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お前……、と言うことらしいぞ。
酒井は九州の炭鉱で、連れて逃げた女に食わせてもらってるそうだ。まったく、落ちぶれたもんだ。
あぁそうだな。藤乃のことも、本当は身請けできたんだろうか。
酒井のやつ、最初から口だけだったんじゃないか、とは、お前もなかなか鋭いな。
だが、あの時はできたんだろうよ。確かに、儲けていたらしいからなぁ。
まあ、しかし、世が世なら、今ごろ藤乃が炭鉱夫を相手にしてたかもしれないのか。
酒井が逃げたのは、株で大損したかららしいし、女を連れて行ったのも、初めから、食わせてもらうつもりだったのかもしれないし。惚れた腫れたの話じゃなかったのかもなぁ。
まあ、それも取っ捕まえればおいおいわかるさ。って言っても、わかたところで今更だろう?こっちは、藤乃があれ、だ。
まったく、どうしたもんだか。
で?藤乃は?
トメに言いつけて支度させている?
そうか。そろそろ病院からの迎えが来る頃だ。もし、藤乃が暴れても大丈夫なように車で見世まで乗り付けてきてくれる。
そりゃありがたい話だろう?騒ぎになる前に車に押し込ばいいからな。
だが、車だ。目立って仕方ない。
いいか、藤乃は、他の客に身請けされることにするんだ。その迎えの車ということに、近所周りの見世には噂を流した。大門もすんなり通れるように話をつけた。
まったく、どれだけ、余計な金子が流れたか。
下げなくてもいい頭まで下げて……。それでも、皆、白々しい笑顔で返してくるということは、藤乃のことは、もう、知れ渡っているってことなんだろうなぁ。
あ?その金子、酒井から取り上げられないかだって?お前なぁ、女に食わせてもらってる男が、いくら持っているんだ……?
だから、これからは、山吹を、しこめ!藤乃の変わりに看板花魁に育てるんだ。
あいつなら化けるかもしれない。使った金子以上に、儲けるんだよ。
トメに言いつけておいてくれ。急げとな。
おや、迎えの車が来たな。で、藤乃は?
おお、藤……、いや、菊子。
すまんなぁ。ここよりも、大きな病院が見つかったんだ。腕の良い先生も沢山いるらしく、評判も良い。急だが、転院して早く良くなることを考えたほうが良いんじゃないかと思って、お前のために手配させてもらったよ。
迎えも車だ。
どうだ、良い病院だろう?
そうかい、そうかい、移ってくれるかい。
菊子、お前は素直で良い子だねぇ。あとは、自分の養生だけを考えなさい。
え?礼を言いたい。あたし達は、当たり前なことをやっただけだ。そんなにかしこまらなくてもいい。さあさあ、迎えを待たせてはいけない。早く車に乗りなさい。挨拶なんて気にしなくていいから。
──おさらばえ──
藤乃!!あいつ!!
トメ!若い衆をすぐに集めろ!
足抜けだっ!
藤乃が足抜けしたっ!
おまえさん、何を言っているんですかい?じゃないっ!あいつは、はっきりと言ったんだ「おさらばえ」と花魁言葉でな!それも、しっかり、見つめて笑いやがった!
藤乃は、正気だ!あいつは、演じていただけなんだ!人を小馬鹿にしやがって!
そうだ!藤乃の本名は菊子。イカれた女が、本名まで覚えているかっ!
お前さん、かっかしなさんなだと?!
何を呑気な!お前達!わからなかったのか?!
くそっ、車が行ってしまった!
とにかく!
若い衆を追いかけさせろっ!
車を追え!
いやっ、病院へ先回りさせろっ!!
──大正十三年。遊亀楼花魁、藤乃コト山村菊子、吉原遊郭ヨリ脱走《アシヌケ》ス。
(了)