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どうせ部活の顧問を外されて土日は暇だから、僕は休日になると誠也の家に通い、大輝と雷牙の兄弟とよく遊び、ときどき勉強も教えた。
秋葉直美は杉原弁護士に電話して、突然母親がいなくなって息子たちが寂しがってないか心配だと伝えた。
だから誠也は息子たちを撮影してDVDに焼いて、弁護士経由でそれを送ってやった。
DVDの中身は次のとおり。休日に僕とサッカーに興じる息子たちの生き生きとした姿。誠也の家で僕からカレーの作り方を教わる真剣な眼差しをした息子たちの姿。最後に、息子たちのこんな肉声を収録した。
大「俊輔おじさんがいろいろ教えてくれるから、お母さんがいたときよりずっと毎日が充実しています」
雷「お父さんとお母さんが離婚したら、僕らはお父さんについていくので、お母さんは僕らの心配なんかしなくていいですよ」
それ以来、直美は何も言ってこなくなったそうだ。
次に動いたのは和海。ゴールデンウィークの連休中の真昼ごろ、和海は総合住宅展示場を訪れた。さまざまな目を引くモデルハウスがひしめき合う中、脇目も振らず進んでいき、あるモデルハウスの豪華な玄関ドアを通って中に入った。
すぐに女性社員が明るく声をかけてきた。渡された名刺には見覚えのある名前。社員は女性にしては長身。ショートカットで爽やかな美人。
和海は商談ブースのような部屋に案内され、女性と向かい合わせに座った。その部屋ではもう一組家族三人で来た客が男性社員から説明を受けていた。
和海は家の建て替えを検討していることを伝え、渡された用紙に氏名・住所・勤務先等さらさらと書いていく。
「学校の先生でいらっしゃるんですね」
女性社員の目が輝いた。物価高騰が続く現在、注文住宅の建築には最低でも三千万の費用が必要。住宅ローンの審査に通る必要もある。地方公務員なら、銀行の審査に通らないことは考えられない。プランの話を進めても銀行の審査に通らなくて案件がストップすることはよくあることだ。
「ちなみにそこに書いたけど、うちは両親とも同居しててね、両親も長年学校の教員やっててそれなりに貯金できてるから、もしかしたらローンなしでも建てられるかもしれない」
女性社員の目がさらに輝いた。もちろん和海は女性社員をさんざん喜ばせてから一気にどん底まで落とすつもりだった。
「たださ、家は建て替えるけどね、信頼できるハウスメーカーで建てたいよね」
「安くない買い物ですから当然ですね」
「虚偽の不倫やDVをでっち上げて無実の夫を警察に逮捕までさせるような、そんな女性社員のいるハウスメーカーでは建てたくないかな」
夢香の顔が一気に真っ青になった。
「さっき勤務先も書いたけど、俊輔と同じ学校だって気づかなかった? 気がつかないよね。俊輔のことなんてどうでもいいと思ってるんでしょ」
「し、しばらくお待ち下さい」
夢香はそそくさと部屋を出ていき、すぐに上司らしき男性を連れてきた。
「支店長の内藤と申します。お客様、場所を変えさせてもらってよろしいですか」
「もちろん」
モデルハウスの中の社員専用の部屋に、連れて行かれた。テーブルを挟んで二人と向かい合って座る。
「先に言っときますけど僕は冷やかしで来てるんじゃないですよ。家を建てる気はあります」
そう言って父から借りてきた通帳を支店長に見せた。残高は三千万円ある。
「父も母も来年定年で退職金が入れば残高は七千万を越える見込みです。もちろん僕も一千万程度は蓄えがあるので、資金計画上はまったく問題がないはずです」
「おっしゃる通りですね」
「隣の女性社員さんにさっき申し上げたのは、安くない買い物である家を建てるからには信頼できるハウスメーカーさんでないと困るという話です」
「弊社は信頼されるに値しませんか?」
「一千万円以上の家のお金を突然持ち逃げして姿をくらますような女性社員のいる会社では、ちょっと信頼できないかな」
「もしかして鳥居のことをおっしゃってるのなら、家庭の事情で家を出ざるを得なかったと承知しています」
「ああ、DVと不倫ね。もちろん僕も知ってますよ」
和海はスマホアプリで音声データを再生した。
ほんと、俊輔ってウザいしキモいし最悪だよね! いつも疲れた顔してさ。私の周りにはいつも輝いてる素敵な男性が何人もいるのに、なんでよりによってこんな冴えない男と結婚しちゃったんだろう?
「DVはあったけど、鳥居さん、あなたは被害者でなく加害者の方ですよね。あなたは夫の俊輔をないがしろにして精神的なDVを加えるようになった。不倫を始めて夫のことがどうでもよくなったからですよね?」
「お客様、私は不倫なんて――」
A4サイズの写真をバッグから取り出してテーブルに置いて二人に見せた。もちろんそれは興信所が撮影した、夢香が松永という男と新居の玄関前でキスしている写真。
「この男が誰かも分かってます。こおろぎ観光の松永ですよね。俊輔はもうこの男への制裁も始めていますよ」
「違うんです!」
夢香はテーブルに覆いかぶさって写真を隠した。
「松永と再婚したいなら俊輔と円満に離婚してからにすればよかったのに、二人の娘さんも俊輔の全財産も、その上慰謝料や婚費まで俊輔から奪い取ろうだなんて、奥さん欲張りすぎだよ。あなたが考えたというより、悪徳弁護士の入れ知恵でそうしたんだろうけどね」
支店長が憮然とした表情で、醜態をさらす夢香に言い放った。
「松永? 鳥居君、まだあの男と切れてなかったのか?」
「切れてなかった、とは?」
「失礼。鳥居はもともとこおろぎ観光の社員だったのです。入社早々上司だった松永と不倫関係になり、問題になって、同じグループの弊社に移籍してきたのです」
夢香がかつてこおろぎ観光の社員だったことを僕は知らされていなかった。不倫が原因で系列会社に移籍させられたのなら、言えるわけもないだろうけど。
「俊輔もえらい事故物件をつかまされたもんだな。まあ、当初の予定どおりやらせてもらうか」
「当初の予定どおり?」
支店長の問いかけを無視して、和海は誰かに電話をかける。
「安田です。奥さん側の有責確定です。奥さんからの反論もありません。予定どおり粛々といきましょう。入ってきて下さい」
電話を切ると、心配顔の支店長の方に向き直った。
「年配の客が三人モデルハウスに入ってくるので、こちらに案内して下さい」
「私どもが存じ上げない方をこちらへお連れするわけには……」
「こおろぎハウスさんで自宅新築の仮契約までしてる三人だから、支店長さんも知ってるはずですよ」
「それでしたら……」
まもなく男性社員が三人の年配客を和海たちがいる部屋に案内してきた。三人の顔を見るなり、支店長が笑顔で話しかける。
「平野様、山崎様、小笠原様、いらっしゃいませ。今日はおそろいでどのようなご用件で?」
「私たち三人とも貴社との契約を解除するので、すぐに手続きして下さい」
案内してきた男性社員が絶句している。営業歴の長い支店長もさすがに面食らったようだ。
「それはどのような理由からでしょうか?」
「そこにいる安田先生から話は聞いているよ。学校は違っても同じ教員ならみな仲間だ。仲間が理不尽な理由で傷つけられ窮地に立たされていると聞いて、職業柄見て見ぬふりなどできないからね」
ほかの二人にも急かされて解約の書類は用意され、三人はそれに記入すると、さっさとモデルハウスから出ていった。一瞬にしてこおろぎハウスは一億円以上の売上を失った。
呆然と立ち尽くすこおろぎハウスの社員三人を置いて、和海も出ていった。夢香にこんな捨て台詞を残して。
「もちろんこれで終わりじゃない。俊輔が見た以上の地獄をあなたはこれからたっぷり見ることになる。今までさんざん楽しんだみたいだから悔いはないっしょ」