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「みんな今日は早めに帰ってええよ。って言うか帰りんちゃい」




そろそろ三時のおやつでも、という時間になると、雨脚だけでなく、少しずつ風も強くなってきて、 時折ゴォッと商店街を吹き抜ける風が、ガタガタと不穏な音を立てながら建物を揺らす。


クリノ不動産はアーケード下にあるから、窓ガラスを雨が叩くということこそないけれど、視線を転じれば歩道全体が軒下であるにもかかわらず、横殴りの雨のせいでびしょびしょに濡れていて、普段なら、雨でもアーケード下なら濡れる心配もないので結構人が往来しているのだけれど、そんな状態なので通行人の姿もまばら。


夕方から夜半にかけて台風が通過すると言う予報は正しかったらしい。


さすがにこの悪天候。

繁忙期といえども、昼過ぎから客足はパタリと途絶えていた。


いつもは有線放送で静かなクラッシック音楽を流しているクリノ不動産だが、こんな日だから勘弁してもらおうと、それとは別にテレビを付けさせてもらっている。


国営放送にチャンネルを合わせているテレビは、今日は画面下部の方が仕切られていて、台風情報のテロップが常時流れ続けていた。



「完璧に直撃コースですね」


ちらりと画面に視線を走らせた野田が、吐息交じりにつぶやいて、実篤さねあつはそれを合図にしたみたいに従業員らへ帰宅を促した。


昼以降、大事を取って営業らにも皆、外回りには出ず、事務所に待機するよう命じていた実篤だ。


「じゃけど」


仮にも繁忙期にあたる九月。

帰ってもいいものかと迷う素振りを見せる従業員らに、実篤は外にちらりと視線を投げかけて続ける。


「この天気じゃけ、誰もんいね。大丈夫よ」


電話ぐらいはかかって来るかもしれないけれど、家探しなんて病院や食料品を扱うスーパーなんかと違って緊急を要する用件じゃない。


何もこんな悪天候の中、わざわざ来店するような客はそうそういないはずだ。



「社長はどうなさるどうされちゃってんですか? まさか一人残ってお仕事なさるしちゃって気じゃないでしょうね?」


皆の不安を代表したみたいに一番年配で古株の野田が言って、他の社員もうんうん、とうなずく。


(ホンマこいつらは……)


社長である自分が社員の心配をするのは雇用主として当然だ。

なのにクリノ不動産の面々は雇い主である実篤の心配までしてくれる。


そのことが嬉しくてたまらなかった。



「戸締りやら片付けやら……。事務所周りの養生とかしたらちゃんと帰るけん。俺も家に可愛い妻を一人残して平気なほど気ぃ大きゅうないけぇ。――な?」


最後の「な?」は、だから安心して皆は今すぐ帰って欲しいと言う気持ちの表れだ。

わざと惚気のろけるような文言を織り交ぜたのだって、従業員らの心をほぐすためだったのだが。


いつもなら「また気持ちの悪いお顔してから」などと突っ込んでくるはずの野田や田岡が反応してくれないからちょっとだけ調子が狂ってしまった。


「今日のことで給料天引きしたりはせんし、大丈夫じゃけん」


きっとそこじゃないんだろうな?と分かってはいたけれど、わざと社員らの気持ちを持ち上げるようにニヤッと笑って言ったら「それは有給切りますけぇ気にしちょりません」と皆が口々に言う。


期せずして口にしてしまった給料問題だったけれど、有休を切らせるのは実篤の本意ではない。

だから「バカじゃの。俺が帰れって言うたんじゃけ、休業手当つけるわ。野田さん、次来た時みんなの、それで処理するようにしてくれる?」とすかさず返しておいた。


この辺りは雇用主として、ハッキリさせておかないといけない問題だと思う。


休業手当は普通正規の支払いの六割支給が最低限の補償内容だが、それを上回る分には問題ないはずだ。


実篤は、皆に満額の給料を払う確約をして帰らせてやりたい。


「な? さっき言うた通り天引きは一切せんけ、みんな風がひどぉなる前に安心して帰り?」


再度皆を見渡しながら「社長命令じゃけぇ」と付け加えたら「これじゃけ、社長は」と口々に吐息を落とされた。


「戸締りやら出来るだけのことは俺らも手伝ってから帰りますけぇ。頼むけん、社長もみんなと一緒に事務所を出て下さい」


営業の井上が我慢しきれなかったみたいに口火を切ったら、「そうそう。そうほうじゃないと私らも安心して帰れませんけぇね?」と総務の田岡が援護射撃をしてきた。


そうほうですよ、社長。こんな日にはよぅ帰らんで木下きのしたさん……じゃのぉて……えっと……奥さん泣かしたら俺、全力で奪いに行きますけぇね?」

社内で一番の若手で井上と同じく営業。くるみに懸想けそうしていたと、かつてポロリと吐露したことがある宇佐川うさがわ不穏ふおんなことを言う。


それで実篤は吐息まじり。


「分かった。俺もみんなと一緒に出るけん。今日は臨時休業じゃ」


降参しました、と言う風に諸手もろてを挙げてそう宣言した。


皆を帰らせた後で自分だけ定時まで残って……なんて考えは、クリノ不動産の従業員らにはお見通しだったらしい。



***



いつもより少し遅め。

十四時にじ過ぎまで頑張ってみたけれど、今日は悪天候のためか、客足がイマイチ。


(そりゃあそうよねそういね。うちじゃってこんな日に外へは出とぉないもん)


くるみが営む移動式パン屋『くるみの木』は、愛車くるみの木号のリアハッチを大きく開けて、そこから見える棚へ並んだパンを、お客さんたち自身に選んでもらう方式を取っているのだけれど、必然的。いつも雨の日にはちょっぴり売れ行きが鈍る傾向がある。


加えて、今日は風もある荒れ模様の日だ。


強い大型の台風十五号は、岩国この辺りには夕方から日没後にかけて最接近するらしい。


だが、すでに風と雨は強くなってきているようで、 下手をすると強風にあおられて車内にまで雨風が吹き込んでくるから。


(そろそろ潮時かな)


せっかく作ったパンを完売させられないのは悔しいけれど、いまは以前とは違って、実篤もいてくれる。


二人で食べれば結構すぐに消費出来るから、無駄にはならないはずだ。


それに、今夜は嵐。


もしかしたら停電などもあるかもしれないし、何もせずにそのままかぶり付くことが出来るパンは、あっても困らないだろう。


そう気持ちを切り替えたくるみは、そそくさと店じまいを始めた。



***



バタンとリアハッチを締めたところでふと、朝いつも通りパンを焼いていたら、実篤に「お休みせんのん?」と心配そうに顔を覗き込まれたのを思い出したくるみだ。


「台風がくるんは夕方からじゃって話ですし、お昼過ぎまでなら大丈夫かなぁって思うて。じゃけ、それまではって思うちょります」


そう答えたら、「頼むけん、無理はせんで?」と抱き締められた。


そっくりそのままその言葉を彼に返したかったくるみだけれど、一人親方みたいに自分だけで動いているくるみと違って、実篤には抱えている従業員らへの責任もあるから。


「実篤さんも……今日は残業とかなしですけぇね?」


くるみはグッとこぶしに力を入れて、何とかそう告げるに留めた。


くるみだって、いま不動産業界が繁忙期なのは知っている。

社長さんの溺愛は、可愛いパン屋さんのチョココロネのお味!?

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