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8年前、妻のコバルトが死んだ。
原因は野生動物に襲われたことであり、自身の過ちであるとロウムは考えている。
経緯を辿れば長くなる。
当時、コバルトは身籠っていた。 子どもを産むのは命懸けで、ロウムの母もロウムを産んで間もなく死んだと聞いていた。その話を聞いていたため、当のコバルトは生活のために仕事に取り掛かろうとしていたが、ずっと住居内で安静にさせていた。
そしてリアムは無事に産まれた。ロウムとコバルトは喜び、二人は我が子に無上の愛を注いだ。
コバルトの容態には気を遣った。母の話を何度も思い出しては一人びくびくとした。心配とは裏腹に出産後は順調に回復したようで元気を取り戻していった。
それもあって、ロウムは妻の身体より心を気にした。
毎日、ロウムは外の世界を見ていたがコバルトはずっと家の中だった。妻を思っての提案だった。ロウムはこう言った。
「久しぶりに自然の中を歩かないか。君がよければ、私が山の中を案内するよ」
この提案をコバルトは喜んで受け入れた。ロウムは山を熟知している。比較的無理のない緩やかな道のりで、素晴らしい景色が広がる特別な場所も知っていた。ただ、コバルトの心を癒してやりたかったのだ。
準備が整うと、子を持つ狩人仲間の一人にリアムを預けた。それから、ロウムとコバルトの二人は幸せな時間を過ごす予定だった。
二人は並んで歩いて、ゆっくりと目的地まで歩いた。小川や丘を遠目に眺めやりつつ話をした。笑いが絶えなかった。
山の麓まで来ると、そこには小さな実をつけた木があった。ロウムは少し背伸びをして、その木の実を取り、コバルトとともに食べた。甘酸っぱく、ほんのりと甘かった。風が柔らかな花の匂いを運んできていた。
ロウムが選んだ山は村からそれほど離れておらず、女子供が無理なく登れる傾斜だった。周囲に危険な野生動物もいなかった。そのうえ、標高は高くないが一部ひらけた場所があり、そこからの眺めは最高だった。
休み休み先へ進んで、ついに目的の地へたどり着いた。コバルトは歓喜した。そこから見える景色をいつまでも眺めて、輝かしい目をさらに輝かせた。
ロウムはその姿を見て満足し、そろそろ「とっておき」を用意することにした。実は、事前にここへ来て食事を見繕っていた。鹿肉や猪肉を腐らないよう保存して、山の中に保管していた。 家にあってはコバルトに勘付かれる。また、標高が低いとはいえずっと持ち歩くのも楽しむどころか辛くなるだけだ。
コバルトに声をかけた。
「ちょっと待っててくれないか。すぐに戻るよ」
「どうしたの。あなた」
首を少し傾けて、口元を緩めながらコバルトは笑いかけた。長い髪が生きているように波打った。
「いいから、待っててくれ。今からこの景色を前にして、君がさらに喜ぶものを用意したんだ」
「ええ、なにそれ」
「それはお楽しみだ」
「わかったわ。楽しみに待ってる」
また、コバルトは優しく笑いかけた。
ロウムの記憶はそれで終わっている。最後に妻の姿を見たのは、そのシーンなのである。
正確には、この後コバルトはロウムが肉をとりに行っている間に野生動物に殺された。ロウムが戻る頃には、血まみれの妻の姿があった。あったはずなのだ。そして、ロウムは急いで妻を担いで村に戻り、村の者総出で出来る限りの処置は施したが助からなかった。
コバルトの死は事実として確かに存在しているが、記憶から抜け落ちている。明確な映像は残っていないのだ。自身の心がそうしたのだろうとロウムは納得している。
コバルトの死体を見た狩人仲間は、噛み跡やその傷を見て狼ではないかと疑った。一人ぽつんといるヒトの女なら、狼でも集団でかかれば恰好の獲物だ。野生動物による仕業なのは確かだが、狼であるかは推測だ。だから死因は野生動物に襲われたとしか言えない。しかし、いずれにしろその機を狙われたのだ。
首を傾げる者も多かった。あの山に野生動物などなかなか見なかったはずだと。あの辺りは麓にこそ実を食べる草食動物がたまに来る。それを狙う肉食動物もたまに来る。けれども日中に活動することは滅多になく、ましてや山中には見かけない。なぜ、あのタイミングでコバルトは狙われたのか。不幸だと嘆いてくれる者や君は悪くないと励ます者もいた。
だが、はっきりとロウムは思い当たる節があった。答えは、自身が蒔いた種によるものだった。
つまり、山中に隠しておいた肉である。肉食動物の嗅覚は鋭く、肉を求めて山の中に集まったのではないか。あの日、あの時、ロウムは記憶でなく事実として覚えている。肉が何者かに食われて無くなっており、直後、コバルトの悲鳴が聞こえた。それを結ぶ因果。
こうしてコバルトの死から8年が経った。
ロウムはあの日から誓っていた。責任と覚悟ある狩人のみ山へ入り、それ以外の者は何者であれ入れてはならない。どんな山へもだ。
遊び心や出来心に動かされやすい年頃の子どもたち。特にリアムは危険だった。コバルトと同じ末路を辿ってほしくなかった。頑として狩人にはさせなかった。
それが今では、仇になっていた。山の危険さを知らないまま向かわせてしまった。それも、傾斜が急で崖も多い村外れの山へ。あの名もなき山へ。
ロウムは草原までやって来た。リアムもリンもアルゴも誰もいなかった。すでに山の中へ入ってしまったに違いない。
腐って朽ちたためか雷でも落ちたものかぱっくりと幹が割れてしまった大木の横を通り、眼前に迫る山を見据えた。
もう二度とくる事はないと思っていたあの山へ。あの惨劇の山へ。また来てしまった。
ロウムはまた記憶が彼方へ飛んだ。今度はあの日、狩人仲間とともに例の名もなき山中に入った時の記憶だった。
「お前の妻コバルトが死んだ時も何もできなかったではないか」
「き、貴様」
今朝思い出した記憶の続きだった。ロウムは頭痛が襲ってくることを期待したが、今日に限って嫌なことがまざまざと蘇った。
再び容赦なく回想が始まった。
「コバルトのことは今の状況と関係がない。挑発はやめろ」
「挑発? これは事実を述べているだけだ。お前は妻の死に際して何もできなかった」
この山の中に人喰いの化け物が存在するという話をした張本人。その男の名はクリプトンと言った。
非常にプライドが高いことは、日々の狩り場での言動で容易にわかった。彼は普段からロウムに対して反抗的で、敵意に満ちていた。
ロウムはいつにも増して反抗的なクリプトンに反論した。
「聞いているのか。その話は今の状況と関係がないと言ってるんだ」
「何を馬鹿なことを。関係しているさ」
「それはどういう意味だ」
「ロウム。お前には勇気がなかったんだ」
「勇気だと。いま貴様がしている事が勇気ある事だというのか。おかげで我々は足止めを喰らい、退路を失う可能性があるのだ。私はそれを勇気と呼ばない。蛮勇と何が違う」
ロウムは厳しさを込めて言及した。仲間たちの生命に関わる問題を蔑ろにはできなかった。
イライラした調子で話を聞いていたクリプトンだが、突如にやりと不敵な笑みをこぼした。ロウムはなにか嫌な予感がした。
「お前が何を言おうと無駄だ。コバルトの死を招いたのはお前なんだろう? ロウム」
「何を、言っているんだ」
コバルトの死の原因。
その言葉によって、ずきりと頭痛が襲ってきた。気分が悪い。
それになぜクリプトンが誰にも言っていない秘密を知っているのだ。
よりにもよって、なぜクリプトンが。
「ふん。図星か。このことは俺だけじゃない。ここにいる全員が知るところだ」
「だから、なんのことだ」
「とぼけても無駄だ。お前がコバルトを山の中へ誘ったことは皆知っている。だが、そこでお前が肉を山中に隠した事実は俺たちが突き止めたんだ。コバルトの死には多くの謎が残されていたからな」
「謎、だと」
「そう謎さ。例えば生息域の異なる肉食動物が山中にいたこと。コバルトの死体についた複数の傷や噛み跡から、間違いなく狼やその他牙を持った野生動物に殺されたこと。お前がコバルトと連れ立って山中へ行く前の晩、狩りでとった獲物の一部の肉を袋に詰めて出かけたこと。俺たちはこの謎を突き詰めて考えると、一つの結論に達したんだ」
「私に勇気がないというのは、妻の死の原因を隠そうとしたからか」
「そういうことだ。ロウム。お前はとんだ腰抜けだ。最低で卑しいやつだ。妻を死なせた挙句、その理由をみなに話すまいとするとはな」
「違う。妻には自然と触れ合い、心を休めてほしかっただけだ。みなに隠したのは悪かった。しかし、こんなことを話せば村中に伝わり、果てはリアムの知るところとなる。私に残されたのは、リアムしかいないのだ。最愛の我が子に軽蔑され、憎まれ、避けられる屈辱を受けるなら死んだ方がマシだ」
「おいおい。理由はどうあれ事実は事実だ。そうだろ? お前は妻を死なせ、自分の都合で罪を揉み消そうとしたんだ」
「これを罪と呼ぶなら呼べばいい。私も毎日後悔と自責の念で苦しめられている。生きながらにして処刑されているようなものだ」
「お前の気持ちなんぞどうでもいいことだ。俺が言いたいのは、勇気のないお前に指図されるいわれはないということだ。何でもそうだが、集団をまとめる立場にある者は勇気ある者だ」
「もういい。好きにすればいい。私は山を降りる。付いてくる者はないか」
ロウムはこの男と話しても無駄だと悟った。何を言っても、彼の心には伝わらないだろう。
嫌気がさして、再び山を降りる提案を仲間たちに示すために顔を見回す。だが、仲間たちは妙によそよそしく顔を逸らした。
何かが変だった。
代わりにクリプトンが阻んできた。
「待てよ。ここは俺が仕切る場面だろ。前から思っていたんだ。お前は能力が買われてるからって、調子に乗りすぎなんだってな」
「何が言いたい?」
「俺の命令に従ってもらう。隊長命令で化け物探しを続行する」
「無理だ。急傾斜地で勝手もわからない山中を暗闇の中進むつもりか。あまりに無謀だ」
「そうか。なら帰っていいぞ。その代わり、お前の秘密は村中にばら撒いてやるよ」
「お前の目的は何だ? 私に指示されることがそれほど屈辱だったとでもいうのか。その腹いせに私を虐めて楽しんでいるのか。結局のところ、貴様は私が評価されることが気に食わないだけではないのか」
どうやらこの言葉は核心に触れていたらしく、みるみるうちにクリプトンの顔が赤くなった。
地面を蹴り上げ、苛立たしげに吠えた。蹴り上げられた土や石がロウムの足にかかった。
「黙れ。勘違いをするな。あと、口の聞き方に気をつけるんだな。最愛のリアムに言ってやってもいいんだぞ」
「おい。お前たちはこの男を見てどう思うんだ。こんな奴の言うことを聞くつもりか」
男たちは一斉に顔を伏せた。表情は暗く、完全に屈していた。その瞬間、ロウムはある確信を抱き、怒りに燃えた。
この者たちはロウムと同じなのだ。
「貴様。他の者たちの弱みも握っているのだな」
「弱み、か。俺はただ謎を解明するのが好きなだけさ。化け物の真の正体も。人の真の正体も、な」
「下衆め」
「いいのか。そんな口答えをして。早速、村中にお前の本当の姿を吹聴して回ってもいいんだがな」
「くっ」
悔しかったがリアムのことを考えると簡単に帰るわけにいかなかった。
ロウムの悔しそうな顔を見て、クリプトンは満足そうに笑った。
「あはははは。お前たちもみろよ。あのロウムの屈辱的な顔を。負け犬とはこのことだ」
今は我慢の時だと自身に言い聞かせた。満足するまで付き合えば、やがて解放される。他の仲間たちも安全に帰すことが最重要事項だ。それが使命だ。
ロウムはこの劣悪で下衆な男クリプトンの意向に従わざるを得なくなった。
クリプトンは気取った口調で命令を下し、各自探索する範囲を割り当てた。その指示する指がロウムの顔に止まり、最大限の侮蔑のこもった目で「床になれ」と言ってのけた。
ロウムは膝を折り、体勢を崩そうとしたところクリプトンが腹に蹴りを入れてきた。
痛みに耐えてクリプトンを睨むと、そこには嘲笑して歪んだ顔があった。
「なにをしている。ちゃんと地面に這いつくばるんだよ。腹を浮かせるな。顔を上げるな。地面に全部付けていろ」
「くそ」
陽が傾き始めているのがわずかに木の間から確認できた。ただでさえ日中でも薄暗い山中が、さらに暗くなってしまう。
どすんと重い体重が背中にのしかかり、腰辺りがきしんで痛んだ。
口笛を鳴らしながらクリプトンは仲間たちが化け物を探す様を愉快そうに眺めていた。
ロウムは思った。この男こそ化け物なのだ。人間ではない。これほど人格が汚らわしいものこそ化け物の正体なのだと。
その時、仲間の一人が叫び声を上げた。一斉に視線がそこに集中する。ロウムもどきりとした。まさか本当に化け物が存在したのか。
しかし、それよりも危険が迫っていた。仲間の一人が足を踏み外して、いまにも転落してしまいそうになっていた。
想像していた通りの危機が起こってしまった。やはり危険だった。視界も悪くなった山中で未踏の地を探索するなどという無謀な計画はやめるべきだったのだ。
ロウムは走り出そうとした。だが、上にクリプトンが乗っかっている。ロウムは怒鳴った。
「おいクリプトン。いつまでこうしている。あいつは助けが必要だ」
「ロウム。まあ見ていろ。俺に踏まれて大人しいままな」
「ふざけるな。あのまま落ちたら死んでしまう。人の命をなんだと思っている」
その間にも、仲間は助けを求めながら、なんとか両手は滑る地面を掴んでいる。だが長くはもたない。誰かの助けが必要だった。
ロウムは暴れたが、上に乗るクリプトンはロウムよりも体格が良く長身だった。ロウム自身が助けに行くのは不可能だ。
ロウムは声を絞り出して言った。
「おい。お前たちが助けるんだ。でなければ死んでしまう」
「お前らは動くなよ。動けば連帯責任だ。全員の秘密を村中に漏らそう」
「貴様」
クリプトンがロウムの声に被せて命令する。仲間たちは顔を見合わせて、助けに行く意志はあるものの尻込みしていた。
「助けてくれ」という声が響く。地に落ちた葉が彼の体を奈落へ運んでいく。とうとう間に合わなかった。
彼は悲鳴をあげて滑り落ち、やがて破裂音が響いて声が途絶えた。見なくてもわかった。間違いなく死んでしまった。
ロウムは感情の波で壊れてしまいそうだった。理性が吹き飛んでしまいそうだった。
身体を持ち上げようとする。しかし、クリプトンがさらに踏ん張ってまったく動けなかった。クリプトンが静かに言う。
「これは必要な死だったのだよ」
「仲間の死が、必要な死だと?」
怒りに震える声で地面を睨む。
「ああ。必要だったのだ。重要な過程の一つだよ」
「お前は化け物だ」
「俺が化け物? あはははは。それは良い響きだな。人の心を持たざる者というわけか」
「ああ。クリプトン。お前は人の心を持たない化け物。最低最悪の屑野郎だ」
「黙れよ」
クリプトンが手でロウムの頭を強く押し付ける。土が口の中に入り、目を閉じていなければならなかった。だが、この時のロウムにとってそんなことはどうでも良かった。
この男だけは許せなかった。
「ロウム。前にも言ったよな。口の聞き方には気を付けろと。そして、俺はこうも言っていたな。お前には勇気がない、と」
「だからどうした」
「俺は違う。勇気がある。だからこうして暗くなるまで山中の探索を続行し、お前の罪を解き明かしてやったんだ。意味、分かるか?」
「何もわからないな。わかってたまるものか。ゴミめ」
「相変わらず頭が悪いな。理解力がない。そんなお前にわかりやすく教えてやろう。俺の計画を」
太陽が西に傾き、沈んでゆく真っ暗な視界で真っ黒な目をしてロウムは大人しく聞いた。
「俺はお前の罪を暴き、白日の元に晒そうと考えた。勘違いするな。お前の名声や立場に嫉妬なんてしていない。これは正義だ。では、その正義を実行するにはどうすればいいか。次なる手は復讐だったんだ」
「復讐とは、なんだ」
「お前の妻コバルトのための復讐だよ」
「なんだと」
「コバルトはさぞ無念だろうよ。子供を苦しんで産んだ矢先、今度は夫の籠絡によって山中で無惨にも野生動物に殺された。まるで使い捨てだな」
「籠絡ではない。何度も言った。私はコバルトを思って」
「ああもういい。聞き飽きたよロウム。俺の話を聞くんだな。とにかく、俺はコバルトのことを思って仇を討とうと考えた。だからあの時と同じ状況を作ったんだ」
「同じ状況?」
「お前のせいで罪のない人間が一人死ぬ。何もできず、腰抜けのお前のせいでだ」
「何を言っている。全部お前のせいじゃないか」
「そうかな」
クリプトンが押しつけていた手をのけた。ロウムは土で汚れた顔をあげた。
そこには残された仲間たちの顔があった。相も変わらず暗い顔で、情けない顔をしてロウムを憐んでいた。
ロウムは言葉を出した。
「なんだその顔は。どうしたんだお前たちは」
「こういうことさ。村の者はみなお前が狩りの指揮をとっていると思っている。実際、ずっとそうだった。そして今回、隊長命令で未踏の山へ入り、暗くなるまで探索を強行。そのおかげで仲間の一人は悲しくも転落。村の者はお前を軽蔑し、やがて化け物でも見るように扱うだろう。まあ迫害だな。追い出されるだろうよ」
「お、おまえは」
「そして、俺はコバルトの死の真相についても村の者の前で解き明かす。これまでの罪の数々をな。お前にとって屈辱極まりないだろうな。二度も目の前で大切な人間を何もできず失った。しかも過去の罪も暴かれ、今回も罪を被るんだ」
「お前、お前は」
「もちろん罪は真実となる。そう、俺の仲間達によってな」
「お前は私が殺す」
ロウムは渾身の力を振るって身体を起こした。クリプトンは不意を突かれたのか、ロウムの力が爆発したためか押しのけられた。
槍を構えてロウムはクリプトン目掛けて突き出した。
寸前、辛うじてクリプトンはそれをかわし、同じように槍を構えた。
「おいロウム。ついに人殺しまで犯すつもりか。いや違ったな。もうお前はすでに人殺しだもんな。二人も殺したんだ」
「お前はここで死ななければならない存在だ」
ロウムは槍を正確に相手の急所を狙って突き出した。クリプトンは何度もよろけながら攻撃をかわしたが、腕や脇を槍先がかすめて傷を負っていった。
クリプトンが叫ぶ。
「おい、何突っ立っているんだ。お前たちもロウムを攻撃しろ」
仲間たちはおろおろするが、じりじりとこっちに向かって来た。
「殺すなよ。足を狙え。動けなくして、後で自分の罪を糾弾されまいと暴れたと言えば良い。そう、俺たちを殺そうとしたとな。くっく。ロウム、お前はまた自分の首を絞めたようだな」
「お前の言っている事は正しいぞクリプトン。しかし、訂正しよう。自分の罪を糾弾されまいと暴れたのではない。お前たち全員を殺そうとしたのでもない。だが、クリプトン。お前を殺し、私自身の首を絞めるのは事実となるだろう」
「ちっ。やれお前ら」
槍が四方からロウムめがけてやってくる。しかしすべて足や腰辺りを狙っているので攻撃の位置が分かりやすかった。
ロウムはすべてかわして、足を踏み込んでクリプトンの目の前まで飛び出す。目を見開き恐怖するクリプトンのどてっ腹に槍を貫いた。
鮮血がじわじわと槍先から流れ出る。
「ぐ、ぐおお」
「終わりだクリプトン」
クリプトンを突き刺したまま崖の方へ押し出していく。荒い息と葉が怒ったように吹き荒れる音が辺りを包む。
「お、俺が死んだら文字として記録が残るぞ」
クリプトンが喚いた。
「馬鹿な。文字など都市の高官や上流階級の者しか知らぬはずだ。往生際が悪いぞクリプトン」
「馬鹿はお前だロウム。知ってるだろう。最近では村は都市の配下になり、資源や食糧も都市に徴収されるんだ」
「それがなんだというんだ」
「だがな。いくら勢力をつけたといっても徴収なんてものはめちゃくちゃだ。武力に任せて何のいわれもなく取り立てるんだ。村の者もいい顔はしない。村同士が反乱を起こして都市の勢力が弱まわれば、その隙を狙って転覆を狙う勢力も出てくる。そうだ。お前の妻を殺した肉食動物みたいに一瞬の隙をつくんだよ」
「無駄話は終わったか?」
槍を握る手に力を込めて槍先をクリプトンの腹にさらに突き刺す。
クリプトンは血を吐いた。
「や、やめろ。まだ話はある。いいか。都市としては村と面倒なことを起こしたくないんだ。穏便に都合よく徴収できればそれでいいんだよ」
「そんな都合のいい話などない」
「あるんだな。それは相手の弱みを握ってしまうことだ」
「弱みだと」
「そうだ。村も都市も構造は同じだ。中心となる奴がいて、そいつがすべてを仕切る。権力が集中してるんだよ。俺は村のほとんどの奴の秘密を知っている。そして、俺は都市の高官どもと付き合いがあるんだ。嘘じゃない。なぜなら狩りの収穫を都市まで運ぶのは俺の役目だからな」
確かにクリプトンは狩りで得た食糧を都市へ運ぶ役割を担っていた。都市まで足を運んでいるため、話の内容はあながち嘘とは言い切れない。
「しかし、誰がその話を誰が信じる。貴様が村の者たちの弱みを握り、高官と繋がりがあり、貴様が死ねば文字として記録され、都市へ伝わる。そうなれば徴収もさらに上がり、やがて村の者は生活が成り立たなくなる。挙げ句の果てには秘密が村中どころか都市にも漏れる可能性がある。そう言いたいのだな」
「そうだ。あはははは。どうだ。俺が死ねば必ず他の仲間が伝えにいくだろう。秘密を知るためには俺だけの力では無理があったから、協力者は他にも当然いる。報酬は山分けする決まりだったが、逆に言えば村中の秘密を知った今、どちらかが死んだ方が総取りできるんだ。だから俺が死ぬのはまずいんだ。お前たちにとってもな」
後ろにいた仲間たちは、口々に何かを言い合って困惑していた。
ロウムはクリプトンの目を見て言った。
「くだらないことを言い残してくれたな。お前の言っていることはでたらめだ。証拠も何もない」
「くっく。証拠なんていらなかったようだな」
「なに」
右足に激痛が走った。
見ると、仲間の一人が歯を食いしばって槍を突き出していた。
ロウムは仲間の目を見て言う。
「馬鹿者。お前たちまで下衆に堕ちるつもりか。こいつの言っていることを信じるな」
「す、すみません。ロウムさん。でも、俺たちも家族がいる。生活があるんだ」
「おれもだロウムさん。クリプトンの言いなりになるのは癪だが、あのことがバレちまったらおわりなんだ」
「すまねえロウム」
「ロウム」
仲間たちは完全にクリプトンの言葉を信じきっていた。ロウムは絶望した。このままでは、仲間たちに取り押さえられてしまう。そうなれば何が待っているだろうか。
クリプトンは相当腹にきている。秘密をバラされるどころか、このままロウムを殺すことを選択するはずだ。
そして何より、残されたリアムはどうなる。クリプトンは何をする。どんな仕打ちを与えるつもりだ。
ロウムはそこまで考えて、いまの状況を打開する方法がぱっと浮かんだ。
それは。
「すまない、だと。お前たちはこの男クリプトンと同じ道を選んだのだ。今この瞬間にだ。つまり、お前たちは人間ではなくなった。人間を辞めて、化け物に堕ちることを自らの意志によって決めた」
「ロウム。お前の負けだ。大人しく捕まることだな」
クリプトンが勝ち誇って言った。
そして。
「があっ」
「な、なんだと」
「ロウムさん」
ロウムは腰にさしていたナイフを右手で取り出し、仲間の一人の喉元に突き刺していた。いや、もう仲間ではなかった。敵だった。
「よく聞け。私も選んだ。化け物になることをいま選んだ。容赦無用だ。慈悲も無用だ。ここにいる狩人みんな化け物と同等だ」
黒くはっきりとした意志で太陽が地平に落ちかかる様を横目にみやって宣言した。
「私たちは今から殺しあうのだ」