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次の瞬間、火のついた矢が飛来し、見事に星の獣の眼球を貫いた。
星の獣は苦しみに暴れ、黒い狼とヒメに迫り掛かった尾は狙いを大きく外した。
「お姉ちゃん!」
「逃げるぞ!」
火矢を放ったのはイナ。
マテラが出した火種に引火させたらしい。
イナは構えていた大弓を背負うとヒメを抱えて星の獣とは反対方向に走り出す。
「待って!ツミさんとマテラさんがまだ…!」
ヒメが背後を確認しようとした瞬間、剣を象った光の塊がイナとヒメ目掛けて高速で襲い掛かる。
すぐに狼が駆けつけ、光の剣を咥えると、顎に力を込めて噛み砕く。
光の剣は砕けると、泡のように弾けて消え去った。
「乗れ!人の脚より此奴の脚のほうが遥かに速い!」
狼の背に乗ったマテラがイナとヒメに呼び掛ける。
イナは走りながら狼に接近し、ヒメを先に狼に飛び乗せ、その後に自分も飛び乗ると、すぐ振り返って星の獣の追撃を警戒する。
しかし星に獣はある程度の距離まで離れると、怨めしそうな表情で睨むばかりで、追撃も追ってくる様子もなかった。
濃霧から抜け出すと、星の獣は諦めた様子で星の池へと深く潜った。
先程の嵐のような騒動が嘘のように、風と草の音と荒い息を残して、辺りを静寂が包み込んだ。
家に帰る頃には、穴の空いた太陽が地の果てから顔を出し、月が眠る時間。
黒い巨躯の狼は青年の姿へと変わり、見覚えのある顔へと戻った。
「ツミさん!」
星の獣から離れた影響か、ツミの体に突き刺さった光の剣は消えて無くなっていた。
しかし傷が塞がるわけではなく、今も尚ツミの背中には赤黒い血が流れている。
ヒメは急いで傷薬と包帯を用意し、傷を消毒しながら処置を行った。
「ジャマ」
しかしツミは何の躊躇いも無く包帯を剥がし、薬を塗った傷口をガリガリと引っ掻いた。
その行動にヒメが慌てていると、ツミの傷はみるみる内に塞がり、ついには跡形も無く綺麗さっぱり再生してしまった。
非現実的な光景を前に、ヒメは唖然としている。
そんな二人をよそに、イナはマテラに問い掛ける。
「あなた方は何者だ」
イナの口から発せられたその一言に、空気が固まる。
あえて無視していたパンドラの箱。
このまま放置しておくには、あまりに未知数すぎた。
「…ツミ、丘の上からで構わん。禍星を見張っておけ」
「合点承知の助」
黒い外套を身に纏い、ツミが家から飛び出す。
ヒメが慌ててツミを追おうとするが、マテラがそれを阻んだ。
「ヒメにも聞いてもらいたいことだ」
そう言って、真剣な眼差しでヒメを見つめる。
そんなマテラの様子から察して、ヒメは藁を編んで作った座布団を三枚用意し、イナとマテラに差し出した。
「気遣い痛み入る。さて…ではどこから話すべきか」
クチバシに羽を当てて考える。
「…そうだな、妙に隠さず、最初から説明しよう。長くなる上、いくらか理解できん部分もあるだろう。だが、最後までしかと聞いてくれ────
────かつて、月にある、神が治める国に、一頭の黒い狗がいた。
狗は、最上神の弟君の眷族であり、月の国を護る役目を与えられていた。
しかし、生まれ持っていた底無しの空腹に、狗はいつしか思考を奪われ、ついには兄弟たる月の兎を喰らい始めた。
弟君……ツクヨミ尊はそれに激しく怒り、狗を地上へと墜としてしまった。
それまでになんら問題は無かった。
狗も反省し、凍土の地にて己を封じていたのだ。
当時、大した文明を持っていなかった人類が、地上を支配せんとしていた頃、何の音沙汰も無く、悲劇は起こった。
凶星の暴虐。
人はそう呼んだ。
宵の空に浮かぶ煌めきの星々は正気を失い、地上へと降り注ぐと、一切の迷いも無く、人を…殺めた。
人類は今の比ではないほどに栄えていた。
この島国の端から端まで、全てに人の手が及び、海の遥か先でもまた同じように、人は高度な文明を有していた。
それを、たった、たったの一晩で滅亡に追い込んだ。
まさに地獄絵図さな。
勇ましい男も、麗しい女も、幼気な赤子さえも、狂った星は…凶星は喰らい殺したのだ。
────嗚呼、なんたることか。思い出しただけでも寒気がする…」
マテラは頭を抱え、苦悶の表情を見せる。
その様子を見てヒメとイナは心配するが、マテラはそれを断って話を続ける。
「不幸中の幸いか、人は文明を犠牲に滅亡を免れた
しかし、人は大幅に減り、至る所に凶星が蔓延る世へとなってしまった。
挙げ句、凶星の魔の手は神々にまで及んだ。
最初に犠牲となった神は名も無き低位の者であった
だが神には変わりない、凶星は神の肉を喰らい、“神格”を得てしまったのだ」
ヒメが聞き慣れない単語に疑問を漏らす。
「神格?」
「平たく言ってしまえば、神や、神に由来するものに宿った神聖なる力だ。常世の者と天の者を分け隔てる、神が神であるために不可欠な力でもある」
マテラは一息ついて、話の路線を戻す。
「神格とは神が纏いし、常世の者達からの矛を遮る無敵の盾。神格を破るには、同等か、それ以上の神格を必要とする。
だがしかし、凶星の王、禍星は並々ならぬ神格を宿し、低位の神を殺めては己の子に喰わせ、神々を穿つ兵を育てていた。
とはいえ指を咥えてその刻を待っているほど、神々は……我が主は愚図ではなかった。
日神、アマテラス大御神。
闇と絶望に覆われたこの世を照らさんとばかりに、御主神は地に降り立ち、凶星を滅して元の星へと戻す旅の支度を始めた。
その供として、弟君、ツクヨミ尊が、かつて地上へ墜とした狗……ツミを遣わせたのだ。
その様子はさながら獅子奮迅の活躍。
各国の神々への謝罪参りも兼ねて、世界中の凶星を喰らい続けた。
ツミは曲がりなりにもツクヨミ尊の眷族。
喰らった凶星をツクヨミ尊の下へと送る力を持ち、送られた凶星はツクヨミ尊が狂気の穢れを祓って夜の空へと帰す。
数え切れぬほどそれを繰り返し、早 三百年。
旅は順調に進み、最後の地、日本を浄化する番が回ってきた。
だが、悲劇は起きた。
今まで抗ってきた空腹に、ツミは耐える理性を失ってしまった。
そこからは地獄そのもの。
ツミが溜め込んできた飢餓は留まることを知らず、山を三つ、川を五つ喰らった。
その程度で腹が満たされるのならどれだけよかったか、ツミは、アマテラス大御神を食い殺した。
世を束ねる最上の神であるアマテラス大御神を喰らいもすれば、流石の空腹も満たされただろう。
無論、その咎は決して許されることではない。
ツクヨミ尊は怒りに狂った。
ツミの心臓たる翠の玉を奪い、ツミにこう命じた。
『凶星を全て喰らえ。
人々を導け。
其方が喰らいし姉様を元に戻せ。
この役は其方が死そうが封されようが消えること無く、その躰は不死のものとなる。
満たされることの無い、虚が其方を埋める。
虚を払い、心を取り戻したくば、その生涯を役を全うすることのみを考えよ』
それ以降、ツミを支配していた飢餓は消え去った。
しかし同時に、虚を埋めようという衝動が襲った。
飢餓と違い容易に押さえ込めるものの、常に「満たされない」という感覚がツミを付き纏うようになった。
ツミは役を全うするため、日本の西端から独りで旅を続けた。
だが勿論、虚に満ち、元から空腹しか知らなかったツミにとって、その役は無理難題であった」
そう言うと、マテラは自身を指差し…もとい羽差し、少し自慢げに豪語する。
「そこで、御主神の眷族である、このマテラがツミの導者…及び保護者として遣わされたというわけだ」
その様子に、ヒメとイナはぱちぱちと拍手を送った。