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第3話:沈黙の谷に灯りを
「音が……消えた?」
未知土地開発部の調査員、カゲロウが思わず声を漏らした。
しかし、彼の口が動いているにもかかわらず、音が聞こえない。
ここは《ナリマ谷》──
あらゆる音が吸収される、沈黙の谷と呼ばれる未開領域。
空気は澄んでいて、木々の葉も揺れているはずなのに、“音”という概念そのものが存在しないようだった。
魔央建設・現地拠点にて。
商談席には、全身を薄い繭のような布で包んだ人物が座っていた。
透けるような肌、眼は猫のように細く、首元には音叉を模した装飾品が揺れている。
彼女の名はアヴィル──沈黙種の筆頭調整官である。
向かいに座るのは、魔央建設の交渉担当、ヅサン・トーグ。
がっしりとした体格に短く刈った金の髪、砂色のジャケットを羽織っており、片手に筆談用の魔法板を携えている。
アヴィルは魔法板に書かれた質問を読む。
《要望:この谷に“音がなくても交流できる街”を築きたいという理解でよろしいですか?》
アヴィルは無言のまま、空中に小さな火花を描くような動作をする。
すると、その指先から、淡く灯る小さな光の粒が現れた。
それは、**沈黙種が意思を示すときだけ生まれる“響光(きょうこう)”**と呼ばれる合意の合図だった。
「……合意ですね」とヅサンが頷き、背後にいた青い球体がふわりと前に出る。
イネくんだ。
半透明の水色の球体。脚のようなふくらみを持ち、静かに浮いている。
彼は何も言わず、ただ空中にゆるやかな光の模様を描きはじめた。
それはまるで“風が壁に触れる様子”を視覚化したような、流体的な図。
円弧と螺旋が交差し、光は音のように“流れる”道を指し示していた。
ヅサンは続ける。
「音は使えませんが、光による共鳴設計を使えば、壁や床がわずかに振動し、
色や形として“感情”を伝える建築が可能です。
イネが今、提示したのは、“無音の会話”を可能にする動線設計です」
アヴィルはゆっくりと頷き、もう一度、小さな光の響光を灯した。
今度は、橙色の光だった──それは期待と安心の感情を意味する。
ヅサンは魔法板に、契約文を浮かび上がらせた。
それをアヴィルが指でなぞると、光が一閃し、空中に“契約成立”の印が刻まれた。
工期は14日。
音の代わりに“光と色で会話する街”が、静かに建てられていった。
床は踏むとほのかに色を変え、壁は人の動きに応じて模様を描く。
そして夜になると、街全体が穏やかに感情の光を発する──
それはまるで、「沈黙そのものが語りかけてくる」ようだった。
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