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junp_Sn-Fk.
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そのとき、ふいに思い出した。
少し前、お台場の海岸で、 夜の海を背にして、ただ、互いにふざけて、冗談みたいに顔を近づけて。
ほんの一瞬、唇が触れた。
あれは悪ふざけだった。
そのあと何事もなかったみたいに過ごしてきた。
だから、あのときはそれで終わったのだと思っていた。
けれど今になって、そのときの感触が、ひどく鮮明によみがえってくる。
あのときは、 ただの冗談だったはずなのに。
今は違う。
もう、離れる理由なんてどこにもなかった。
唇と唇のあいだに残されたわずかな距離が、ひどく長く感じられる。
触れる直前で、ほんの一瞬だけためらう。
それから、そのためらいごと溶かすように、そっと唇を重ねた。
その瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。
無防備なその唇に触れてしまった。
なんがかひどく取り返しのつかないことをしてしまったような気がして、慌てて唇を離す。
目の前にいる彼は、何も知らずに眠っている。
お台場の海岸でふざけて触れた唇と、今ここにある唇は、同じものなのに、まるで別のものみたいだった。
離れたはずなのに、まだそこに触れているような感覚だけが残っている。
柔らかかった。
思っていたより、ずっと。
その記憶が、離れたばかりの唇に何度も蘇る。
息をすることさえ忘れていたことに気づいて、ようやく小さく息を吐いた。
けれど、胸の高鳴りは収まらない。
むしろ、離れたことで余計に強くなっていた。
康二くんは何も知らずに眠っている。
その無防備さを前にすると、罪悪感で胸が痛む。
それなのに――その痛みさえ、妙に甘く感じてしまう。
一度触れてしまったことで、知らなければよかった感触を知ってしまった。
お台場で笑いながら触れた、あのときの唇まで、今はまるで違う意味を持って胸の中に残っている。
もう、知らなかった頃には戻れない。
そう思った瞬間。
けたたましいスマホのアラームが、静かな部屋に突然鳴り響いた。
康二くんは、まだ少し眠そうな顔で横たわる身体をゆっくりと起こした。
「もう、こんな時間なんやな」
窓の外には眠った街が広がり、遠くを走る車の音だけが、ときおり夜の底を静かに揺らしている。
「そろそろ出るな。」
そう言って、康二くんが立ち上がる。
その言葉を聞いた途端、部屋が少しだけ広くなった気がした。さっきまで隣にあった体温が、もうすぐ消えてしまう。
「ラウ、今日はありがとうな」
「ううん、こちらこそ。本当に来てくれてありがとね。」
本当は、礼を言われるようなことなんて何もしていない。
眠っている彼の無防備さに甘えて、唇を重ねてしまった。
あれは優しさなんかじゃない。
ただ、自分の気持ちに負けただけだ。
康二くんは何も知らない顔で荷物をまとめている。その横顔を見るたびに、胸の奥がひやりと冷える。
もしかしたら、薄く目を覚ましていたんじゃないか。
気づいていて、それでも何も言わないだけなんじゃないか。
そんな考えが浮かぶたび、さっき触れた唇の記憶だけが、ひどく熱を帯びて残っていた。
「じゃあ、またな」
「うん。またね」
いつもなら何気なく交わせる言葉なのに、今夜は妙に重かった。
ドアノブに手をかけた康二くんが、もう一度こちらを見る。
「明日はオフなんやろ。ちゃんと寝ぇや」
そう言って笑う。その笑顔が、いつもより少し遠く見えた。
ドアが静かに閉まる。
それだけのことなのに、部屋は急に静まり返った。さっきまでそこにあった笑い声や寝息、彼の気配までもが、夢だったかのように遠ざかっていく。
俺はしばらく、閉じたドアを見つめていた。
まだ夜は終わっていない。
それなのに、俺の夜だけが終わってしまったような気がした。
FIN