部屋の電気を消し、真っ暗な天井を見つめる。
静寂が耳にまとわりつき、心臓の鼓動だけが響く。
カフェでのあかりとの会話が、何度も脳裏に浮かんでは消えた。
「そっか。」
あの一言が、何度も胸に響いていた。
憐れみでも同情でもない。ただ、彼の言葉を受け止めるための言葉だった。
……どうして、彼女に話したのか。
これまで誰にも言えなかったのに。
母親にはもちろん、親しい友人にも、余命のことを打ち明ける勇気が出なかった。
「君に、何かできることある?」
彼女は、自分が何もできないかもしれないと分かっていながら、それでも「何かしたい」と言った。
それが彼女の生き方なのだろう。
——人を助けることに価値を見出す。
まるで真逆の生き方をしてきた自分とは、到底相容れない考え方だった。
それなのに、不思議と彼女の言葉が心に残る。
……遠い記憶が、浮かび上がってきた。
12年前の冬。
病院の個室で、奏太は冷たい手を握りしめていた。
ベッドに横たわる父の顔は、異様なほど青白く、頬がこけていた。
酸素マスクをつけた父の呼吸は浅く、いつ止まってもおかしくない状態だった。
「奏太……。」
かすれた声が、沈黙を破る。
「……父さん、まだ話せる?」
奏太は幼いながらも、恐る恐る聞いた。
父は弱々しく微笑み、力なく頷いた。
「お前に、ひとつ……お願いがある。」
父の言葉を聞き、奏太は思わず唇を噛みしめた。
「強く……生きろ。」
それが、父が最後に伝えた言葉だった。
その言葉の意味が、幼い彼にはまだ理解できなかった。
だが、その後すぐに心電図が無機質な音を鳴らし、父は帰らぬ人となった。
奏太は泣かなかった。
泣いてしまえば、本当に父がいなくなったことを認めてしまう気がしたから。
それ以来、彼は何でも一人でやるようになった。
誰かを頼ることも、甘えることも、泣くことさえもやめた。
「強く生きる」ことが、父との約束だと思っていた。
——それなのに、自分は死を前にして、何もできずにいる。
スマホを手に取り、何度も画面を開いては閉じる。
大学のグループチャットには、ゼミの連絡が流れている。
「卒業研究の進捗はどう?」
「今度の発表会、みんなで集まろう!」
……彼はもう、卒業すら迎えられないかもしれない。
奏太の夢は、映画監督になることだった。
大学の映画研究ゼミに所属し、仲間と自主制作映画を作ることが何よりの楽しみだった。
しかし、病気が進行すれば、そんな活動も続けられなくなる。
未来の展望が消えていくことが、何よりも怖かった。
「あと一年もないのに……どうしたらいいんだよ。」
呟いた言葉は、自分自身に向けたものだった。
それでも、答えは見つからなかった。
翌朝、目を覚ました奏太は、スマホのメッセージを開いた。
あかり:「今日、空いてる?」
昨夜の迷いが一瞬で吹き飛ぶような、短いメッセージだった。
彼は、ほんの数秒迷ったあと、返信した。
「会おう。」
何かが変わるかもしれない。
そんな予感が、心の奥底で微かに灯った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!