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隠居生活が始まって一週間
森の屋敷は、俺が編み直した多層結界によって外界から完全に遮断され、平穏そのものだった。
だが、屋敷の内部では、連日「音」が絶えない。
──シュンッ、ドォン!
庭の方から響いたのは、乾いた風切り音と、それに続く重苦しい衝撃音だ。
俺が書斎の窓から外を覗くと、そこには案の定
地面に深々と突き刺さった薪割台と、その横で呆然と立ち尽くすルナの姿があった。
「……ルナ、言っただろ。薪を割れと言ったんであって、地面を耕せと言ったんじゃない」
俺が声をかけると、ルナはビクッと肩を跳ねさせ
持っていた斧を慌てて背後に隠した。
彼女の足元には、真っ二つになるどころか、粉々に粉砕された薪の残骸が散らばっている。
「……あ、う……」
「謝らなくていい。力加減の問題だ」
俺は階段を下り、庭へと足を踏み入れた。
彼女は俺と目が合うと、きゅっと唇を噛んで俯く。
その頭には、あの日贈った青薔薇の髪飾りが陽光を浴びてキラキラと輝いていた。
「いいか、ルナ。お前が今まで叩き込まれてきたのは『全力をぶつける』ことだけだ。だが、生活……いや、魔法の神髄ってのは『余力を残す』ことにある」
俺は彼女の背後に回り、その細い肩を抱くようにして、斧を握る手に自分の手を重ねた。
驚いたのか、ルナの体がわずかに強張る。
だが、すぐに俺の体温を受け入れるように、ふにゃりと力が抜けた。
「魔力を指先に集中させる。だが、放つのはその一割……いや、一分(いちぶ)でいい」
「残りの九割は、自分の体内で循環させろ。そうすれば、力は破壊ではなく『制御』に変わる」
俺の手を通じて、彼女の魔力の流れを誘導する。
荒れ狂う奔流のようだった彼女の魔力が、俺の干渉によって穏やかな小川へと姿を変えていく。
「今だ。振り下ろせ」
すとん、と軽い音を立てて斧が落ちた。
薪は見事な放物線を描いて左右に分かれ、心地よい音を立てて地面に転がる。
ルナは目を丸くして、自分の手と、綺麗に割れた薪を交互に見つめた。
「…………ん!」
彼女が嬉しそうに、小さな拳を握る。
その無垢な反応を見ていると、かつてギルドで「効率」と「成果」だけを追い求めていた自分が馬鹿らしく思えてくる。
俺が教えるべきは、世界を滅ぼす禁呪ではない。
薪を割り、火を熾し、茶を淹れる──
そんな、当たり前の「生」の技術だ。
◆◇◆◇
それから三ヶ月が過ぎ───…
辺境の森は、静寂だけが贅沢に流れている。
俺は午前中にルナの魔力操作を指導し、午後は庭
で薬草を育てたり
元ギルドの連中が「助けてくれ」と泣きついてくる手紙を暖炉にくべて楽しむ毎日を送っていた。
「ルナ、今日の訓練はここまでだ。少しは力の抜き方を覚えたか?」
俺が声をかけると、庭の木陰からルナがスッと姿を現した。
かつてのボロボロの布切れではない。
俺が仕立て直させた、動きやすいが上品な濃紺のドレスを纏っている。
胸元にはあの「青薔薇の髪飾り」が陽光を反射して輝いていた。
彼女は無言で頷くと、俺の元へ歩み寄り、当然のように俺の手を自分の頭へと導く。
最近の彼女は、訓練が終わるとこうして「報酬」をねだるようになった。
「……ん」
頭を撫でてやると、ルナは喉の奥で微かに満足げな音を漏らし、瞳を細める。
その姿は、かつて奴隷市で氷の棘を撒き散らしていた化け物とは程遠い。
だが、その足元
彼女の影は、以前よりもずっと濃く、鋭く波打っていた。
「いい傾向だ。影の中に魔力を溶け込ませる感覚、忘れるなよ」
俺がそう告げた瞬間だった。
森の結界が、外部からの侵入を知らせる不快な振動を伝えてきた。