朝の光が薄暗い部屋の隅々までゆっくりと広がっていく。カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽射しが、微かな温もりを持って奏太(そうた)の頬を照らした。
目覚めても、彼の身体は重い。疲れが取れたはずの朝なのに、昨日の続きのような倦怠感がまとわりついていた。
ぼんやりと天井を見つめながら、彼は自分の胸の中に渦巻く違和感に気づく。昨日、医師から言われた言葉が耳の奥で何度も反響していた。
「君の余命は、長くて一年ほどでしょう。」
無機質な病院の診察室。壁際に立つ時計が、まるで人生のカウントダウンを示すように秒を刻んでいた。
医師の顔には淡々とした表情が貼りついていて、その言葉がどれほど人を絶望の淵に突き落とすのかを知っているのか、いないのか、奏太には分からなかった。
彼は病院の帰り道、何も考えずに歩いた。知っているはずの景色が、まるで別世界のもののように思えた。
なぜ自分がこんな運命を背負わなければならないのか——そう思うと、喉の奥が詰まりそうになり、必死で涙を堪えた。
だが、朝が来てしまえば、そんな悲嘆も意味を失う。
奏太は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。いつもと同じ空気。いつもと同じ朝。
しかし、もう「いつも通り」ではない。
静寂の中、彼は枕元に置いたスマートフォンを手に取る。画面には未読のメッセージがいくつも並んでいた。
友人や大学のゼミの仲間、時折連絡をくれる母からのメッセージが並ぶ中で、一通のメールが目に留まる。
「今日、会えない?」
送信者の名前を見て、彼は眉をひそめた。
——あかり。
あかり。
その名前に覚えはない。
けれど、何かが引っかかった。どうしてもこの名前が気になった。
思い返せば、病院の待合室で、彼はぼんやりと周囲を見渡していた。
隣に座ったのは、どこか温かみを感じさせる女性だった。
ふと、彼女は奏太に微笑んだ。
「調子、悪いの?」
突然の問いかけに驚いたが、彼女の声には不思議な安心感があった。
奏太は何も答えられなかった。ただ、ぎこちなく首を振った。
「そっか。でも、しんどそうな顔してるよ。」
彼女の言葉は、どこまでも優しかった。まるで、すべてを受け止めるような声音だった。
短い時間だったが、彼女との会話は彼の中で妙に印象深かった。
何かに導かれるように、彼はスマートフォンの画面を見つめ、返信を打ち込んだ。
「どこで?」
午後三時、駅近くの小さなカフェ。
奏太が指定された店のドアを開けると、カウンター席に座るあかりの姿が目に入った。
黒髪を一つに結び、シンプルなカーディガンを羽織った彼女は、目の前のカップから立ち昇る湯気をぼんやりと眺めていた。
彼が近づくと、あかりは顔を上げて微笑んだ。
「来てくれて、ありがとう。」
何気ない言葉なのに、不思議と心に染みた。
「なんで俺に?」
あかりは少し首を傾げたあと、笑顔のまま答えた。
「昨日、病院で会ったでしょ?」
やはり彼女だった。だが、それだけで連絡を取る理由にはならないはずだ。
「それだけ?」
「……それだけじゃないけど。」
彼女は静かにカップを持ち上げ、一口飲んだ。
「私ね、人を助けるのが好きなんだ。」
奏太は思わず眉をひそめた。
「助ける?」
「うん。私、ボランティア活動をしてるの。いろんな人と出会って、話を聞いて、できることをするのが好きなんだ。」
彼女の言葉は真剣だったが、押しつけがましくはなかった。ただ、純粋に「誰かの力になりたい」と願う人間の目をしていた。
「昨日の君の顔を見たとき、なんとなく気になったの。だから、話せたらいいなって思って。」
その言葉を聞いて、奏太は何かを言いかけたが、飲み込んだ。
誰かに話すべきことなのか?
自分の命が限られていることを、見知らぬ他人に打ち明けていいのか?
——でも。
「……俺、余命一年って言われた。」
言葉が零れた瞬間、自分でも驚いた。
あかりは一瞬、目を見開いたが、次の瞬間には柔らかく微笑んでいた。
「そっか。」
まるで、すべてを受け入れるかのような表情だった。
奏太は思った。
この人になら、何かを話してもいいのかもしれない。
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