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#BL
#ヒューマンドラマ
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逃げ道として差し出したはずの言葉なのに、帝辛の瞳は逃がさない。
むしろ、その『整え方』そのものを味わうみたいに、薄く間を置いた。
「ほう。いま、私に休めと言ったな」
淡い声。だが、確認の刃が正確に骨へ届く。
「……はい。執務が続いておりますので」「続いているのは、私の執務だけか?」
一歩も動かず、距離だけを詰めてくる問い。縫季は、息の置き場を失う。
「……茶をいれてみろ」「え?」「そなたが提案したのだろう。休めと。――なら、そなたの手で休ませてみせろ」
命令ではない、と言える形。
だが拒めない。拒めば、余計に怪しくなる。
「……承知いたしました。すぐに、お持ちいたします」
縫季は官吏の声を作り、席を立った。
背中に視線が刺さる。
刺さるのに、痛みがない。痛みがないことが、いちばん怖い。
政務の間を出る直前、帝辛の低い声が追いかけてくる。
「――縫季。そなたの『匂い』を、私はまだ決めかねている」
縫季は返事をしなかった。できなかった。
官吏の顔のまま一礼し、政務の間を出る。
扉が閉まった瞬間、肺の奥に溜めていた息が、遅れて落ちた。
◆
指先が、ほんのわずかに震えていた。
縫季はそれを見て、無意識に手を握る。
たった数言で、こちらの癖の奥まで触れてくる。
目の置き方。間の取り方。
そして、「休めと言ったな」と、逃げ道ごと押さえる言葉の運び。
腹立たしかった。
こちらが距離を取ろうとする時に限って、正確にそこへ手をかけてくる。
逃げ道の形を知った上で、塞いでくるようなやり方だ。
完璧な王太子の顔で、人の癖を見抜き、揺れを測り、退く隙だけを残さない。
それだけなら、まだよかった。
だが、あの男はそれだけでは終わらない。
父を失う不安を隠しきれない顔を見せたかと思えば、市では子どもに独楽を渡して笑う。
清朗の前では、肩の力を抜いたまま、心から楽しげに言葉を返す。
そういうものを、不意に見せる。
見せられるたび、胸の内が勝手に揺れた。
追い詰められているのはこちらのはずなのに、気づけば、守らねばならぬもののように思いかける。
そんな余計な縫い目を作りそうになる。
縫季は息を吐いた。
動揺を外へ逃がすには、怒りの形を借りるのがいちばん早い。
歩調を整え、湯の間へ向かう。
手を動かせ。
火を整えろ。
香気を待て。
そうして官吏の顔へ戻れば、まだ間に合う。
そう思い込むくらいは、許されるはずだった。袖を払って、縫季は眉間の熱を押し込めた。
茶を煎じるだけだ。たったそれだけのことに、なぜこんなに心が騒ぐのか
――考えるのは、後にする。
ほどなくして、縫季は茶を持って戻った。
陶壺から椀に注いだ茶を盆に乗せ、卓の端に置く。
その瞬間、帝辛は筆先を止めただけで顔を上げ――椀ではなく、縫季の指先の運びを見てから、ゆっくりと筆を置き、椀を受け取った。
口元へ運び、ひと口。
すぐには言葉が落ちない。湯気の向こうで、瞳だけがわずかに動く。
「悪くない」
その一言で、縫季の肩がほどけかけた。だが帝辛は続ける。声は淡いのに、逃げ道だけを先に塞ぐ調子だ。
「――ただ、火が早すぎた。香が飛んでいる」
縫季は息を呑んだ。
椀の色が、ほんの少し濃い。煮立てすぎた茶葉の、微かな渋みが残っている。味ではなく、手の急き方の問題だ。
帝辛は盆の上の道具を一つずつ見た。
陶壺、布巾、茶葉の小壺。
視線は物に向いているのに、拾い上げているのは縫季の『内側』だった。
「そなた、火を急かす。煎じる前に『終わらせる』手だ」
帝辛は腰を上げ、湯の間の竈の前へ歩いた。小壺から茶葉をひとつまみ、陶壺へ落とす。湯を加えてから、火の前に静かに立つ。
「見ていろ。――もう一度」
命令ではないのに、拒めない形で落ちる声。
縫季は小さく頷き、帝辛の隣へ寄った。炭火の前に立つと、顔に微かな熱が来る。
「火はここで絞る。沸き立てるのではなく、内側から温める」
帝辛は火箸で炭を少しだけ端へ寄せた。音がほとんど立たない。
炎が収まり、陶壺の底が柔らかく温められていく。
「……香が出始めるまで、待つ。急かせば飛ぶ」
縫季は息を止めた。
しばらくして、茶葉のやわらかい香気が、ふわりと立った。
「……わかるか」帝辛が縫季へ向く。
確かめるように、でも強制はしない声音。縫季は一度だけ頷いた。湯気が鼻先をかすめ、息が少しだけ浅くなる。
帝辛は今度は縫季へ火箸を渡した。手が触れる寸前で止まる。
渡す、だけ。「やってみろ」
コメント
1件
「痛みがないことがいちばん怖い」――この感覚が二人の距離感をよく表してるなと思いました。茶の渋みから縫季の焦りを当てる帝辛の観察力が怖いのに、竈の前で「もう一度」と手ほどきする姿に、縫季が揺れてしまう気持ちも分かります。匂いというこの世界ならではの掴み方も効いていて、次が気になる一話でした。