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暫くして水の入ったペットボトルを持って寝室に帰ってきた神津は俺がベランダに出ているとは知らず、少し焦ったように寝室の中を走って俺の元にやってきた。
「おう」
「げほっ、ごほっ……ちょっと春ちゃん。タバコ吸う男は嫌われるよ」
「じゃあ、お前は嫌うのか?」
意地悪な質問をすれば、神津は肩をすくめながら「なるわけないじゃん」と言いつつベランダに出てきた。夜風にタバコの煙が靡いて、消えていく。俺は神津の方を向かず、ただぼんやりと外を眺めていた。ふわりとした風が頬に当たって、俺の髪を揺らす。神津は何も言わずに俺の背中を見つめているようだった。
「前から思ってたんだけどさ、春ちゃんってタバコ吸うんだ」
「……ああ」
少し不安げに語尾を下げた神津の方を向いて、俺は彼の顔面に煙草の煙を吹きかけた。
むせた神津は涙目になりながらも俺を睨みつけてくる。そんな彼に俺は、口角を上げて笑って見せた。
「ちょっと、春ちゃんやめてよ」
「わりぃ、わりぃ。しけた面してたからついな」
どういうこと。と神津は眉間に皺を寄せながら俺に詰め寄ってきた。俺は、その顔が面白くて声を出して笑った。そんな俺を見て、神津は更に不機嫌そうに表情を歪めていた。
それから仕返しと言わんばかりに、持ってきた水を口に含むとそのまま強引に口移しで俺に飲ませる。あまりにも唐突だったため、水が上手く喉を通らず、口の端からこぼれてしまった。
「ごほっ……お前ぇ」
「仕返し~」
してやったり。といった感じで神津は笑う。
水が変なところにはいってしばらくの間、気管支が悲鳴を上げていた。
ベランダの手すりに寄り掛かりながら、神津に文句を言うも彼は気にせず楽しそうにニコニコしている。そして、俺の隣に並んで手すりに肘を置いて体重をかけてきた。そのせいで、バランスが崩れそうになったため俺は慌てて体勢を整え直す。
「んだよ……」
「タバコ没収ね~」
と、神津は俺からタバコを取り上げると持ってきたペットボトルの中に沈めた。
「春ちゃんにはさ、長生きして欲しいんだよね。だから、こんな身体に悪いもの吸って欲しくない」
「…………好きで吸ってんじゃねえよ」
神津の言い分は最もだが、俺にも譲れないものがある。神津は、俺の言葉に一瞬目を丸くしていたが、何かを察してか悲しそうに笑っていた。
神津が俺のことを心配してくれているのは分かるが、自分の気持ちを落ち着かせる行為の一つにもなっている喫煙はやめられなかった。否、この匂いを忘れたら死んだ父親のことを忘れてしまうそうだったから。
「春ちゃ……」
「親父が吸ってた奴だから」
「……」
「まあ、もう死んじまったけどな。俺が警察学校卒業した年だったか……つか、この話前にもしたろ?」
「そうだけど……詳しくは聞いてないなって思って」
父親のことを思い出しながら、俺は目を伏せた。
父親は殉職だった。
犯人を追っている最中だったか何だったか、今もよく分かっていないがその途中で殺された。誰に殺されたのかもよく分かっていない。父親の追っていた犯人は自殺してしまったから仇の取りようがなかった。
未だに父親の死因は謎が多く残っている。
俺が春から警察官になれるって報告したら、見たことも無いような笑顔で喜んでくれたのが頭に鮮明に残っているのだ。俺の目標は、父親だったから。あの人みたいになりたいって、警察を志したのに。
目標である父親は殺された。
生き写しと言われる筋合いはないし、父親の足下にも及ばないが俺は少しでも理想とした警察官になろうと努めた。それでも、寂しさはあったから、父親が残したタバコを吸い始めた。だがそれは、ただただ、虚しい行為だった。
「……親父の死には謎が多すぎる。犯人はもしかして一人だけじゃなかったかも知れないし、警察の中に裏切り者がいたのかも……情報が漏れたことも、色々考えられる。でも、未だに答えは出てねえ。そして、あの事件は忘れ去られていった」
「辛かった……?」
と、神津は消えそうな声で言った。
そういえば、この話をするのは初めてだったなと、自分でも何故この話を神津にしたのか分からなかった。でも、分かることと言えば、俺はこの話を神津に聞いて貰いたかったんだろう。
「そうだな……辛かったのかもな」
神津がいなくても俺の世界はめまぐるしく回っていた。それはもう、悲しむ暇もないぐらいに。
今ですら余裕がない。まるで、心と体がバラバラになったみたいに。
「春ちゃん」
そう俺の名前を呼んだ神津の方を向けば、彼は俺に白い花を差し出していた。