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「・・・・・・まさか、飯島さんの死に、平良くんが関わっているなんて」
グラスの氷を揺らしながら、清香はそう呟いた。レトロチックなカフェには、一昔前の洋楽が流れている。
「それで、どうするの? どうやって向井くんから情報を聞き出すの?」
清香はストローでメロンソーダを吸い上げる。和美と互いに目配せを交わし、私は予定通り作戦を告げた。
「まず、一番警戒されないであろう高嶺さんが向井くんと接触する。その間、私たちは見守ってるから心配しないで。情報を引き出せたらそれを使って平良くんを追い詰める。ざっくりだけど、これが今考えてる作戦かな」
溶け始めた氷がカランと音を立てる。グラスを握りしめた清香の顔は青く変色していた。
「ちょっと待って、私が向井くんと話しをするの?」
彼女の瞳が不安げに揺れていた。それもそうだ、彼女は怖がりな子だもの。以前、由乃と二人で夏祭りに行った時、泣きながらお化け屋敷を出る清香を見たのを思い出した。
目の前の清香と、夏の日の清香を重ねてフフッと笑う。それを見た彼女の目がスッと狭まって、私はごめんごめんと軽く謝った。
「・・・・・・私、全然男の人と喋れないから、こういうのは東條さんの方が良いんじゃない?」
呆れたようにため息をつくと清香はそう言った。全く同じようなやり取りに、私は少し前の和美との会話を想起する。
「高嶺さんって男子と話すの苦手じゃない? 和美ちゃんが話した方が良くない?」
私は和美と向き合ってそう言った。彼女は不思議そうな顔で前髪をいじる。
「そう? 清ちゃん、意外と真澄と話してるよ。いつもおどおどしてるけど、真澄とは楽しそうに話してるから、あんまりそんなイメージないなぁ」
彼女は髪の毛をいじる手を止めると、大きく伸びをした。和美はその体制のまま大きく欠伸をする。
「清ちゃんで大丈夫だと思うよー。まあ、ウチがあんまり文也と話したくないってのもあるんだけど」
和美と目が合う。和美は自信ありげに笑った。
「予定通り、仲間にするのは清ちゃんね。断られたら、その時考えよう」
頬に浮かぶ痣が気にならなくなるほど、明るい笑顔だった。どこからそんな自信が湧いてくるのかわからないが、今はその自信に頼ってみようと思えた。
「高嶺さんなら、大丈夫。私と和美ちゃん、二人が一番信頼できる人だから」
私はそう言った。清香は一瞬大きな目を更に大きく開いた後、頬を赤く染めた。
「そこまで言うなら、良いよ。私が向井くんと話してあげる」
清香は私から目を逸らす。その反応は、かつて由乃といた時の自分を見ているようで、何だか笑ってしまった。更に赤みが増す。
私は清香に向かって拳を出した。彼女は何が何だかわかっておらず、隣の和美に促されて拳を出した。私たち二人の手に加えて、和美のも差し出される。三人の拳がぶつかり、和美が笑った。それにつられて私も笑う。意味がわからないという顔をしてメロンソーダを飲む清香を横目に和美は言う。
「これで、ウチらは仲間だね」
“仲間”、甘美なこの言葉は、メロンソーダよりも甘かった。飲み干したグラスには、もう何も残っていない。
そろそろ出ようか、なんて和美が言い出す頃には、夕闇が町を覆っていた。私たちはずいぶんと長い間、他愛ない話に花を咲かせていたらしい。
白髪交じりのマスターに、長居した謝罪とお礼を述べて、私たちは店を出る。夕暮れの町には人通りが少なく、どこか物悲しげだった。
三人分の足音だけが歩道に満ちている。
「じゃあ、私たちはこっちだから」
車通りの増えた交差点で、不意に清香は言った。指が指し示す先には、和美の家が遠くに見えていた。
「じゃあね、紗世ちゃん! また明日ー!」
和美が笑顔で大きく手を振っている。愛くるしいその姿の横で、清香が恥ずかしそうに顔を逸らしていた。
「二人とも、また明日ね。ばいばい」
私も彼女に負けないよう、できるだけ大きく手を振った。満足げに和美は手を下ろすと、ゆっくりと歩みを進める。清香は彼女らしく、小さく手を振ると和美の背を追って行った。
二人の背がちっぽけに見えるまで待って、私は家へと歩き始める。脳裏は、先ほどの会話でいっぱいだった。古い洋楽が頭の中でリバイバルする。
「そういえば、清ちゃん、何で”嫌われちゃったのかな”って言ってたの?」
見方によってはデリカシーのない言葉に清香は俯く。彼女は唸りながら、しばらく何かを考えているようだった。
「・・・・・・彼氏に避けられててさ」
一瞬、時が止まったかのような静寂が頭を埋め尽くした。やがて時計の針が動き出すように、ゆっくりと音が私たちの元へと帰ってくる。
「え! 誰? 誰なの? 同じクラス?」
和美がキャーキャーと大きな高い声で清香へ詰め寄る。鼓動の音すら聞こえてしまいそうなほど近くに、興奮した和美の顔が接近している。清香の顔は和美とは別の理由で赤くなっていた。
「やだ、和美には言わない。紗世になら言ってもいいけど、和美だと恥ずかしいもん」
唇をとんがらせて清香は言った。いつの間にか、私たちは下の名前で呼んでもらえるほど、清香に仲良しだと思ってもらえているらしい。
清香は絡みつく和美の腕を逃れて、私の隣に座る。当然ながら、和美もそんな面白いネタを放っておかず、清香とは逆側の私の隣に座り込んだ。両手に花の状態で私を挟んだまま、和美は追求をやめない。
「ねえねえ、清ちゃん教えてよー! ウチらの仲じゃん! お願い!」
「どの仲だよ! 和美には言わないってば!」
「じゃあ紗世ちゃんにで良いからさー!」
突然、矛先が向けられる。え、と思わず声を漏らした私に両サイドからねっとりと湿度の高い視線が送られた。
「紗世ちゃん、聞いたらこっそり教えて」
「紗世、和美には言っちゃダメだからね」
両耳にひそひそと、それぞれ真逆の言葉が届いた。両手に備えた花はどうやらアマリリスだったようで、私は片方の言う事だけを聞くことにした。
「本当は誰にも言っちゃダメって言われてるんだけど、言うね」
耳に手を当てて、和美に聞こえないよう配慮しながら、清香は押し殺した声で言う。左の耳がくすぐったい。
「・・・・・・真澄くんと付き合ってるの」
短い髪から覗く耳の先まで真っ赤に染めて、半泣きになりながら恥ずかしそうに清香は口にした。彼女の体温が伝わってきて、ここだけ気温が上がったかのように暑い。
「和美ちゃん、高嶺さんは・・・・・・」
「ちょっと待って! 何言おうとしてるの!」
おたおたと短い細い腕を振り回して、清香は必死に私の口を塞ごうとする。彼女の秘密が和美に伝わることはなく、私の悪巧みはあえなく失敗した。
「ちぇ、知りたかったなぁ」
特製のりんごジュースを飲みながら、和美はそう呟いた。清香は硬いソファの上で膝をつけ、ペタンと力なく座り込んだ。その口はキッと結ばれていて、メガネ越しに睨む眼光は鋭く私に向けられている。
「ごめんね高嶺さん。本当に言うつもりは無かったから許してほしい」
手を合わせて私は彼女に謝罪する。清香は大きな目に大粒の涙を溜めて、ぷいとそっぽを向いた。
「・・・・・・もう紗世なんて知らないもん」
ぷくっと頬を膨らませて清香は窓の外を見ている。私はどうにか許してもらおうと必死に謝るが、それを見て和美が笑うから、どうにも緊迫感に欠けていた。
「本当にごめんね。ほら、このアップルパイ私が奢るからさ」
「物で釣ろうとしないで。あと苺のケーキが良い」
迷うことなく清香は一番高価な苺のショートケーキを指定した。私は財布の中身を確認して、ケーキを注文する。
やがてそれが到着する頃には、清香の機嫌は直っていた。フォークで切ると、断面にふわふわで明るい黄色のスポンジ部分が顔を出す。
清香はゆっくりとケーキを小さな口に運ぶ。何度か味わうように咀嚼して彼女はそれを飲み込んだ。
「このケーキ美味しい。紗世も一口食べる?」
そう言うと、小さなフォークで一口分のケーキを私の顔の高さまで持ち上げた。
私が口を開けた時、横から和美が顔を出し、ケーキを攫って引っ込んだ。眼前で唖然とした清香が私と同じように口を開けている。
「ちょっと、紗世って言ったんだけど」
「ありがと清ちゃん、美味しいねーこのケーキ」
私の背中に体を預けて和美は言った。清香はもはや、呆れて物も言えないようだ。
「はい、お返し。紗世ちゃんも食べて良いよ」
和美は自分で注文したアップルパイを差し出すと、私の背の上でスマホを操作し始めた。
私たちがアップルパイを食べ終わるのを待たずに和美はスマホを頭上に持ち上げた。
「二人ともこっち向いてー。いくよ、はいチーズ」
パシャッと乾いたシャッター音がして、和美のスマホにスリーショットが記録される。彼女は撮影されたそれを見て、画面をこちらに向けた。和美は大きく口を開けて笑っている。
「ちょっと、私の目開いてないんだけど」
和美の大きな笑い声に負けじと清香は大きく声を張り上げた。彼女の言う通り、写真には目の閉じた清香と、全然写ってない私、そして一人だけ写りの良い和美がいた。
和美はひたすらに笑っている。私もつられて笑った。清香は納得いかない様子でスマホを取り出すとシャッターを切る。
「私も撮りたいから和美ちゃん降りて」
私もスマホを取り出すと清香の側に寄った。和美も呼んで三人でおしくらまんじゅうするように引っ付く。
「撮るよー。笑って! はいチーズ」
パシャッと音がして私たちの姿はデータとなって刻まれた。見せて見せてとせがむ二人の前で私は今撮った写真を表示する。
「めっちゃ良いじゃん、最高」
そこには満面の笑みの三人がいた。一人は痣を浮かべ、もう一人はガーゼで顔が一部隠れているというのに、とても素晴らしい写真だと思えた。
私は何も言わずに写真をお気に入りフォルダに入れた。
肌を伝う二人の体温は、雪が溶けてしまいそうなほど暖かかった。
私は一人で歩きながら写真を見る。二人の姿を見ると、何だか元気が出た。
不意に視界に影がさす。スマホから顔を上げると、目の前に男が立っていた。
「・・・・・・今日、高嶺と居たよな」
逆光の中で、鋭い眼光が私を射抜く。私は目の前に立つ男に、あの日のような恐怖を覚え、スマホを落としてしまう。
彼、栄真澄はボロボロな指先でゆっくりと私のスマホを拾うと画面を覗き込んだ。
「やっぱり、そうだよな。僕、言ったよね、アイツが怪しいって」
彼は慣れた手つきで私のスマホから写真を削除した。それに驚き、掴み掛かった私の顔で顔認証を突破すると、ゴミ箱フォルダからもそれを消し去る。
「やめて! なんでそんな事するの!」
「犯罪者の写真なんていらないだろ」
冷徹に、そして吐き捨てるように真澄は言った。その目は完全に冷え切っていて、冬場の金属みたいだった。
「高嶺さんは良い子だよ? 犯人なわけがない。それに高嶺さんは栄くんの彼女なんじゃないの?」
彼は一瞬大きく目を見開くと、すぐに細く睨みつける目に戻った。恐怖で足が竦む。
「・・・・・・アイツ、言ったのかよ。じゃあしょうがない、教えてやる。僕が高嶺を疑うのは、彼女だからだ」
真澄はボリボリと頭を掻きむしると、落ち着かない様子で目玉をギョロギョロと左右に動かす。不気味だった。普段のクールな彼との差が大きすぎるが故に、とても異様だった。
「由乃が殺されたんだ! 次はきっと僕だ! 殺される前にアイツを捕まえなきゃいけないんだよ!」
真澄は急に声を張り上げる。彼の言葉は閑静な町にこだまして夕闇と混ざり合い、私を暗く、恐怖に沈めた。
「やられる前に、やらなきゃな」
彼は爪をガジガジと噛む。そこで私は彼の指先がボロボロな理由を知った。
今の彼は何をしでかすかわかったものではない、逃げなくては。力の抜けた足を強く殴りつけると、私はスマホを奪って走り出す。
信号を二つ抜けた先、私は自分の足音以外聞こえない事に気がつき、足を止めた。肩で息をしながら振り向くと、暗い道には誰もいない。ただ底抜けの闇が広がっていて、見ているだけで呑まれてしまいそうだった。
コツ、コツ、と硬いコンクリートを踏み鳴らしながら男は進む。深く被ったフードに隠れた目は血走り、目元には隈ができていて、まるで昔話に登場する鬼か妖怪のようだった。
男は目をギョロギョロと動かし、誰かを探すように日の落ちた町を闊歩していた。その瞳が二人で歩く少女の背中を捉えた。
男の顔がグニャリと恐怖とも、愉悦ともとれる歪な笑みを浮かべた。彼の足を踏み出すスピードが加速していく。
上着のポケットに入れたカッターの刃を出して、男はそれを強く握りしめた。走ってもいないのに男の息が荒くなる。
男は右腕を振り上げそれを勢いよく振り下ろす。それが少女の首筋に届く直前、一筋のハイビームが彼らを照らした。
男はカッターをしまうと、ただの通行人のふりをして少女を追い越した。焦燥で歩みが速くなる。 もうすでに男の背中は闇に溶け、少女たちの視界から消えていた。
町には、ただ漠然たる夜が広がっている。男の行方は誰も知らない。