テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
学校に宿題を忘れたと気付いたのは、浮き足立つような終業式を終え、自宅に帰ってきてからのことだった。
適当にほっぽった鞄からは、少しだけ顔をだした成績表が風に煽られている。違和感に気付いたのは、通知表と一緒に掴んだ鞄がやけに軽く感じられたからだ。「なんか軽い……」
この中には参考書に挟んだ宿題が入っているはずなのに、それはどこにも見当たらない。
暑さは人をより腐らすらしい。これが普通の休日ならばまだ良いが、夏休みの、しかも一番苦手な科目の宿題を忘れましたで通せるとは思えない。さすがに取りに行くしかないと時刻を確認すると、ちょうど午後三時半。四時には学校へ着けそうだった。
今日で何度目かになる深い息を吐く。疲労が再び肺を満たした。
「すみません。忘れものしちゃって」
生徒用玄関は既に施錠がされていた。普段なら開いている時間帯だっただけに、思わず間の抜けた声がでる。仕方なく来客用の出入り口まで足を運び、事務室のおじさんに声をかけた。
「夏休み前に忘れものだなんて災難だねえ。ほら、はやく取っておいで」
おじさんは、皺の寄った細い目で苦笑交じりに答えた。笑うと目尻の皺はより深く刻まれ、ふと遠方に住む母方の祖父母が思い浮かんだ。
校内のエアコンはまだ効いているようで、体の汗が少しずつ引いていくのが分かる。四階の教室までは気が重いものの仕方あるまい。途中、階段の踊り場に鏡があり、脇には『七ヶ崎高校卒業生 寄贈』と書かれている。踊り場の端から端まで幅のある、──鏡越しにもうひとつの階段がそのまま映るような、大きな鏡だ。
廊下はしん、と静まりかえり、上履きの床を擦る音が耳につく。
きゅっ。
学校はいつもより広く、本来の校舎の匂いが鼻をついた。
がちゃ。廊下に備え付けられたロッカーを開ける音が、やや甲高い音をたてて響く。問題の参考書が辞典に埋もれる形で置いてある。課題もしっかり挟まれており、思わず安堵の息がこぼれた。
「さ、帰ろ」
窓から射し込む光はまだ明るく、誰もいない校舎、電気のついていない廊下を抜きにしても、不気味さは感じられない。ただ、静かすぎるだけだった。
さて、帰宅したら何をしよう。やはり早々にシャワーを浴びるべきだろうか。そう思いながら踊り場にある鏡の前を通りすぎる。
あ、見たいアニメを見てからでもいいのかもしれない。もしくはご飯が先でも。あれこれ考えあぐねながら、ひとつずつ階下へと歩を進めていった。
そういえば、先程鏡の前を通ってから、どれくらい降りたんだったか。そろそろ一階かと思っていたが、考え事をしているとどうにもいけない。少しばかり降りるスピードを速めて踊り場を折り返すと、そこには見慣れた踊り場が見えた。
「……え?」
───フロアが、ない。
それは雑居ビルに併設された、特定のフロアにしかアクセスできないタイプの階段に似ていた。異なる点としては、踊り場の上半分にあるはめ殺し窓から陽の光が射し込み、不気味さとはかけ離れたものとなっていることだ。
それでも、顔の奥から嫌な汗が吹き出てくる。思わず小走りで駆け下りるが、踊り場から下を覗くとまた踊り場が見えている。一階どころか、フロアすら見えてこない。
「な、なんで……」
慌てて階段を降りると、また踊り場が見える。四階分は確実に降りているであろうにも関わらず、一向に終わりが見えてこない。
一度は登り直そうかと思ったが、半階程登ったところで明るかった踊り場が異様に暗くなり、恐ろしさから下に下に降りるようになった。下を覗くとまた踊り場が見えている。そしてまた踊り場が。
───あれからどれくらい降りただろうか。未だに一階の廊下は見えてこない。
44
18
#短編
水底 ずい
376
13ed1
130
コメント
1件
リオンです。第7話、読み終わりました。日常の「宿題を忘れた」という些細な出来事から、階段が永遠に続く非日常へと滑り落ちていく導入がじわじわ来ますね。特に「フロアが、ない」という一文の置き方、あれは本当に効いてる。鏡の前を通った瞬間が分岐点だったんだろうなという暗示も、タイトル「踊り場の少女」と合わせて考えると、これから何かが現れる予感がしてゾクゾクします。夏休み前の静かな校舎という設定が、この焦燥感をより引き立てていて、とても好みのホラーでした。続きが気になります!