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「孝太郎」
前方から右手を挙げて近づく男。
「ああ」
わざわざ向かえにきてくれた友人に礼も言わず、俺は無表情で答えた。
「機嫌が悪いな」
そりゃあ機嫌だって悪くなるだろう、昨日から麗子と連絡が取れないんだ。
数日前まで普通だったし、出張に出る前日は朝まで一緒だった。
それが・・・
足早に空港を出ると、徹の車に乗り込む。
本来明日の夜帰る予定だった俺は、会社にも家にも黙って帰ってきた。
まあ。予定していた仕事はすべてこなしたし、家に連絡すればやかましく言われるだけだろうから黙っていた方が無難と考えた。
お陰で迎えを呼ぶこともできず、徹を呼ぶしかなかったわけだ。
「で、何があった?」
昨日から何度聞いても答えの返ってこない質問を、再び口にしてみる。
「彼女が会社を辞めた」
「だからっ」
苛立ち紛れに声が大きくなってしまった。
麗子が仕事を辞めたこと、昨日から連絡が取れないことは分かっている。
「俺が聞きたいのはその理由だ」
「俺は彼女じゃないから、何を思っているのかまではわからない。ただ、おばさんがからんでいるらしい」
「母さん?」
「ああ」
はあー、そういうことか。
元々お嬢さん育ちの母さんは、『女は家庭に入って家族を支えるべき』って持論を持っているから、働く女性に対する見方が厳しい。
麗子のことを気に入るはずがないのは分かっていたんだが・・・
「それで、麗子はどこにいるんだ?」
「知らないよ」
「はあ?」
なぜ探さない?どんな手を使っても探せよ。
徹がその気になれば居場所なんてすぐに突き止められるだろう。
「大体さあ、見つけ出してどうするんだよ?あいつも頑固だから、力ずくで言うことを聞くような奴じゃないぞ」
「・・・」
確かに、強硬手段には出られないか。
悔しいが、俺よりもずっと以前から麗子のことを知っている徹は、性格も行動もよく理解している。
***
「どうする?家に帰るか?」
運転席から前を見ながら、こちらを振り返ることもなく話す徹。
さあ、どうするかな。
麗子を探さなくては前には進めない。
しかし、事はそう単純でない気もする。
まずは麗子の気持ちを知りたいが・・・
「とりあえず会社に向かってくれ。後は自分の車で出るから」
「わかった」
今回の件の当事者は俺と麗子だ。
待っていろと言ったのに逃出したのは麗子だし、そうさせてしまったのは俺。
でもこのまま一緒にいると、徹に八つ当たりをしてしまいそうだ。
会社に戻ると、デスクの上に辞表が置かれていた。
一緒にあった便せんに、『短い間でしたがお世話になりました』たった一言残された言葉。
それを見た瞬間、俺たちの関係はこんな言葉だけで終わるような物だったのかと憤りさえ感じた。
ブー、ブー、ブー。
まずは麗子の携帯へ電話をかけてみる。
・・・。
やっぱり繋がらないか。
『さっき日本に帰ってきた。まずは会って話そう。連絡をくれ』
完結に短いメッセージを打った。
数分後、既読にはなったが返事はこない。
これは、俺と話したくないってことだろうか?
それとも、具合が悪くてメールも打てないとか?
もしかして、誰か他の奴と一緒にいるのか?
らしくもなく、妄想を膨らませてしまった。
マズいな、俺は相当いかれている。
***
1人で考えていてもどうしようもないと、俺は麗子を探しに出ることにした。
まずは麗子のマンションに行って、それから店にも行ってみよう。
ママに聞けば行き先くらいは知っているかもしれないし。
「ああ、その前に」
車のキーを持って部屋を出ようとしたところで、飛行機の中から頭痛が続いていたことを思い出した。
まあ、原因は寝不足と仕事の疲れで、時々忘れるくらいだからたいしたことはないんだが、運転する前に薬だけ飲んでおこう。
俺は常備している鎮痛剤を手に給湯室へ向かった。
「ねえ聞いた?あの人、専務から河野副社長に乗り換える気だったみたいよ」
あと数歩で給湯室というところまできたとき、中から女性の声が聞こえてきた。
以前から秘書達がここで井戸端会議をしているのは知っていたが、どうやら鉢合わせしてしまったらしい。
「困ったな、どこかで水を買おうかな」と、方向転換をしようとしたとき、
「うちに入り込むために課長に取り入って、専務を落とせないと分かったら副社長に乗り換えようなんて、性悪もいいところよね。怖いわー」
「そうよね、ちょっと美人だからって何でもできると思ったら大間違いなのよ」
「結局首になったんでしょ、いい気味よ」
どうやら、中にいるのは3人。皆秘書課の人間なんだろう。
そして、話題は麗子のことらしい。
それにしても酷い言いようだ。
こういうのを誹謗中傷って言うんだろうな。
女って怖い生き物だ。
あいつはいつもこんな事を言われていたんだな。
今まで、『なぜ麗子は周囲の人に対する警戒心が強いんだろう』と思っていた。
でも、腑に落ちた。
目立ちすぎる容姿故にいわれのない中傷を受け続けていれば、警戒心だって強くなるはずだ。
きっと、何度となく傷ついてきたんだ。
こんな事なら、もっと優しくしてやるんだった。
会いたいな、麗子に。
でも、麗子を傷つけ苦しめている原因は俺。
会いたくないと思われているんなら、俺は黙って身を引くべきなのか?
そっと給湯室から離れ、駐車場へ向かう。
まずは、麗子を探してみよう。
今はそれしかない。
***
カランカラン。
「いらっしゃいませ。あら、専務さん」
「こんばんわ、ママ」
ここに来るのは2ヶ月ぶりだが、顔は覚えてもらっていたらしい。
「麗子がいつもお世話になっています」
カウンターの席を勧めながら、ママはニコニコしている。
どうやら彼女が会社を辞めたことは知らないようだ。
「彼女、来てますか?」
マンションに行ってみたが帰った様子はなかったし、ここにいるんじゃないかと思ったんだが。
「いいえ、最近は家にもここにも顔を出さないわ」
「そうですか」
ここにも来ていないと言うことは、一体どこに行ったんだ。
「ママ、彼女が行きそうな所に心当たりはないですか?」
こんな事を言えば、ママに心配をかけるだけなのは分かっている。
でも、今はそれ以外に手がない。
「麗子、どうかしたの?」
やっぱり、ママの顔色が変わった。
「たいしたことではないんです。ちょっと怒らせてしまったらしくて、電話に出てくれなくて・・・」
「あら、」
ママの顔がパッと明るくなる。
きっと恋人同士の痴話げんかとでも思ったんだろう。
実際それに近いものがある。
「ちょっと待ってね」
ママがその場で電話をしてくれたが、
「あら、出ないわね」
やはり麗子は電話に出ない。
困ったな。
でも、これだけ避けられるって事は、本当に会いたくないのかもしれない。
だったら、俺も追いかけるべきではないのかも。
連絡が取れない麗子のことで気を使ってくれたらしく、ママがやたらと酒を勧めてくれた。
俺も遠慮なく飲み続けた。
昨日から一睡もしていなかったことも、頭痛のせいで鎮痛剤を飲んでいることも忘れて、酒に逃げてしまった。
当然、いつも以上に酔いが回ってしまった俺。
普段なら歩けなくなるほど酔うことなんてないのに、今日はダメだ。
ガンガンと頭が割れるような痛みが襲い、俺はうずくまった。
「専務さん、大丈夫?」
心配そうなママの声が遠くで聞こえる。
しかし、それに答える気力は残っていなかった。
バタン。
自分の体が床に落ちていく感覚がわかる。
しかし、もうどうすることもできない。
そこで、俺の記憶が途絶えた
***
うぅーん。
ガンガンと頭が割れるような痛みと、少し動くだけで込み上げる吐き気。
これは、久しぶりに味わう感覚だ。
「鈴木さん」
遠くの方で、女性の声がする。
「うぅー」
気持ち悪い。
「大丈夫ですか?」
さっきより鮮明に聞こえてきた声に、俺はゆっくりと目を開けた。
「うわっ」
眩しい。
「気がつかれました?」
真上から俺を覗き込む女性。
「え、ええ。ここは?」
「病院です。鈴木さんは倒れて運ばれてきたんですよ」
俺は今、救急病院のベットに寝かされているらしい。
「どこか、痛む所はありませんか?」
「いえ、大丈夫です」
酔っ払って倒れて病院に運ばれるなんてとんだ醜態だ。できることなら今すぐここから消えたい。
しかし、ベッドに横になり点滴を繋がれた状態ではどうにも動きが取れない。
「あの、もう帰ってもいいでしょうか?」
「え、えっと」
困ったように俺を見る看護師さん。
確かに大丈夫とは言えない状態だが無理して動けないほど悪いわけではない。
これ以上の恥をかかないうちに逃げ出そう。
「もうすぐご友人が見えるそうですから、それまでは横になっていて下さい」
「えっ、友人って」
その時頭に浮かんだのは徹ではなかった。
生意気で、強情で、ちっとも言うことを聞かない手に余る女。
それでも、会いたい。
あいつの側にるだけで、俺は幸せなんだ。
「孝太郎」
呆れたような声で俺の名前を呼び、ゆっくりと近づいてくる男。
そうだよな。
こんな時、まず駆けつけてくれるのはいつもこいつだ。
当たり前なのに、
「なんて顔だよ。俺じゃ不満か?」
「いや、すまない」
暇でもないのに駆けつけてくれた友人に申し訳なくて、素直に謝った。
***
「いきなり病院から電話があって、心配したんだぞ」
「すまない」
救急車で運ばれた病院で、仕事関係以外での友人が少ない俺の携帯履歴から徹に連絡があったらしい。
まあ、家に連絡をされなかっただけ良かったと思うしかない。
母さんの耳に入れば大騒ぎになっていたことだろうから。
「仕事で疲れているってわかっているのに、何で酒なんて飲むんだよ。倒れることは想像できただろうが」
お前らしくないぞと、徹が眉をひそめる。
「悪い」
今は何を言われてもしかたない。
「点滴が終わりましたから、抜針しますね。どこか具合の悪い所はありませんか?」
看護師さんに聞かれ、
「ええ、大丈夫です」
多少の頭痛は無視して答えた。
「最後に診察があって、問題がないようなら帰ってもいいですからね」
「はい」
ほっ。
なんとか入院にはならずにすんだ。
それにしても、俺は一体どうしたんだ。
いつもならこんな無様なことにはならないのに。本当に情けない。
元々、俺は酒が強いわけでない。
だからこそ、限界を意識しながら酔っ払うことなんてないようにセーブしてきた。
こんな仕事をしていれば酒席だって多いし、どうしても飲まないといけない時もあるが、それなりに立ち振る舞ってきたんだ。
それが、今日に限ってこのざまだ。
***
「すみません、お世話になりました」
救急外来の窓口で支払いをし、徹と共に病院を出る。
「徹、すまなかったな」
こんなとき、頼れるのはやっぱり徹だ。
「いいさ、久しぶりに素の孝太郎を見た気がする」
「バカ言うな。今日はたまたま体調が悪かっただけで、これが素の俺なんかじゃない」
「そうか?」
どんなに言いつくろったって、子供の頃から一緒に育った徹には俺の本性がばれている。
いくら強がっても俺は小心者だし、冷酷になろうとしてもいざというところで情にもろい。
俺は、そんな自分に何重にも仮面をかぶって、虚勢を張って生きてきたんだ。
「なあ孝太郎、そんなに無理をするな。お前は立派な鈴森の跡取りだし、誰が見たって優秀な後継者だ。だから、安心しろ」
「徹」
「さあ、行くぞ」
「ああ」
徹の後に続き病院の外に出た瞬間、ムッとする熱気にクラッとした。
先ほどまで降っていた雨が上がったせいか、湿度が高くて夜とは言え汗ばむような暑さだ。
「大丈夫か?」
一瞬額に手をやった俺に、徹が声をかけた。
「大丈夫だ」
立っていられないほどの立ちくらみではない。
「とにかく、今日は寝ろ。明日の夜まではスケジュールを入れてないはずだから、ゆっくりしたらいい」
「ああ」
「それじゃあ、俺は帰るから」
「はあ?」
てっきり車で送ってくれるものと思っていた徹が、1人歩き出した。
「おい待て、送ってくれるんじゃないのか?」
夜中に1人置き去りにされても困るんだが。
「安心しろ、もうすぐ迎えが来るから」
「迎えって、お前・・・」
その時、
キィー。
急ブレーキを踏んで、車が止った。
「ほら、来た」
え?
***
目の前に現れたのは、今夜俺が乗っていた車。
確かママの店近くに駐めたままにしていたはずだが、なぜここに?
訳がわからないまま見つめていると、車のドアが勢いよく開いた。
「徹、一体どういうことなのっ。孝太郎が倒れたとか、車で病院に来いとか、意味がわからないんだけれど。それに、えっ?」
車から降り徹に抗議していた麗子が、俺を見つけて黙った。
俺も言葉が見つからず、見つめ返した。
「その通りの意味だよ。お前に会いたくて無理して仕事をした孝太郎が倒れたから、迎えいに来い。そう言ったんだ」
当然だろうとでも言いたそうに、徹は強気な態度を見せる。
「徹」「お前」
俺と麗子の声が重なった。
「とにかく、俺は帰るから後は2人で話してくれ。俺は明日も仕事なんだ」
そう言うと、徹は背を向けて歩いて行ってしまった。
こうなると、残された俺と麗子は居心地が悪い。
お互いがなかなか言葉を発せないまま、時間が過ぎた。
***
「倒れたの?」
沈黙に絶えかねた麗子が口を開いた。
「ああ」
「過労?」
「いや、ストレス、かな」
「それって、私のせい?」
「かもな」
今さら言いつくろってもしようがないと、正直に答えた。
「運転して来たのか?」
「ええ。母さんがキーを預かっていたらしくて」
「免許を持っていたんだな」
知らなかった。
「バイクでもトラックでも何でも乗るわよ。こう見えて大型免許も持っているの」
「へえー」
まだまだ俺の知らない麗子がいるらしい。
考えてみれば、出会ったときから麗子は意外性の塊だった。
いつも俺の想像の斜め上を行く。
一緒にいて飽きないと言えば聞こえがいいが、当事者となればヒヤヒヤさせられるばかりで腹が立つことも多い。
本当にやっかいな存在だ。
「で、俺がいくら連絡しても返事さえよこさないお前は、徹に言われてのこのこやって来たのか?」
会えてうれしいくせに、ついイジワルな口調になった。
「だって、孝太郎が倒れたって聞いたから」
口をへの字にして拗ねてみせる麗子。
「その原因が自分だって思わないのか?」
「だって・・・」
ピッシッ。
「痛っ」
「言い訳するな」
デコピンされたおでこに手を当てる麗子を睨み付けた。
あれだけ会いたかった麗子が目の前にいる。それだけでうれしいのに、口から出てくるのは意地悪い言葉。
俺は小学生かっ。
「ごめん。でも、孝太郎が無事で良かった」
フッと、麗子の表情が崩れていく。
「バーカ」
小刻みに震える肩に手を回し、俺はギュッと抱き寄せた。
***
「ここは?」
麗子の運転する車に乗せられやって来た都心のマンション。
そんなに豪華な作りではないが、立地的にはかなりの高級物件のはずだ。
「祖母が管理しているマンションなの。しばらく貸してもらう約束で」
そこまで言うと麗子は黙ってしまった。
どうやら麗子はここに身を隠すつもりだったらしい。
確かに、誰にも知らせずにここに隠れられたら見つけ出すことはできないだろう。
「そんなに俺のことを避けたかったのか?」
そこまで嫌われていたんだと思うと、さすがに傷つく。
「好きとか嫌いの問題ではなくて、もう一緒にいるべきではないと思ったの。これ以上私も傷つきたくはないし、誰も傷付けたくない。それだけ」
何でもないことのように、麗子は言う。
しかし、
「それはお前の本心か?」
「え?」
「俺たちの関係に障壁が多いのは承知している。平凡な恋愛でないのも分かっているつもりだ。それでも、俺はお前と一緒に居たいし、お前だってそう思ってくれたんじゃなかったのか?」
「それは・・・」.
「何があった?母さんに何を言われた?」
「奥様は、関係ない」
「じゃあ、どうして逃出したんだ?俺の言うことだけを信じて待っていろって、言ったよな」
「うん」
「たった5日が待てずに逃出した理由を聞かせてくれ」
それを聞かないことには、納得できない。
***
「孝太郎のことを好きで居続ける自信がなくなったのよ」
真っ直ぐに俺の目を見る麗子。
一見しただけで体に力が入っていて、無理をしているのがわかる。
「お前、嘘が下手だな」
「嘘じゃないわ」
「じゃあ、これは何だよ」
「えっ?」
俺が指さした先には、パソコンの前に広げられた書類の山。
一応重ねてはあるが、所々中が見えている。
「河野副社長と東西銀行について調べていたらしいな」
「そ、それは・・・」
慌てて片づけようとする麗子の手を、俺がつかんだ。
「会社も辞めて関係も終わりにしようなんて言うわりに、やっていることは真逆だな」
「離して」
「イヤだ」
麗子の気持ちが離れたんじゃないと分かった以上、離してやるつもりはない。
抵抗する麗子の体を抱き寄せ、俺は両腕で包み込んだ。
「麗子、お願いだから逃げないでくれ」
情けないけれど、自分の声が震えている。
「・・・孝太郎」
いつの間にか、麗子から抵抗する力が抜けた。
受け入れてくれたんだと理解した俺は、そっと麗子を抱きしめた。
「ごめんな」
「え?」
「不安にさせて、ごめん」
どんなに偉そうなことを言ったって、麗子を守ってやれなかったのは事実だ。
情けないけれど、今の俺にはこうして抱きしめることしかできない。
「本当にごめん」
「孝太郎」
「たとえお前を苦しめる結果になったとしても、俺は諦めることができない」
今さら手放すことはできないんだ。