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月の光
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ようやく霞柱邸での稽古を卒業できた隊士の人に告白された。
恋人がいないなら自分のことを考えて欲しい、生涯の伴侶として一緒に生きて欲しいと言われた。
丁重にお断りした。
そして、抱き締めて欲しいと頼まれた。何となく、嫌だなって思ってしまって。それもお断りして、代わりに握手で次の柱のところへ行く彼を励ました。
どうして嫌だと思ったの?ギョッコとかいう鬼と戦った後、蝶屋敷から帰ってきた時はみんなと男女関係なく抱擁したのに。
でも理由を考えたって仕方ない。嫌なものは嫌なんだから。
無一郎くんとぎゅってするのはものすごく嬉しくて幸せで。彼が抱擁してくれるのが密かな楽しみになっているくらいなのに。
お別れを告げた筈のその人が、急に向き直って戻ってきた。そして、私の頭を手で固定して、覆面の布の上から唇を押し当ててきた。
彼は清々しい表情になって、今度こそさっさと他の3人のところへと走っていってしまった。
突然の出来事に固まってしまった。
私、口づけされたの??でも実際、覆面の上からだったし、相手の口が触れた場所も唇の上の、人中と呼ばれる部分が大部分を占めていたから。唇同士ではなかったし、それは口づけとは言わないのかな?
とりあえず、よかった。
……“よかった”?
どうしてそう思ったんだろう。
口づけをされてもいいと、されたいと思う相手がいるから?それは誰?
ふと、無一郎くんの顔が思い浮かんだ。
抱き締め合いたいと、彼に口づけされたいと、一瞬思ってしまった。
一気に頬が熱くなった。
何を考えているの。無一郎くんは家族も同然な関係で。守るべき存在で。大事な人で。大好きな人。
口づけしたい、なんて、恋仲の相手に対して思うことじゃないの?
“茉鈴!”
“いつもありがとう”
“茉鈴、大好きだよ”
“茉鈴の作ったごはんが食べたい”
無一郎くんの言葉や笑顔が頭に浮かんでは消えていく。
有一郎くんのことだって大好きだった。それは今だって変わらない。大事な、大好きな幼馴染みだもの。
でも、違う。無一郎くんへの好きと違う。
いつから?
分からない。
急に自覚してしまった、無一郎くんへの恋心。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……
心臓が胸の中で大暴れしている。
さっきの人に口づけ(…のつもりだったんだろうけれど唇ではなかったし)されたことなんてどうでもよく思えて、とにかくこの火照った顔をどうにかしなきゃと、私は仕事に取り掛かったのだった。
お洗濯を終えて、道場に顔を出す。
無一郎くん、いるかな……。
無意識のうちに、そんな考えが頭に浮かんでくる。
あれ?いない。
隊士のみんなは、この時間自主練だと言われて各々頑張っていたらしい。
無一郎くんの姿が見られなくて残念と思う反面、彼の顔を見て冷静でいられるか心配だったからほんの少しだけほっとした気持ちもあった。
みんなと少し手合わせをして。梅ジュースを差し入れて。食べたいおかずを聞きにきたりして。
何かと用事を作って道場に来たけれど、午前中はとうとう、無一郎くんは現れなかった。
みんなにお昼ごはんの案内をしてから、私は買い出しに出掛けた。
食べ盛りの男の子が大勢いるから、しかも1日中身体を動かしているから、みんなものすごい食べる。大量の食材を調達してもすぐにまた買いに行かないといけない。
ちょっと大変だけれど、みんな毎回喜んで私が作ったごはんを食べてくれる。おかわり用のお鍋の中も空っぽになるまで全部。それが嬉しくて、ついついたくさんの種類のおかずを作ってしまうの。
『…よし、これで全部かな』
何軒ものお店を梯子して、大量の食材を荷車に乗せ、引っ張って帰る。
『あ』
お化粧品のお店の前で足が止まった。
少し前に蜜璃さんと立ち寄ったお店だ。
店先の棚に並べられた新作のお化粧品。
口紅も、アイシャドウも、頬紅も、どれも綺麗な色。
“茉鈴、お化粧してる?”
“すごく綺麗”
顔を見せてと頼まれてそうした時の無一郎くんの言葉を思い出した。
あの時はまだ、自分の気持ちに気付いていなかったけれど、いつもと違う無一郎くんの、どこか熱を帯びたような視線にびっくりして。頬に触れられて少しドキドキしたのを覚えている。
今持っているのと違う色のお化粧道具を使ったら、無一郎くんは気付いてくれるかな。“綺麗”って言ってくれるかな……。
どうしても、考えることの中心が無一郎くんになってしまう。
しばらくお店の前で商品を眺めて、思い切って新しい口紅を購入した。
蜜璃さんが買ってくれたのはコーラルピンクの可愛らしい色味の口紅だったから。今回は少し赤に近いピンク色の口紅にした。
覆面をしているから紅を引いたって誰にも見えないのに。
でもいいの。次いつまた無一郎くんが顔を見せてと言ってくるか分からないし、いつ彼の気まぐれが出てもいいように。何より、これで唇に色を足すことで、私自身の気分が明るくなるんだから。
私は買ったばかりの口紅を大事に胸元のポケットに入れて、荷車を引いて霞柱邸に戻った。
買ってきたものを食料庫に入れて、すぐに使うものは台所に運んで。
お夕飯の仕込みが一通り終わってから、楽しみすぎるあまり、一旦自室に戻ってさっき購入した口紅を塗ってみた。
…わ……!
少し濃いかな?…いや、いいかも。
ただ、今日は目元も頬も、蜜璃さんに買ってもらったコーラルピンクの口紅に合わせたお化粧だったから。さっき買った色にはまた別のを合わせないと顔がちぐはぐな感じになっちゃう。
手持ちのお化粧道具を見てみる。
あ、この色とこの色は今日買った口紅と合うかも。
これとこれを足したらちょうどよくなるかな。
『…ふふ。楽しい…』
色の冒険はまた今度にして、私は再び覆面を着け、台所に戻っていった。
『皆さん、お夕飯の用意ができましたよー!』
「「「うおおおおっ!」」」
毎回こんな雄叫びをあげながら、一斉に広間へと駆けていく隊士のみんな。喜んでもらえて何より。
あ、無一郎くんみっけ。
胸がドキドキする。頬もほわっと熱を帯びていく。
平常心、平常心。
覆面を着けていてよかった。
『無一郎くん。お疲れ様』
「…あ、茉鈴」
あれ?
『なんか元気ない?疲れちゃった?』
「ううん、大丈夫。いま元気出た」
無一郎くんがにっこり笑った。その笑顔に心臓を鷲掴みにされる。
「今日の夕ごはんは?何人かに何が食べたいか希望聞いてたんでしょ? 」
『うん。そろそろここでの稽古を卒業できそうな人にね。私が勝手にそう思っただけだけど。…今日はね、ごはんと、豚の生姜焼きと、ほうれん草の白和えと、揚げだし豆腐と、胡瓜の浅漬と、玉子が入ったお味噌汁と、デザートにフルーツカクテルも作ったよ』
「どれも美味しそう。ふろふき大根は?」
『もちろんちゃんと作ってあるよ』
「やった。早く食べたい」
『いっぱい食べてね』
「うん」
何気ない会話がこんなに嬉しくて幸せなんて。
私、無一郎くんのことすごい好きじゃない……。
「美味しい!」
『ふふ。よかった!』
大好きなふろふき大根を頬張り、嬉しそうに笑う無一郎くん。
生姜焼きの豚肉でごはんを巻いて食べる無一郎くん。
数回息を吹き掛けてから少しずつお味噌汁を啜る無一郎くん。
まだおかずがあるのに、デザートのフルーツカクテルをちょこっとお匙で掬って食べる無一郎くん。
今までの好きと違うって気付いてから、急に彼の一挙手一投足が気になるようになってしまった。何をしていても愛おしいと思ってしまう。
もっとお話したいな。ずっと一緒にいたいな。
無一郎くんは私のこと、どう思っているの?やっぱり仲のいい幼馴染み?
彼も私と同じ気持ちでいてくれたらいいのに。
顔をほころばせて食事をする無一郎くんの隣で、 私も覆面を捲ってお茶を飲みながら、少し切ない気持ちになった。
今日も隊士のみんなが手伝ってくれたおかげで片付けが早く終わった。
「茉鈴」
私の名前を呼ぶ、大好きな人の声。それだけで胸が高鳴る。
『無一郎くん。どうしたの?』
いつも通りを意識しながらたずねる。
「明日は勤務?」
『ううん。お休みなの。朝までは勤務だけど、お昼前からお休みに入るんだ』
「そっか。何か予定があるの?」
『明後日までお休みだし、実家に帰ろうかなって。たまには顔を見せてやらないと拗ねちゃうから。お父さんが』
私の言葉に、父の娘溺愛っぷりを思い出したのか、無一郎くんが笑った。
「それはいっぱい親孝行してあげなくちゃね。おじさんとおばさんによろしく伝えて」
『うん。無一郎くんが記憶を取り戻したって手紙に書いたら、すごく喜んでたよ。ずっと気に掛けてたから』
「そうなんだ。ありがとうございます。僕も近いうちにまた茉鈴の店に挨拶に行きますって伝えてね」
『うん。喜ぶと思うよ。今度お休みが重なる日に一緒に行こうか。有一郎くんと、2人のご両親のお墓参りもしよう』
「!…うん、行きたい」
私が提案すると、無一郎くんがほんの少しだけ目を潤ませて嬉しそうに微笑んだ。
次の日。朝ごはんの片付けを終えて、他の隠の人に申し送りをしてから勤務を交代する。
隠の制服ではなく、私服の着物に袴を身に着けて霞柱邸を後にした。
途中で休憩を挟みながら2時間程歩いて、懐かしい我が家に帰り着いた。
どんなに忙しくても月に一度は帰省しているというのに、両親(特に父)ときたら、帰ってくる度に私を見るなりものすごい勢いで抱き締めにくる。
ちょっと。私もう16なんだけど。お店のお客さんもいるところでやめてよ。
「あら、茉鈴ちゃん。こんなに美しいお嬢さんになって」
「おっちゃんがあと30若けりゃなあ」
「鬼殺隊で頑張ってるのよね。素晴らしいわ」
顔馴染みのお客さんたちも喜んで話し掛けてきてくれる。
ここで暮らしていたあの頃は、まさか自分が鬼狩りをするなんて思ってもみなかった。
無一郎くんから聞いた話で初めて、鬼の存在や鬼殺隊という組織を知ることになった。
本当は剣士になりたいと言っていた無一郎くんと、たった1人の肉親を守らんと常に気を張り続けていた有一郎くん。
今ではもう、有一郎くんは空へと旅立って、無一郎くんは鬼殺隊の最高位である柱に、私は隠となった。
“あの日”、私がもっとしつこく2人を引き留めていたら。胸の中で渦巻く不安をもっと上手に説明できていたら。運命は変わっていたのかもしれない。
でも過ぎたことをいつまでもうじうじ悩んでいるわけにもいかない。
この先の未来の私が、過去の自分に対してちゃんと堂々と胸を張れるように、今できる精一杯のことをするまで。鬼舞辻無惨を倒して、この世から全ての鬼を葬り去るまで。この命を懸けて大事な人たちを必ず守る。随分前にそう決めたんだから。
穏やかな夜。窓から月明かりが射し込む。しんと静まり返った部屋に響く、規則正しい時計の音。
普段から不規則な生活をしている為か、ちょっとしたことでもぱっと目が覚めるけれど、貴重な睡眠時間を無駄にできないので寝ようと思えばすぐに眠れる。
何事もなく朝までぐっすり眠った。
午前中はお店を手伝い、お昼ごはんを済ませてから鬼殺隊に帰る準備をする。
両親やお客さんたちに別れを告げて、また2時間程度歩いて霞柱邸に戻った。
『ただいま戻りました。皆さん、稽古お疲れ様です!』
「わっ!宝生さん!」
「おかえりなさい!」
「私服めっちゃくちゃ可愛いっすね!」
夕方、茉鈴が帰ってきた。
地元のおみやげを持って僕や隊士たちがいる道場に来てくれた。
「茉鈴、おかえり」
『ただいま帰りました』
まだ私服姿の茉鈴。露草色の着物に常磐緑の袴。可愛い。髪にはずっと前に僕と兄さんがあげた蜻蛉玉の簪。今でも着けてくれているんだ…。嬉しいな。
いつもと雰囲気が違う……。なんだか大人っぽくて。なんでだろう。
丸2日も空いていないのに、茉鈴が恋しくて堪らなかった。早く帰ってきてって思っていた。稽古の間は集中しているけれど、そうじゃない時はずっと彼女に会いたいって思っていた。
抱き締めたい。今すぐ。力いっぱい抱き締めて、彼女の温もりを感じたい。
でも今はだめだ。みんないるし。
茉鈴が持ってきてくれたお茶とおみやげのお菓子で少し休憩してから、夕食までの時間、また稽古をした。
夕食を食べ終えて、隊士たちは順番にお風呂に入ったり自主練をしたり部屋で談笑して過ごす。
僕も今夜は柱同士の稽古はお休みだから、久し振りに屋敷でゆっくりできる。
綺麗な満月だなあ。大きくて近い。
茉鈴と一緒に見たいなあ……。
ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。
次の満月の夜、こんなにゆっくりできるとは限らないから。
僕は思い切って茉鈴のところに向かった。
「茉鈴……。いる?」
自室から返事がない。
そっと襖を開けると、茉鈴が障子の向こうの縁側に腰掛けているのを見つけた。
あれ?何か聞こえる。……音楽?
カララ
『あっ、無一郎くん!』
障子と窓を開けて傍に行くと、そこでようやく僕に気付いた茉鈴がこちらを振り返った。
『どうしたの?』
「ん…。なんか、一緒にいたいなと思って。…その……、月もこんなに大きい満月なかなか見られないから」
『そっか。嬉しい』
茉鈴がにっこり笑った。心臓が大きく脈打つ。
『座ったら?』
「…あ、うん」
自分の隣をとんとん、と叩いた茉鈴の横に腰掛ける。
「…綺麗な音楽だね。この音、ぴあのって言うんだっけ?」
『うん。いいでしょ。“ドビュッシー”っていうフランスの人が作った、“月の光”って曲なの』
「月の光……」
茉鈴が蓄音機を操作し直した。
曲が初めから再生される。
「あ、ごめん。途中だったのに」
『ううん。最初もすごく綺麗だから一緒に聴きたくて。だから気にしないで』
「!…ありがとう」
本当に、曲名の通り、静かな月の光に照らされた景色を安易に想像できるような音楽だった。
僕は音楽には詳しくないし、ましてや西洋の音楽なんてどんなものがあるのかもよく知らない。でも、茉鈴と聴くこの曲が、とてつもなく美しいのは分かるよ。
「……曲調が変わったね」
『うん。月も太ったり痩せ細ったり明るかったり雲に隠れたりするでしょ?この曲も色んな月の様子を色んな曲調で表現してるのかなーって』
「なるほど」
低い音が階段を登って下りるみたいに動く。
高い音がきらびやかに鳴る。
時に激しく、時に波が引いたように静かに音が遠退いていく。
透き通るような優しい音。
地の底から這ってくるような重々しい音。
仏蘭西の言葉は分からない。でも、遠く離れた異国の地に生まれた顔も知らない人が、僕たちと同じように月を見て、その美しさを愛でていたんだと思ったら。太陽の光と同じように誰にでも平等に降り注ぐ月の光が、とてもとても尊く感じた。
曲は終盤みたいだ。
次第にゆっくりと、音が空へと溶けていく。
たっぷりと余韻を残して、その場の静寂を取り戻した。
「…すごくいい曲だったね。聴かせてくれてありがとう」
『うん。大好きなんだ、この曲。無一郎くんと一緒に聴けて嬉しかった。月の光を見ながら月の光を聴くなんて贅沢な時間過ごしちゃった 』
茉鈴が笑った。月の光に照らされて、いつもより一層綺麗に見えた。
「………。今日の茉鈴、なんかいつもと違うなって思ってたんだけどさ。…お化粧変えた?」
違ってたらごめん。そう思いながら聞いてみると、
『気付いてくれたんだ。嬉しい。この間新しい口紅を買ったの。いま付けてるのがそれね。口紅に合わせてアイシャドウとか頬紅の色も少しいつもと違う色にしてみたの』
そう言って嬉しそうに笑う茉鈴。
「そうなんだね。瞼も少しきらきらしてるし、その口紅の色も大人っぽくて。……その…、綺麗だよ……。すごく…」
言いながら頬が熱くなる。茉鈴が急に大人の女性に見えて。僕を真っ直ぐに見つめてくるその琥珀色の瞳に吸い込まれそうで。
『えへへ。ありがとう』
照れたように笑う茉鈴。
ああ、やっぱり僕、茉鈴のことが好き。
僕だけに向けられたその笑顔を、可愛くて綺麗なその笑顔を、これからもずっと見ていたい。守っていきたい。
「… ね、茉鈴。この後も少し話せるかな?」
『うん。勤務は明日の朝からだし、仕込みもないからゆっくり大丈夫だよ』
「そっか、よかった。………。……あのね…」
僕は意を決して、隣に座った茉鈴の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、深呼吸をひとつして口を開いた。
続く
コメント
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やっぱ、両思いだったのかー!! すごく好きな展開に進んでいっててすごく楽しみでーす!😊