テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
.。. .。.:・
浜田宗一郎はメビウス本社1階の一番端っこ、資料室の前でしばらく佇んでいた。いつまでもこうしてはいられない、アイツらが何かよからぬことを企んでいるならばそれを暴いてやらねばならない
とにかく神崎広告代理店のアイツらは得体が知れないし、引っ越して来てからアイツらは我が社の風紀をずっと乱している
社長の竜馬がどうしてこんな会社を買収したのか理解に苦しむ、そう思いながら宗一郎は資料室のドアを開けた
一歩中に入るとそこには誰もいなかった、でも電気も空調もついているし、会議用の長テーブルに置かれているノートPCは起動したままだ
ーやはり、ここに誰かがいて、何かしている―
宗一郎は資料室に入り、あたりを見回した。その時小さな声が聞こえた、声の聞こえる方に行くと、信じられない事に床に置いてあるファイルボックスから声は聞こえる
ファイルボックスに近づくにつれ不安と好奇心に呼吸が早くなる、ファイルボックスを覗くと宗一郎は固まった
―なんだ?これは―
赤ん坊はファイルボックスにちょうど良い大きさで収まっていた。手を赤ん坊特有の姿勢でグーに握りしめ、腕と足をきゅっとコンパクトに縮めて横たわっていた
宗一郎は赤ん坊の存在に圧倒された・・・赤ん坊は仰向けになって時々「クピクピ」言いながらスヤスヤ眠ってる
胸が上下し、頬は水彩画の様にピンク色に染まっていた、眠っているのに咥えているミッキーマウスのイラストのおしゃぶりは規則的にチュパチュパ動いている
驚くほどきめ細やかな肌と、繊細な長いまつ毛・・・まどろむ小さな鼻を見つめる
―女の子だ―
宗一郎はもっとよく見ようと、屈んでこのいたいけな生き物を見つめた
瞼はとっても薄く、小さな毛細血管が見える。小さな頭はフワフワの栗毛に覆われて、これが金髪ならまるで天使のようだ、指先には当たり前だが、鳥の爪のように小さく尖った爪がついている
―爪が伸びている―
赤ん坊の爪ってどうやって切るんだろう?・・・大人用の爪切りを思い浮かべたが、この子に使うには大人用の爪切りはとてもじゃないが凶暴に思える
赤ん坊のあまりの無謀さに宗一郎は大きな不安に襲われた。目を覚ませば泣き出すだろう、そしてさまざまな欲求を訴えるだろうし、おしっこもするだろう、母親はいったいどこに行ったのか?眠る赤ん坊の傍で落ち着かなく、宗一郎はキョロキョロした
この子が寝ているうちにさっさとここを退散した方が良い、その時、赤ん坊がパチリと目を開けた。しばらくどんよりしていた明るい茶色の瞳の瞳孔がはっきりし。宗一郎を識別した
そして信じられない事に、そのパッチリした目を宗一郎に向け、彼を認識した瞬間、足を蹴り上げ、口角を上げて笑いかけた
その時宗一郎の胸に甘い衝撃が走った・・・赤ん坊の目はどこまでも澄んでいた、どうしてこんなに美しい瞳をしているんだろう?まるで吸い込まれるかのようだ
そして明らかに宗一郎を見て笑っている、まるで「あなたに会えて嬉しい」とでも言ってるようだ
「やぁ・・・起きたのに泣かないなんて偉いね・・・」.。. .。.:・
いつの間にか宗一郎はファイルボックスに屈みこんで覗き込み、赤ん坊の柔らかで綺麗な顔に見とれながら、優しい声で話しかけていた・・・
すると麗華が「クピッ」と唸り、足と両手を宗一郎に向けた、明らかに「抱っこしろ」と言っている。途端に宗一郎は怯んで体をファイルボックスから引いた
「いやっ・・・それはやめたほうがいい、俺達まだ会ったばかりだよ、赤ん坊の抱き方なんて知らないんだ」
そう言い聞かせても、当然赤ん坊に伝わるはずがなく
「どうして私を抱かないの?」
とばかりに、みるみる麗華の顔が歪みだす、泣き出す一歩手前だ
「ああっ・・・わかった、わかったよ(汗)」
宗一郎は咄嗟に手を伸ばして麗華を抱き上げた、ベビーパウダーとミルクの甘い匂い・・・この子の無垢な匂いを吸い込む・・・なぜか胸に幸せな思いがこみ上げてくる、この子からはα派が出ていた
「これでいいのかい?抱かれごこちが悪いと文句を言われても、俺のせいじゃないぞ・・・」
宗一郎は腕の中の赤ん坊を見下ろした、とても小さい・・・だがその存在感は確かに個性を発揮している。こんなに小さいのにもの凄い力で宗一郎にしがみついてくる
そして宗一郎は何だかこの子が不憫に思えた、今この子は騒がしい会社の資料室でこんなファイルボックスに寝かされているより、自分の家のベッドで寝たいだろうに
しばらくすると麗華が小さくグズり出した、宗一郎はパニックに襲われた
不意に自分が赤ん坊を揺らしているのに気づいた、誰に教えてもらったわけでもない、それは体に刻み込まれたリズムだった、身に覚えは無いが、それは自然に行動に出て、それでもやめることは出来なかった
ポンポン・・・「よしよし・・・いい子だね」
気に入ったのか、赤ん坊は宗一郎の肩に頭をコテンッと傾けてリラックスし出した、そしてついに宗一郎の体は習得した、一定のリズムで軽く上下左右に揺らす
動きは驚くほど効果的なものだった、ウトウトと赤ん坊が眠りに落ちようとしている
―あと一息だ―
宗一郎はラストスパートをかけた、ポンポンと背中を叩くリズムと同じリズムで体を優しく揺らす、宗一郎の額に汗がにじみ出る、ゴールはもうすぐだ
―たのむっ!!寝てくれ―
宗一郎は心の中でそう願った
:.。. .。 .:・.。.
パタパタ・・・「ああっ・・・急がなきゃ!レイたんが起きちゃう」
真紀は大きな水筒を持って、守衛室から資料室まで全力で走っていた
今朝からジェニ達が用意してくれた古い電気ケトルの調子が悪いと思ったら、とうとう昼過ぎになってケトルは完全に電源が入ら無くなり、ただの鉄の塊と化した。これでは麗華のミルクが作れない
慌てて真紀は麗華が寝ている隙に守衛室にお湯を貰いに来ていた、不憫に思った守衛室の佐々木さん58歳、初孫持ちは、喜んでお湯を沸かしてくれて、水筒まで貸してくれた
佐々木さんには本当に感謝しかない、毎日目立たないように真紀と麗華を守衛室から出入りさせてくれていた、旅行が出来そうなくらい大きなマザーズバックを肩にかけ、抱っこ紐で前に麗華を抱っこした真紀が正面玄関を通ると、どうしても目立ってしまう
藤子が佐々木さんの大好物551の蓬莱の豚まんを毎日差し入れし、丁寧に真紀の事情を話し、面倒を見てやってほしいとお願いしてくれたのも助かった
今や佐々木さんの守衛室は、神崎広告代理店の観葉植物たちがジャングルのように育って、覆い茂っている
ビルの中でも仕事上あまりその存在を重視されず、孤独だった佐々木さんは、藤子達に頼られることに心地良さを感じ、「困ったときはお互い様だ」と今では藤子達にとって、とても心強い存在になっている
今朝なんか「秘密にしてあげるから麗華をずっと連れてきても良いんだよ」とまで言ってくれた。嬉しくて真紀は涙が出そうになった
真紀は、明日も佐々木さんに、麗華の一日分のミルクのお湯を沸かして貰って、取りに行くように約束をして一安心した
これで明日もここで作業できる、真紀にとって仕事は唯一自分の存在意義だ、そして今自分が取り組んでいるリゾートホテルの広告案件がうまくいけば、神崎広告代理店部署に大きなはずみがつく
今までどおり、藤子さんやジェニさんが練り上げた企画を自分がデザインする。不安要素は何もない、すでにデザインは8割仕上がっていて、内容も良い、後はいかに売り込むかだ
でも、それは真紀の仕事ではなかった、常にジェニさんが前面に出て、見事な腕前をふるってくれる、彼女は生まれながらの広告ガールで、私達は良いチームだ、今回の案件の出来が良ければ、このリゾートホテルのグループの他の会社からも仕事が舞い込むという約束も、ジェニさんがクライアントにつけてくれている
そうなれば可能性は未知数だ、シングルマザーで何の実績もなかった真紀を雇ってくれたジェニさんと、この会社のメンバーが自分は大好きだ、役員達を除いて
これからもこうしてみんなで仕事がしたい、それでも仕事と子育ての両立ほど難しいものはない
真紀はこの10ヶ月多くの苦労をし、そして母として学んだ。とにかくあと数日だけは、麗華同伴出勤をしてなんとかやり過ごそう
保育園が再園されるまでだ、麗華にも悪いけどでもこうして麗華を見ながら仕事が出来るのは今の真紀にとって小さな幸せだった、たとえそれがビルの1階の、日の差さない小さな資料室の一室でも
キョロキョロと周りを見渡す、よしっ!自分がここにいる事は誰にも見つかっていない
―確認OK―
安心してガチャッと資料室のドアを開けた
「キャァ」
あまりにもびっくりしてゴトンッと大きな水筒を床に落としてしまった、目の前で「メビウスホールディングスの氷の財務部長」と呼ばれている、浜田宗一郎がなんと娘を抱っこして佇んでいた
「うい~~・・・」
彼に抱っこされている麗華が眠そうな目をゴシゴシして頭を持ち上げた、すると彼は真紀を鋭い眼で睨んでこう言った
「もう少しだったのに何てことをしてくれたんだっ!」
コメント
1件
うわぁ、第21話読みました!あの「氷の財務部長」と呼ばれる宗一郎さんが、資料室で赤ちゃん相手に完全に手玉に取られてるギャップが最高でした。「抱き方知らない」って言いながら自然と優しく揺らし始めるところ、もう完全にお父さん顔じゃないですか(笑)。最後に真紀が戻ってきて「もう少しだったのに!」って怒られるオチも含めて、ほっこりする素敵な回でした✨ 麗華ちゃんの「クピクピ」がめっちゃ可愛い…。
めあ
43
2,001
#ネタバレ注意
るあ
2,673
#イケメン
蒼乃 月
828