テラーノベル
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午前五時半。
防音室の扉が開いた。
最初に出てきたのはメバルだった。肩からアコースティックギターを下げ、長い練習で少し赤くなった指先を、反対の手でそっと包んでいる。
その後ろから、K-Tが出てきた。
K-Tはドラムスティックをケースへ戻し、静かに蓋を閉めた。
先ほどまで、防音室には二人の歌声とギターの音が響いていた。
メバルがコードを鳴らし、柔らかな中低音で旋律を支える。そこへK-Tが、高く細い声を重ねる。
予定されたハーモニーではなかった。
メバルが弦を押さえる指の動き。
K-Tの呼吸。
互いの音が消える瞬間と、重なる瞬間。
二人はそれだけを聞きながら、曲を作っていた。
「今の、よかったね」
メバルが言った。
「そうか」
K-Tの返事は低い。
だが、完全な男性の声ではなかった。
抑え込まれた女性的な響きが、わずかに混じっている。
そのことを知っているのは、今のところ本人だけだった。
メバルはK-Tの声を聞き、少しだけ目を細めた。
けれど、何も言わない。
二人がリビングへ入ると、冷蔵庫の前に四人が並んでいた。
カキ、マサカゲ、ミステー、アオノ。
全員が、妙に静かだった。
テーブルには、空になったプリンの容器が四つ並んでいる。
メバルは冷蔵庫を開けた。
「……私とKさんのプリンは?」
「食べた」
アオノが即答した。
「全部?」
「四個すべて消費した。賞味期限にも問題はなかった」
「問題はそこじゃないよ!」
カキが両手を上げる。
「名前が書いてなかったからさ!」
メバルは冷蔵庫の扉に貼られた付箋を指差した。
そこには大きく、こう書かれている。
『K-T・メバル 練習後。触らない』
「大きく書いてあるよね?」
「俺には小さかった」
「どこが!?」
メバルの声がリビングに響いた。
その横で、ミステーがメバルの手元を見ていた。
正確には、赤くなった指先と、ギターを抱えていた腕のあたりを、じっと見つめている。
「指が赤い」
ミステーが言った。
「長く弾いていたからね」
「痛い?」
「少しだけ」
「見せて」
ミステーが一歩近づいた。
メバルは反射的に手を引いた。
「大丈夫だよ」
「でも、赤い」
「本当に平気だから」
ミステーは引き下がらなかった。
その視線は、心配しているようにも見えた。
しかし、心配というには長すぎた。
アオノもメバルの肩から下がるギターへ目を向けていた。
「その楽器を外せば、身体が楽になる」
「自分で外せるよ」
「手伝う」
「いいって」
メバルが一歩下がる。
アオノはさらに距離を詰めようとした。
その前に、K-Tが空のプリン容器を一つ手に取った。
「ない」
「うん。ないね」
「俺の二つ」
「私の二つも」
K-Tの声は低かった。
けれど、いつもよりわずかに女性的な響きが強い。
アオノとミステーの視線が、同時にK-Tへ向いた。
K-Tは二人を見返した。
「何」
「声が、いつもと少し違う」
アオノが言った。
「そう?」
ミステーもK-Tの顔を見た。
「柔らかい音」
K-Tは答えなかった。
メバルがギターのストラップを外しながら、二人の間に入る。
「今は声の話じゃないよ。プリンの話」
「そうだね」
ミステーはメバルへ視線を戻した。
その目が、また指先へ落ちる。
「でも、メバルの手も――」
「触らないで」
K-Tが言った。
声は静かだった。
怒鳴ってはいない。
それでも、部屋の空気が一瞬で変わった。
ミステーの手が止まる。
アオノもメバルのギターへ伸ばしかけていた手を下ろした。
「触れるとは言っていない」
「言わなくても分かる」
「何が?」
アオノが尋ねる。
K-Tは答えなかった。
メバルは少しだけ戸惑ったようにK-Tを見た。
K-Tが他人の行動に、ここまで直接的に口を出すことは珍しかった。
「Kさん」
「何」
「大丈夫。私は平気だよ」
「そうか」
K-Tはメバルから視線を外した。
「だが、触る必要はない」
メバルは、それ以上言わなかった。
ただ、ギターを身体の前へ抱え直した。
その仕草を見て、カキが気まずそうに咳払いをする。
「いや、でもさ。食べちゃったものは返せないだろ?」
「なら、買いに行こう」
マサカゲが提案した。
「そうだね。四人で買ってきて」
「今から?」
「今から」
アオノが口を挟む。
「プリンは合理的な栄養補給だった」
メバルの笑顔が消えた。
「アオノ」
「何?」
「それ以上言うと、合理的に叩くよ」
「暴力は非合理的だ」
「人のものを勝手に食べるのは合理的なの?」
アオノは少し考えた。
「状況による」
「よらないよ!」
メバルがカキの頭を叩いた。
ぱこん。
K-Tもマサカゲの肩を叩いた。
ぱこん。
「なんで俺まで!」
「食べた」
「一個だけだぞ!」
「関係ない」
K-Tの声は低い。
その声を聞いて、ミステーがまたK-Tを見た。
「K-Tは、メバルを守るの?」
「必要なら」
「いつでも?」
「必要なら」
「どこまで?」
ミステーの質問に、メバルの表情が曇った。
K-Tはすぐには答えなかった。
しばらくして、低い声で言う。
「決めていない」
その返答に、ミステーはわずかに笑った。
アオノも無表情のまま、K-Tを観察している。
メバルはその空気を感じ取り、ギターケースを閉じた。
「……とにかく、プリンを買いに行ってもらおう」
「分かった」
マサカゲが頷く。
しかし、カキ、アオノ、ミステーの三人は動かなかった。
「どうしたの?」
メバルが尋ねる。
カキが小さく呟いた。
「……俺たちも、反撃していいよな?」
「よくないよ」
メバルが即答した。
だが、その言葉は四人の耳に届かなかった。
アオノは倉庫の方を見た。
ミステーは天井を見上げた。
カキは拳を握る。
マサカゲだけが、嫌な予感を覚えていた。
「おい。まさか――」
その瞬間、K-Tがガラケーを開いた。
画面には、家中の監視カメラ映像が映っている。
「倉庫へ行くなら」
K-Tは静かに言った。
「安全装置を確認してからにしろ」
四人の動きが止まった。
メバルがK-Tを見る。
「Kさん、まさか分かってたの?」
「最初から」
「じゃあ、どうして止めなかったの?」
K-Tは空になったプリン容器をテーブルへ置いた。
「プリンの分を返してもらう必要がある」
その声は、低く静かだった。
しかし、奥にある柔らかな響きが、今度は誰の耳にも聞こえた。
メバルだけが、K-Tの顔を見た。
K-Tはいつも通り無表情だった。
ただ、メバルの手元へ視線を落とすミステーとアオノを見たときだけ、目がわずかに冷たくなっていた。
「……食べ物の恨みって、怖いんだね」
メバルが呟く。
「そうだ」
K-Tは答えた。
「必要だから」
その直後、四人が倉庫へ走り出した。
メバルはため息をつき、ギターケースを背負い直す。
K-Tはすでに、その後を追っていた。
防音室には、まだ二人の歌声の残響が残っている。
高く細い声。
柔らかく温かな声。
そして、これから始まる騒動を予告するような、不穏な沈黙。
メバルは小さく笑った。
「Kさん」
「何」
「今度は、私も一緒に行くよ」
「危ない」
「ギターを置いていけばいい?」
「それも危ない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
K-Tは少しだけ考えた。
「俺の近くにいろ」
メバルは目を瞬かせた。
K-Tはすぐに前を向く。
「必要だから」
「……分かった」
二人は並んで倉庫へ向かった。
K-Takasaka
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コメント
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読んだよー!第1話「練習後のプリン」!🍮✨ まず、朝の防音室から始まる静かな空気感がめっちゃ好き…!歌ってる二人の息遣いとか、ハーモニーの感じとか、目に浮かぶようだった😭💕 で、その後のプリン騒動(笑)ギャップが良すぎる!!「食べた」「全部?」「四個すべて消費した。賞味期限にも問題はなかった」アオノのこの冷静すぎるやつ、笑った😂 それでいてミステーの「指が赤い」「痛い?」って接近してくるところとか、アオノの「その楽器を外せば身体が楽になる」とか、みんな微妙に距離感おかしいのも気になるポイント…!! しかもK-Tが「触らないで」って言ったときの空気変わるところ、ゾクッとした…。でもメバルを守ってる感じ、エモい…。 「必要だから」の使い方、好きだなあ。 続きが気になる!!