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村の狩人の中でも一際正確な腕と判断力を持つと評されるロウムは、いつものように目覚めの悪い朝を迎えた。
身体は至って健康だが、彼の心は疲弊を極めていた。それもいつものことだった。
あの日のことを毎日のように思い出す。
狩人仲間とともに誰も入らないという名もなき山へ登った日のことを。
村の周辺には幾つもの山々が立ち並んでいて、食料には困ることがなかった。動植物は豊富で、近くには河川も流れていたからだ。
平和だが単調な日々が続いた頃、仲間の一人が言い出した。村外れにある名もなき山に人喰いの化け物がいるらしい、と。
詳しく聞くと、どこにでもあるような迷信の類だった。大抵、それは熊や猪など危険な動物や山自体が噂の正体なのだ。
「くだらない」と感想を述べると、話をした仲間はいきり立って確認しに行こうと言い出した。他の仲間も止めたが、彼は聞く耳を持たなかったのだ。
放っておくと一人で行ってしまいそうな様子であったので、仕方なくロウム一行は村外れの山へ狩りに向かった。
不気味な山だった。昼間だというのに薄暗く、噂通り物々しい雰囲気は確かにあった。やめようと提案する者もいた。だが、話の張本人は「ここにきてやめられない」と言い張って進んでいった。ロウムたちは顔を見合わせ、肩をすくめて付き従ったのだ。
険しく厳しい山路だが、なんとか進むことはできた。他の仲間は化け物を探す気でいるようだが、ロウムは馬鹿らしく思えて獲物がいないか探していた。
なんてことはなかった。山の中腹まできたが化け物も獲物も気配がなく、何の収穫も得られなかった。
ロウムは帰ることを提案した。他の仲間も賛同した。ただ、噂話の張本人を除いて。
「いい加減にしろ」
ロウムは言った。
「もう陽も傾き始めている。この山は狩場として不向きで、我々は地理に詳しくない。暗くなってからでは帰りが危険だ。化け物などいないのだ」
この言葉に同意を示す者が大半だったが、やはり化け物探しを提案した仲間は食い下がった。
「ここはまだ道半ばだ。もう少し登れば正体を掴めるはずだ。引き下がることはできない」
「いいや。繰り返すが化け物なんていない。お前は判断を誤っている」
「違うね。判断を誤ったのはお前の方だロウム」
「どういう意味だ?」
「お前の妻コバルトが死んだ時も何もできなかったではないか」
「き、貴様」
ロウムは必死に堪えた。妻のコバルトが死んだのは8年前だ。ちょうどリアムが生まれて間もない頃だった。
コバルトが死んだ時、ロウムは……。
「ぐっ」
そこでロウムの思考は中断した。山の連中のことや妻の死を思い出そうとすると、いつも頭痛が防いでくれる。
焦点が現在に戻り、ふとリアムを起こさなくてはいけないことに気付く。そろそろ仕事の時間だ。用意させておくべきだろう。
「リアム。起きろ、朝だ」
身体を起こして、狩りの道具をそろえながら声をかける。まだ外はほんのりと暗く、手元の道具が闇に溶けていくようだった。
準備を進める間、リアムが起きる気配が感じられなかった。狭い一室なので、同居者の動きは見なくてもすぐに分かる。
朝に弱いリアムのことなので、いつものように寝坊を決め込むつもりだろう。そう思った矢先、ロウムは違和感を覚えた。
リアムは寝ている時、すうすうと寝息を立てる。しかし、今はその音がしない。まさか、起きているのだろうか。
そこで初めてロウムはいつもリアムが寝ている定位置に目をやった。
リアムはいなかった。
「リアム?」
外に出てみると、まず冷たい空気が肌に張り付いてきた。次いで、鳥の囀りや川の流れが耳に届く。太陽はまだ東からせっせと登ってくる最中で弱々しい光が辺りを照らしていた。
他の住居を覗いてみるが、まだ多くの人が寝静まっていて静かなものだった。無理に起こすのは躊躇われた。
そろそろ他の狩人仲間が起きてくる頃合いだ。その時にでも何か知っているか聞いてみればいいだろう。
こうしたことはたまにあった。大抵の場合、アルゴやリンとともに大人たちが寝静まっている隙に抜け出して、三人だけの密かな探検をしているのだ。近くには危険な野生動物もたくさんいるので、常々注意してきたことだが、わんぱくな彼らには通用しなかった。
家の中に戻り、ロウムは装備一式を整えてから再び外に出てみると、同じタイミングで狩人仲間たちがぞろぞろと出てきた。
さっそく一団に声をかけて、リアムのことを聞いてみる。
「朝からリアムの姿が見えないんだ。なにか知っている者はいないか」
「リアム? またあの三人で出かけてるんじゃないのか」
「それが分からないんだ」
「そうか。おい、お前ら何か知ってないか?」
ロウムと同じくらい狩人歴の長い男が他の仲間たちにも聞いた。
だが、みな首を傾げるばかりだった。雲行きが怪しくなってきた時、男たちの声で起きたのかリンが外に出てきた。
「ああ良いところにやって来た」
「どうしたの。リアムのお父さん」
リンは寝ぼけ眼を手で擦りながら聞いた。
ロウムが答える。
「今朝起きてみたらリアムが寝床にいないんだ。リアムと仲がいいリンやアルゴなら何か知っているんじゃないかと思ってな」
「リアムがいない? 私知らないわ」
「本当か? また君たちと探検でもしているのかと思ったんだが」
「ううん。最近はリアムもアルゴも付き合いが悪いんだもの」
目を伏せて寂しそうにリンが言った。何とも反応できず、少しの間沈黙が降りたが、リンが顔を上げて意見した。
「アルゴなら何か知ってるかも。ちょっと聞いてくる」
「いや、いいんだ。まだ早いだろうし、寝かせてやってほしい」
「でも、リアムが」
「おそらく、近くの川にでも行ってるんだ。君たちと一緒じゃない時は、柄にもなく一人で山や川を見つめている事があるだろう」
「それはそうだけど」
「とにかく、心配をかけたね。また何か分かったら教えてくれないか」
「うん」
不安そうな顔を浮かべるリンを置いて、ロウムは川のある方面へ歩き出した。
太陽がまた少し昇ってきた。
リンは落ち着かなかった。
なぜリアムはこんな朝早くに外へ抜け出したのだろう。それも疎遠になりつつあったとはいえ、リンやアルゴを置いて一人でどこかへ向かった。
確かに最近のリアムの様子はおかしかった。しかし、昨日は家畜として「リアム」の名を冠した子犬をくれた。どうやらリンたちのことを嫌いになったわけではなかったらしい。
彼は明るい笑顔で別れを告げ、そのまま帰路へついたはずだ。リンは「リアム」を可愛がり、ともに眠りについた。それだけだった。
リアムのお父さんの言うように川へ出かけているのだろうか。それもあり得なくはなかった。リアムはたまにそうして一人たそがれることがあったのだ。
様々な考えが巡る。
リンはアルゴが早く家から出てこないかと目をやった。仕事の準備をしている間も、ずっと意識はそちらの方へ向いた。
そして、人影がアルゴの住居からのぞいた。リンは駆け出していくが、人影の姿はアルゴではなかった。アルゴの母親だった。 構わずリンはアルゴのお母さんに声をかけた。
「すみません」
声に気付いて、アルゴのお母さんはリンを見た。そして、ぐっと身を乗り出して近づいてきた。
「ああ、リンちゃん。聞いてよ。あのね」
「いえ、それよりも私の話を聞いてください。確認したい事があるんです。 今朝起きてみるとリアムが居ないってロウムさんが言ってたんです」
「リアムくんが?」
「はい。そのことで、アルゴなら何か知ってるかと思ったので今すぐ会いたいんですが」
「それが」
困った顔をしてアルゴのお母さんは言った。
「アルゴもいないのよ」
川へ向かったロウムは骨折り損だった。リアムはどこにも見つからず、ただ川のゆるやかな流れがそこにあった。
「もしかすると、一人で山へ入ったのか」
ぽつりとつぶやいた。狩人として跡を継がせることにロウムは抵抗していた。リアムがそれをよく思っていないのは明白だった。
それでもリンやアルゴとの三人で仕事ができることはリアム自身も悪く思っていないはずだ。今になって一人で狩人の仕事を志すものだろうか。
だんだんとロウムの中で不安が募ってきた。なにかのっぴきならないことが起こったような気がした。
ロウムは狩人仲間に事情を伝え、村の方へ急いで戻った。
戻ってみると、もう村の者たちはほとんど仕事に取り掛かっていた。
ロウムはリンとアルゴを探した。しかし、二人の姿は見つからない。どこへ行ったのだろうか。
視線が左右に行ったり来たりして周囲を何度も確認していると、向こうから近づいてくる姿があった。
ニオブだった。
「ありゃ、どうしたんですロウムさん。オレらが起きてくる頃には、いっつも山へ入ってるってのに」
「ニオブさんどうも。ちょうどリアムのことで聞きたいことがあるんですが」
「そうだそうだ。オレの方からも聞きたいことが山ほどあるんですよ。リンからは突然、今日の仕事を休むなんて言われてさっきどこかへいっちまった」
「え? リンがですか。どこに?」
「こっちが聞きたいもんですよ。それで、言いにくいんですがお宅のリアム、それにアルゴの二人は無断欠勤です。こりゃ一体何が起こってるんです」
「あのアルゴが?」
「そうですそうです。あのアルゴがです。まあちょっと前までリアムと同じく悪ガキだったわけで……おっと、こいつはいけねぇ、すみませんね……最近はアルゴのやつは真面目に働いてると思ったらこれです」
「なるほど。リンが向かった場所はわからなくても、方向は見ていませんか」
「ん? ああ。それなら村外れの草原の方だった気がします。待てよ、あいつらまたサボってあそこに行ってるんじゃ」
「分かりました。ありがとうございます」
ロウムはニオブに礼を言って別れた。村外れの草原というと三人がよく集まっていた場所だ。そこに三人はいるのだろうか。
草原へ向かう前に、アルゴが無断で仕事を休んだことが気にかかった。アルゴの親なら何か知っているかもしれない。ロウムはアルゴの家の戸を叩いてみた。
すると、すぐに戸が開きアルゴの母と父が一緒になって飛び出してきた。ロウムとアルゴの両親は互いの顔を見て、すぐに双方に事態が起こったことを察した。
ロウムは二人に質問する。
「リアムとアルゴの二人が消えたことはもう知っていますね?」
「はい。私どもも何が何やら」
アルゴの父が妻の肩を抱きながら答えた。ロウムは質問を続ける。
「さきほどニオブさんから、リンが村外れの草原の方へ向かっていくところを見かけたと聞きました。そのことについて、何か知りませんか」
「分かりません。私もリンちゃんに会って、リアムくんのことを聞いただけで」
アルゴの母が沈んだ声で答える。失意の表情を隠しきれずにその場を後にしようとした。だが、続けてアルゴの母が言った。
「このことと関係があるのかわからないんですが、今朝起きてアルゴがいないと分かった後、夫が辺りを探してこようと言ったんです」
「それで?」
「私はその間、仕事をしなくてはならなかったので家に戻ったところ」
「凶兆が見えたんじゃ」
ロウムは戸の奥を見た。薄暗がりのなか、老婆が鋭い眼光でこちらを見ていた。アルゴの祖母だ。
頭を下げて、ロウムは詳しく問いただす。
「それはどういうことですか」
「わしは占いをやっておる。日頃、村の平和のためこうして見ておる」
老婆はよくわからない言葉をぶつぶつと呟き、占いのための道具らしい棒きれをこちらに差し出した。ロウムはそれを受け取って見てみる。何の変哲もない木の棒にみえた。
扱いに困って老婆を見やると、静かにこう言った。
「前から忠告しておいたんじゃ。アルゴにはリアムとリンの二人から離れるようにな」
「二人から離れるように? すまない。時間がないんです。わかるように言ってくれませんか」
「あの二人は強い絆で結ばれておる。忠告なんかでは聞かないくらいにな。だがアルゴはわしの言葉に従順じゃ。まだ助かる」
「だから、一体何を言って」
「凶兆じゃ。リアムとリンの二人は破滅の暗示を孕んでおった」
「な、なにを」
ロウムはかっとなった。破滅とは何事か。我が子にそんな言葉をこの老婆は言ってのけたのだ。
慌ててアルゴの父が割って入ってきた。
「違うのです。ロウムさん申し訳ない。母の言うことは私も半信半疑なのですよ」
「半信半疑? 私にはまったくのでたらめにしか映りませんがね」
「そ、そうですね。しかし、母の言うことは昔からよく当たりました。村でもそれは評判で」
「そんなことを聞きたいわけじゃない。私はリアム、リン、アルゴの三人の行方を知りたいんだ」
ロウムは努めて冷静になろうと本来の話に戻した。すると老婆がゆっくりと話し出した。
「わしも信じたくはなかった。だが占いの結果は覆らんのじゃ。わしの見立てでは、二人は破滅の道をいく。せめてアルゴは二人から離し、平穏な日々を送れるよう願った。それでもアルゴの意志は変わらなかったようじゃな。リアムとリン二人だけの絆ではなかった。三人の絆だったんじゃ」
「三人はどうなるんです」
「わからん。だがさっきも言ったように凶兆が見える以上、なにかよからぬことが起こる。それがいまの事態と繋がっておるか断言はできんが、わしはつながっていると思う」
「私は行きます。リンが向かった草原へ」
「そうか。わしは止めん」
「ありがとう。では、失礼する」
ロウムが出て行こうとすると、アルゴの母がまた呼び止めた。
「あの、それでお義母さんの言葉と合わせて気になったことがあるんです」
「なんですか」
「今朝、私が仕事のために道具を探していたら、ナイフが一つなくなっていることに気づいたんです」
「ナイフが?」
「はい。昨日は確かにあったはずなのに、今朝になって無いんです。もしかして、アルゴが持って行ったのかと思って」
ナイフを持っていかなければならない状況とは何かとロウムは考えた。今の状況を鑑みると良くない想像しか働かなかった。
もしかすると。
一つ心当たりがあった。リアムとアルゴの失踪。リンの駆け出した方向。老婆の話。無くなったナイフ。
ロウムは走り出した。後ろからアルゴの父が追ってきた。
「私も行きます」
ロウムは怒鳴って声を返す。
「付いてこなくていい。あなたは狩人ではない。山は危険だ」
「山とは何のことですか」
「彼らは山へ行ったんだ。化け物を倒すために」
「ば、化け物?」
「そうだ。化け物だ」
アルゴの父は立ちすくみ、ロウムが走る後ろ姿を見送ることしかできなかった。
ロウムは歯を食いしばり、山の方をきっと睨んだ。
「馬鹿者が。なぜ山に入ったんだ」
走る速度を更に上げる。
「アルゴだ。アルゴがリアムに話してしまった。そして、リンもそのことを聞いていたに違いない。だからあの山へ向かった」
息が切れるが、声に出して考えを整理しなければどうにかなりそうだった。
「私はアルゴだからこそ言ったんだ。アルゴはあの老婆の言うことを信じて、決して山へ入ることはないだろうと思ったからだ」
いつも冷静なロウムは、この時ばかりは様々な思いでいっぱいだった。
「くそ。私が間違っていた。アルゴがリアムたちに喋ることをなぜもっと考えなかった。いや、私は恐れていたんだ。リアムだけではない。狩人の職につく者以外、誰一人山へ入らせたくなかったのだ」
コバルト。
「だから。だからだ」
狩人仲間。
「私は化け物を見たなどという嘘をついたのだ」