkzhが何食わぬ顔をして前を向いていた。
メモを開く。
『読唇術ってやつ?』
思わず目を丸くする。
普通は聞かない。
聞こえないことを知った途端、気まずそうに距離を取る人の方が多い。
なのにこいつは。
好奇心を隠そうともしない。
僕は少し考えてから返事を書く。
『そう』
少し迷って。
もう一言付け足した。
『全部は分からない』
紙を後ろへ回す。
数秒後。
また返ってくる。
『じゃあ俺、今まで結構ひどかったな』
意味が分からず振り返る。
kzhはペンを走らせる。
『自己紹介の時、めちゃくちゃ早口だった』
思わず吹き出しそうになった。
実際には声は出ない。
でも肩が震えた。
kzhが目を見開く。
それから嬉しそうに笑った。
まるで、
「今笑っただろ」
と言っているみたいだった。
その日の放課後。
帰る準備をしていると、教室の前方で数人の男子がこちらを見ていた。
昼休みに弁当を落とした時の連中だった。
目が合う。
すぐ逸らされる。
けれど何かを話しているのは分かった。
その時だった。
「kne。」
不意に名前を呼ばれた。
正確に、そう口が動いた。
kzhだ。
教室の出口で手を振っている。
「帰るぞ。」
その言葉だけは、読めた。
僕は少し戸惑う。
一緒に帰る理由なんてない。
今日初めて話した相手だ。
なのに。
kzhは当然みたいな顔をしていた。
『方向同じ?』
スマホの画面を見せてくる。
僕は少しだけ考えてから頷いた。
するとkzhは笑う。
『じゃあ決まり』
その文字を見た瞬間。
教室の奥から突き刺さるような視線を感じた。
昼休みに笑っていた連中だ。
たぶん面白くないんだろう。
変わり者同士がつるみ始めたように見えるのかもしれない。
でも不思議だった。
今までなら、その視線だけで息が苦しくなっていたはずなのに。
今日は少し違う。
教室の出口には、待っている人がいる。
それだけで。
床に散らばった卵焼きを見つめて動けなくなっていた昼休みが、ずいぶん遠い出来事みたいに思えた。
コメント
2件
第3話、読み終わったよ! kzhが「俺、今まで結構ひどかったな」って気づいて謝るところ、めちゃくちゃ良かった…。ああいうの、すごく優しいし、ちゃんと相手のこと見てる証拠だよね。 それに、教室の出口で待ってる人がいるだけで、あの日の昼休みの辛さが遠く感じられるラスト、胸にきた。 続きが気になる!