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「おかえりなさい。……あら?」
馬車から顔を覗かせたお姉様が、
私の腕の中を見て、ぱっと表情を明るくした。
「……子犬だわ!」
嬉しそうな声に、胸の奥が少しだけきゅっとなる。
「……可哀想だったんです」
視線を逸らし、言い訳のように呟く。
自分でも、何に対して気まずいのか分からない。
「ご迷惑はかけません……ですから!」
今度はきちんと、お姉様の方を見た。
「この子を……連れていきたいのです」
一瞬の沈黙。
けれど、お姉様はすぐに微笑んだ。
「ふふ。もちろんよ」
「……イリアのお願いを、久しぶりに聞けたわ」
目を細めて、まっすぐに私を見つめるその視線が、
どうしてこんなにも、胸に温かく響くのだろう。
「いつも、イリアは自分のことを後回しにして、私ばかり」
子犬の頭をそっと撫でながら、
お姉様は、静かに続けた。
「……ねぇ。あなたのお姉様はね、
あなたが思っているより、ずっと……あなたのことが大好きよ」
喉の奥が、少し詰まる。
「だから」
「もう少し、わがまま、聞かせてね」
――やっぱり。
お姉様は、私の味方だ。
どんな時でも。
誰に背を向けられても。
その確信が、胸の奥に、静かに広がっていく。
……遠い昔。
私たちが、まだ幼かった頃。
私とお姉様は、並んで庭を走り回って遊んでいた。
その頃から、私は――
お父様からも、お母様からも。
そして、使用人たちからも、疎まれていた。
理由は、はっきりとは分からない。
けれど、きっと……この容姿のせいだったのだろう。
父の髪も、母の髪も、明るく輝く金色だった。
「ねぇ、お母様」
「私は、いつになったら髪がキラキラに輝くの?」
そう尋ねた時に向けられた、
母の――蔑むような目。
父の瞳も、母の瞳も、
私のような紅ではなかった。
「ねぇ、お父様」
「私の瞳はね、お父様みたいな翡翠色になるの?」
「それとも、お母様みたいな紫色になるのかしら?」
そう聞いた時に返ってきたのは、
父の、ひどく疲れ切った顔だった。
ひとりで屋敷を歩けば、
背後から、ひそひそと囁く声が聞こえてくる。
「イリア様は、お二人とは血が繋がっていないのよ」
「しっ……聞こえちゃうでしょ」
「本当のことを知ったら、可哀想じゃない」
――可哀想?
みんな、私を。
私の存在を、笑いものにしていた。
惨めで、悔しくて。
ひとり、庭の隅で膝を抱えて泣いた夜は、数え切れないほどあった。
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けれど――
そんな時、決まって。
お姉様は、私を見つけてくれた。
「イリア。可愛いお顔が、台無しよ?」
そう言って、お姉様はしゃがみ込み、
泣きじゃくる私を、そっと腕の中に包み込む。
温かくて、やさしくて。
世界で一番、安全な場所。
「……ねぇ、お姉様」
涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、私は問いかけた。
「私は……お父様とお母様の、子供じゃないのでしょう?」
お姉様の腕の中で、震える声。
「……そんなこと、ないわ」
少しだけ間を置いてから、
お姉様は、静かに続けた。
「そんなこと……誰が言ったの?」
「……みんな、言うの」
小さく、でも確かに。
私の世界に突き刺さる言葉だった。
「……そう」
お姉様は、それ以上すぐには否定しなかった。
だからこそ、次の言葉が、
胸の奥に深く残る。
「ねぇ、イリア」
「この先ね、もしかしたら……」
お姉様は、私の背中をゆっくり撫でながら言った。
「イリアにとって、辛いことが、たくさんあるかもしれないわ」
胸に顔を埋めたまま、私は小さく息を吸った。
「でもね」
「お姉様だけは――いいえ」
少しだけ、声が強くなる。
「私だけは、あなたの味方よ」
ぎゅっと、抱きしめる腕に力がこもった。
「誰が、何を言ったって」
「あなたは、私の――可愛くて」
一瞬の間。
それから、誇らしげに。
「自慢の妹よ」
その言葉が、胸の奥に、深く落ちていく。
「だからね」
「たくさん泣いていいのよ」
私は、声を殺して泣いた。
子供らしくもなく、みっともなく。
それでも、お姉様は離れなかった。
「私が、あなたを一人にしないから」
その言葉は、約束だった。
祈りであり、誓いだった。
――あの日から。
私の世界は、
お姉様を中心に回り始めたのだ。
――そして、現在。
腕の中で、子犬が小さく身じろぎした。
その温もりに、はっとして私は現実へ引き戻される。
「……大丈夫よ」
無意識のうちに、そう呟いていた。
誰に向けた言葉だったのかは、自分でも分からない。
あの頃の私は、守られる側だった。
泣いて、縋って、腕の中に閉じ込めてもらうだけの存在。
けれど、今は違う。
「もう、一人にはしないわ」
それは、子犬に向けた言葉であり――
かつて、庭の隅で泣いていた、幼い私自身に向けた言葉でもあった。
視線を上げると、少し離れた場所で、
アランがこちらを見ているのに気づく。
……見られていたのだろうか。
気まずさから、私はわざと素っ気なく言った。
「なに?」
「いえ。ただ……」
一瞬、言葉を探すように視線を伏せてから、
アランは静かに口を開いた。
「イリア様は……優しい方ですね」
「……は?」
思わず睨みつける。
「勘違いしないで。気まぐれよ」
腕の中の子犬を、少しだけ抱き直す。
「お姉様が悲しむから、拾っただけ」
そう言い切ったはずなのに、
なぜか胸の奥が、ちくりとした。
……嫌な男。