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突き当たりにハシゴがある。ハシゴを辿って上を見上げると、丸い夜空が見えた。月が出ているのか、うっすらとした光が落ちてきている。外に出られそう。
ハシゴを登り切ると、緩く風が吹いた。草の匂い。かすかな命の匂いにホッとして、井戸の淵から降りる。下では気づかなかったけど、登ってきたハシゴは井戸の中にかかっていた。
ここは外……?ううん、違う……。辺りを見渡した。中庭?
塀に囲まれた小さな庭。北には緑色の両開きの扉が、南には木でできた片開きの扉が見える。そして、庭の中央には噴水があってーー。
「水……赤い……」
とろとろと吹き出す赤い液体は、血に見える。確認する気にはなれなかった。
そこで立ち尽くしたまま、両目を閉じる。ぐらぐらと地面が揺れているような感覚。……一体どうなってるの……。
その時、私の耳に小さな声が届く。
「神様!」
「……?」
「神様!私は今までの悪い行いの全てを後悔しています。私は愚かで思慮が足りませんでした。心から反省しています」
噴水の向こう側に誰かがいる。切羽詰まった声が、まくし立てて祈りの言葉を唱えていた。
「今後は良い娘になります。あなたの忠実な僕であることを誓います。ですからどうかお慈悲を!助けてください!」
そっと噴水の裏に回る。噴水の影で、女の人が座り込んでいた。固く握り合わされた手からは銀色の細い鎖が垂れていて、その手と一緒にぶるぶると震えている。
「あの……」
「キャアアアアッ!!」
喉が裂けるような悲鳴を上げられ、すくみ上がった。
「あ、あの……」
「いやあァッ!!」
「!!」
私の胸に、ぱしんと何かが投げつけられる。下を見ると、足元に小さな十字架が落ちていた。十字架は銀色で、細い鎖が付いている。
困惑する私を振り切り、その人は猛然と南の扉へ走り出した。
「あ、ちょ、ちょっと待って!!」
慌てて十字架を拾うと、女の人の後を追う。南のドアをくぐると同時に、扉の閉まった音がした。音のした方を見る。上部に鉄格子のはまった扉が閉まったところで、その向こうにさっきの女性の頭が見える。
「待って!あの、聞きたいことが!」
駆け寄ると、彼女はヒステリックな悲鳴を上げ、同時にカシャンと音がした。
「えっ……」
今の音、何?カギ?それにしてももっと軽い感じの……。
それを確かめる暇もなく、女性は一段と大きな悲鳴をあげると、通路の奥へ逃げてしまう。ドアを開けようとしたら、ガキッという鈍い音がそれを阻んだ。
「待って!ねえ!」
私の声は届かない。やがて悲鳴は遠ざかり薄れていった。
「行っちゃった……」
びっくりさせちゃったみたい。悪いことしたな……。
手元に残った十字架を見る。十字架のペンダントだ。銀はくすんでいて、細かな細工が施されている。古いものみたい。大切なものなんじゃないかしら。返してあげないと……。
中庭に出る北の扉の他に、東と西に同じ作りの扉が一つずつある。その他には何もない簡素な石造りの部屋だ。誰かのうちってわけじゃなさそう。でも……。
壁際に置かれているオイルランプを見た。ぼんやりと火が灯っている。誰か、いるのかしら?あの人以外にも……。
仕方なく西の扉を開けることにした。あ、こっちの扉は開いてる……。扉をくぐった。
入り口から西の扉をくぐった先には廊下がある。折れ曲がった廊下の奥に、もう一つ扉が見えた。青っぽい鉄の扉だ。ドアノブを回してみると、固い手応えが返ってくる。この扉には鍵がかかっているのね……。
部屋を出ようとした私は、今入ってきたドアに掛け金がついているのに気づいた。ノブの下につけられた鉤状の金具を、ドア枠側の環に引っ掛けてカギの代わりにするものだ。
そうか。きっと反対側にも掛け金がついているんだわ。それをあの女の人がかけていったんだ。それで開かないのね。あっちの掛け金……なんとか外せないかな?もう一度あの扉を調べよう。
東の扉へ向かう。もう一度ドアノブを回してみた。やっぱりノブは回ってる。ドアは開かないけど鍵みたいにガチャっとした手応えじゃないし、掛け金がかかっているのは間違いなさそう。
ふと上を見ると、小窓の鉄格子が一本外れている。私は背伸びして、その隙間から手を突っ込んでみた。
「……うーん……」
手は入るのに、掛け金までは届かない。外すには、棒みたいなものがないとダメかな。どこかに落ちてないかな?
辺りを見渡した。が、部屋の中にはランプとその台くらいで他には何も見当たらない。ここには何もなさそうだ。庭ならあるかしら?
扉を抜けると、噴水のある中庭だ。四方を建物と高い壁で囲まれていて、見渡しても外の風景は見えない。噴水の向こうには、緑色の両開きの扉らしきものが見えている。残念ながら、ここからは出られそうにない。
噴水の周囲には何かの植物が植えられていて、その周りをぐるりと柵で囲まれている。地面に刺さった柵は、錆びてぐにゃりとはしゃげてしまっているものも多い。手入れしなくなってから、随分経っているみたい……。そうだ!この柵、掛け金を外すのに使えるかもしれない。
上部がぐにゃりと曲がっている柵を一本引き抜いた。柵が抜けた地面から、じゅわりと赤い水が染み出す。
「…………」
噴水の奥には、両開きの立派な扉がある。扉……よね?でも……。鉄の表面を撫でた。ノブがない。自動ドアなわけないし……どうやったら開くのかしら?
南の扉をくぐり、東の扉の前に立つ。
「ようし……」
ひしゃげた柵を鉄格子の奥へ差し入れた。背伸びしてギリギリまで手を伸ばす。カシュッ、カシュッと柵がドアの向こう側をかする音がした。反対側のドアのことを考えると、きっとこの辺りに掛け金があるはずなんだけど……。
手がつりそうになりながら、何度も何度も挑戦した結果ーー。
「!」
手応えがあった。
腕を引き抜いてドアノブを回すと、案の定ドアが開く。よかった。これであの女の人を追いかけられる。ホッとして東のドアをくぐった。
石造りの廊下だ。隣の扉から続く廊下と同じようにすぐに折れているけど、その先はやや長く廊下が続いている。ぽつんぽつんと申し訳程度に明かりが灯っていた。あの人、どこへ行ったのかしら。
石造りの廊下が続いている。狭く天井が低いせいか、奇妙な圧迫感があった。突き当たりに扉が見える。