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「……痣も、気がかりだけれど」
そう前置きしてから、お姉様は窓を開け放った。
新鮮な外気を、胸いっぱいに吸い込む。
「まずは――生きている人たちを、探しましょう!」
迷いのない、力強い声。
聖女の跡継ぎとしての覚悟が、はっきりと滲んでいた。
「はい」
「……はい」
私とアランの返事が、ぴたりと重なる。
……とても、不快だった。
別に。
意図して合わせたわけではない。
ただ、同じ判断に至っただけだ。
それでも。
お姉様の言葉に、同時に応えた事実が、
どうしようもなく、癪に障る。
「では、移動しましょうか」
そうして、私たちは屋敷の外へと向かった。
「レイラ様、どちらへ移動なさいますか」
「そうね……」
お姉様が行き先を考えている間、
私は少し距離を取り、周囲の警戒に回っていた。
……そのはず、だったのだけれど。
「……なんで、アランと同じような痣が出たのかしら」
ふと、首元に視線を落とす。
「……どうせなら、お姉様と同じが良かったわ……」
一瞬浮かんだ本音に、すぐさま眉をひそめる。
「――やっぱりダメ」
「お姉様の白い肌に、痣なんて相応しくないわ」
自分で言って、自分で否定する。
傍から見れば、ずいぶん奇妙な光景だろう。
……幸い、誰にも見られていない。
そう思った、その時だった。
ガサガサ、と。
背後の茂みが、小さく揺れる音。
「っ、燃――」
反射的に魔力を練り、振り返る。
そして、目に入ったのは。
「……犬?」
そこにいたのは、まだ子犬だった。
「……ワン……」
すすで汚れた毛並み。
身体のあちこちに、かすり傷。
震えながらも、必死にこちらを見上げている。
「……可哀想に」
この騒ぎで、母犬とも、兄弟とも、はぐれてしまったのだろう。
ここで一匹きり――それが、この世界で何を意味するかは、分かっている。
「ねぇ……私たちと、一緒に来る?」
自分でも分かっている。
こんな時に、何を言っているのだろう、と。
それでも。
小さな命を、見捨てることは出来なかった。
幼い頃の私には、
姉という――たった一人の味方がいた。
だから、生きてこられた。
けれど、この子は?
今、ここで見捨ててしまったら。
次に手を差し伸べてくれる存在など、
もう、現れないかもしれない。
だからこれは、ただの気まぐれ。
……そういうことにしておく。
「……イリア様?」
背後から、聞き慣れた声。
……最悪。
都合の悪い場面を、
よりにもよって、アランに見られてしまったらしい。
私はゆっくりと振り返り、
子犬を庇うように、一歩前に出た。
「なによ」
つい、刺々しい声になる。
「別に……変なこと、してないわ」
アランは何も言わず、視線を私の足元へ落とした。
震えながら、私の裾に鼻先を押し付ける子犬を見て――
一瞬だけ、言葉を失ったようだった。
「……状況が、状況です」
慎重に選んだような口調。
「このままでは、生き延びられないでしょう」
「分かってるわよ」
だから拾ったのだ。
言わなくても、そんなことくらい。
「私が守る。……それだけよ」
アランは、ほんの僅かに目を細めた。
「イリア様が?」
「悪い?」
挑むように睨みつける。
「……いいえ」
意外にも、否定は返ってこなかった。
「合理的です。放置すれば、鳴き声で屍人を引き寄せる。
保護した方が、安全でしょう」
……理屈で言われると、腹が立たないのが余計に腹立たしい。
「それに」
アランは一歩近づき、しゃがみ込む。
子犬と視線を合わせ――
その瞬間。
私の首筋が、かすかに熱を帯びた。
「……っ」
同時に、子犬が小さく鼻を鳴らす。
「ワン……」
「……今の、感じた?」
「……ええ」
短い沈黙。
アランの首元にも、
同じように、微かな光が走っていた。
「……この子」
「痣に、反応していますね」
アランの声は低く、確信めいていた。
「……気味が悪いわ」
「同感です」
そう言いながらも、
彼の手は、子犬を遠ざけようとはしなかった。
「名前を……」
言いかけて、私は口を噤む。
「……いえ。何でもない」
まだ、拾っただけだ。
名前を付けるほどじゃない。
――そう思いたいのに。
子犬は、
私とアランの間に座り込み、
どちらにも等しく尻尾を振った。
……最悪だ。
「行きましょう」
私は子犬を抱き上げる。
「置いていく気は、ないから」
「……承知しました」
アランはそう答え、
私の半歩後ろを歩き出した。
子犬の体温が、腕に伝わる。
そして、首筋の痣が――
消えることなく、静かに脈打っていた。