ケビンからの返事は、来なかった。
あの図書館の午後も、
雨の日のピアノ室も、
まるで幻だったみたいに――。
最初は、ただ「忙しいのかも」と思った。
コンペが近い。
彼の集中力がすごいのは知ってたから、
邪魔しない方がいいって思った。
でも、メッセージを既読にも
されなくなったあたりから、
胸に鈍い痛みが生まれた。
それでも、ピアノ室には毎日寄った。
差し入れのグミを机の上にそっと置いて、
何も言わずに帰る日もあった。
ドアが閉ざされたままのその部屋は、
まるでケビンの心そのものみたいだった。
ある日、バスケ部の練習帰りに、
部員たちが何気なく言った言葉が、
胸に引っかかった。
「おまえさ、
あのピアノの子とよく一緒にいるけど、
まさか……ないよな?」
笑いながらの質問。
悪気のない空気。
けど、俺はなぜか、笑って否定した。
「ちげーし!」
その瞬間、ケビンの表情がちらついた。
あのときの無表情。
でも、どこか傷ついた目 ――
たぶん、あれを見間違えたわけじゃない。
自分は、守るべきものを
間違えたのかもしれない。
演奏会の日、会場の裏口で、迷っていた。
行くべきか、行かないべきか。
それでも、ポケットに何枚も
入れたままの手紙が、背中を押した。
返事は一度も来なかったけど、
渡したかった言葉がたくさんあった。
「また聴きたい。君のピアノ」
「なんでもなくていい。ただ、隣にいたい」
「君が、俺の止まる場所だったんだ」
でも――間に合わなかった。
会場の中に入ったとき、
ケビンの姿はどこにもなかった。
演奏も、終わっていた。
ステージの片隅で、
小さく座っていた彼の背中を見つけたとき、
息が詰まった。
近づこうとした。
けれど、そのときケビンはぽつりと、
まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「……君が、いなければよかった」
音ではないのに、心が打たれた。
でも、なぜかその言葉を責める気には
なれなかった。
あまりにも痛そうだったから。
あまりにも、自分と似ていたから。
(俺が好きになったのは、
笑ってる君だけじゃない)
そう思いながら、
俺はそっと手紙を一通、
ステージの控室のピアノの椅子の上に
置いた。
「また、君の音が聴きたい」
そんな、短いひとことだけを残して――。
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