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ほむぺ⋆*
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初夏の眩い陽射しが下町の石畳を白く照らし、軒先に吊るされた硝子の風鈴が涼やかな音でちりんと鳴る。
店の戸を開けた向井は朝日を浴び乍ら、ふぁ、と大きな欠伸と一緒に伸びをした。
「、っはぁー…ええ朝やぁ…。」
雲一つ無い、清々しく晴れ渡る空を見上げ、向井の口角が自然と上がる。サスペンダーを小さく直したその時だった。
「康二。お早う。」
向かいに店を構える『宮舘呉服店』の暖簾の奥から、上品な和装に身を包んだ宮舘が穏やかに声を掛けた。
「舘さん、お早う!」
向井が無邪気な笑みを返すと、宮舘は優しく目を細め、彼に問い掛ける。
「朝餉は済ませた?」
「………、えーと…。」
不意の問いに向井は分かり易く固まり、その目を泳がせた。
「その顔は…未だみたいだね。」
「いやぁ、一寸修理に夢中になってもうて。」
「だと思った。ほら。」
宮舘は予め用意していた様に、袖口から掌に包んでいた竹の皮の包みを差し出した。
「えっ、ええの!?」
「食べないなら照にあげちゃうよ?」
「あかん!食べます食べます!」
取られるまいと向井は慌てて受け取ると、その温度はまだ仄かに温かかった。店先に置かれた木製の長椅子に腰掛けて竹皮を解くと、ふっくらと握られた大振りの握り飯が顔を出す。《戴きます!》と向井が大きく口を開けて頬張ると、甘辛く煮詰められた子持ち昆布の旨味が口一杯に広がった。
「うんまぁ…。」
「ふふ、お茶も淹れてあげるから、ゆっくりお食べ。」
「いつもおおきにな!」
「うん。」
爽やかな風が吹き抜ける。其の心地良さを感じ乍ら、向井がもぐもぐと食べ進めていると、
「おーい。康二、お早う。」
「照兄!お早う!」
通りの角から大きな影が近付いてくる。声を掛けたのは『岩本工務店』の半纏を纏った岩本だった。がっしりとした肩に大きな木材を軽々と担ぎ、長い脚で歩いてくる。
「涼太に飯貰ってんのか。」
「えへへ。」
「笑って誤魔化すな。」
長椅子の前で足を止めた岩本は握り飯を頬張る向井を見下ろし、呆れた様に笑った。
「本当、飯抜く癖直んねぇな。」
「時計優先してまうねん。」
「早死にするぞ。」
「何やねん縁起でもない!其れに照兄やって、」
口一杯に握り飯を詰め込んだ侭にもごもごと抗議する向井の横へ、熱い湯気の立つ湯呑み二つを盆に乗せた宮舘が戻ってきた。
「やっぱり照だった。お早う。はい、此れ。」
宮舘は柔らかな笑みを浮かべ、もう一つの竹の皮の包みと湯呑みを長椅子に置いた。
「お早う、涼太。いつも悪いな。」
「今朝、良い鯖が手に入ったから塩焼きにして照の分も握っておいたんだ。」
「焼き鯖!?えっ…嬉し。今食お。」
担いでいた木材を壁に立てかけ、半纏の袖を無造作に捲り上げると岩本は嬉しそうに握り飯の角を即座に頬張る。
「…やっぱ美味ぇ…。」
先程まで向井に向けていた呆れ顔を緩ませ、しみじみと味を噛み締めながら口元を動かす彼の姿に、向井はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。
「ほらぁ、照兄も舘さんの手料理いっつももろてるやん!」
「五月蝿ぇ。おめーは余計な事言ってねぇで、とっとと食って淹れて貰った茶でも飲めって。」
照れ隠しに岩本がぐっと大きな拳を突き出して脅してみせると、向井は《わぁっ!?》と大袈裟に声を上げて身を引いた。そんな二人の他愛も無い遣り取りを宮舘は盆を抱えながら温かく見守っている。
「こらこら、照。康二を苛めないの。康二、熱いから気を付けて飲んでね?」
「おおきに、舘さん。ほんま舘さんのお茶は落ち着くわぁ…。」
「別に苛めてねぇよ…。」
岩本が不服そうにぼそりと呟くと、宮舘が可笑しそうに笑った。向井も釣られて笑い、熱い茶を一口啜る。
そんな何気ない朝が、向井にとっては当たり前だった。誰かが飯を持って来てくれて、下らない事で笑い合う。
──向井には、血の繋がった家族はもう居ない。
それでも、この下町には彼の愛しい場所があった。
そして、約束の三日後の夕刻。古書店巡りの帰りに店を訪れた目黒を待っていたのは、店内の行灯の光を浴びて弾ける様な向井の笑顔だった。
「閣下!ご覧下さい、動きました!」
向井が差し出した銀の懐中時計。その文字盤の上で古びた繊細な針が、規則正しく滑らかな軌跡を描いていた。
店内に静か乍ら懐かしい刻の音が響く。
目黒は時計を手に取り、そっと耳を寄せる。止まっていた時間が再び動き出した静かな音に目を閉じる。
「少しだけ曲がっとった軸を直して磨き直しました。これで又、閣下と一緒に時間を刻めますね?」
誇らしげに鼻を鳴らす向井の額には、微かに油の汚れが残っていた。何れ程寝る間も惜しんで此の針を残してくれたのか、云われずとも解った。
目黒は何度か小さく頷くと、パチン、と時計の蓋を慣れた手付きで閉じて云った。
「…礼を云う。」
「へへ、どういたしまして!又調子悪なったら、何時でもお持ち下さい。」
無邪気に笑う彼の表情に、ふと目黒は尋ねた。
「工賃は如何程だ?」
「えっ?そんなん要りませんよ?」
「何、?」
至極当然と云う様に、向井がきょとんとして首を傾げた。驚きに丸くなったその瞳には、一切の打算も嘘偽りもない。
「…そんな訳無いだろう。」
目黒の低い声に冷たい圧が混ざる。対価を払わぬ侭立ち去ることなど、目黒家の威信に掛けても、一人の男の矜持としても許されない。
「いやいやいや、閣下からは頂けませんて!大切で貴重な逸品に触れさせて頂けただけでもう充分ですよ。職人として、其れだけで感無量なんです!」
向井は慌てて首を横に振る。額にうっすら汗を浮かべ、本当に受け取る気が無いのだと必死に訴えかけてきた。
「………。」
目黒の眉間にすっと深い皺が刻まれる。自分の意志が裏目に出て、彼を不快にさせてしまったのではないか…そう察した向井はあたふたしながら、必死に頭を回転させた。
「あ…、あっ!」
閃いた様に康二が声を上げる。
「ほんなら、五銭!五銭だけ頂いて、後は定期的にいらっしゃってください。相当古い代物とお見受けしたんで、多分又直ぐ油が切れたり狂いが出たりします。調整だけやったら工賃は要りませんし…どないです?」
強引に押し通そうとする向井の『五銭』という破格の提示に、目黒は一瞬だけ言葉を詰まらせた。そして、静かに衣嚢から小さな代物を取り出し、作業机の上に事もなげに置く。修理の三日間に亘り、目黒が身に付けていた向井の店の代替の時計。
「此の時計の借用代を含めて今回は一円、調整一回五銭だ。」
「…えぇ…?まぁ、閣下がええなら…。」
出された一円札と返却された安い時計を見比べ、本気で困った様に向井が頭を掻く。一円であっても、此の下町では相当な大金だ。
「世話になった。」
困惑する向井を一瞥し、目黒は躊躇いなく踵を返した。
「あ、有難う御座いましたぁ…。」
余りに不納得な金額の遣り取りに隠れてしまいそうだったが、其れでも向井は見逃さなかった。世間から 『氷の伯爵』と恐れられ、冷徹な軍人として名を馳せる男が、借りていた安物の時計を作業机に戻した其の一瞬の手付きを。
傷一つ付けぬ様、まるで繊細な硝子細工でも扱うかの如く、そっと優しく机に添えられた大きな手を。
(…何や…冷たい人なんか思っとったけど…、)
向井は彼をひっそりと見送る。すっと伸びた軍服の背中は瓦斯灯に照らされ乍ら、夕闇の路地へと静かに消えて行った。
コメント
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🖤の隠れてる優しさが(*´ω`*) 🧡の真っ直ぐさに触れて、きっと変わっていくんでしょうね✨