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花屋の店員として現れた彼女と言い合いになってから、俺の中で彼女の存在は大きくなっていくばかりだった。
なぜこんなに気になるのか自分でもわからないながらも、もう一度会いたい気持ちだけが強くなっていった。
こうなったら、行動あるのみ。
ウダウダと考えたって始まらない。
俺は週末の金曜日に、1人彼女の店に向かった。
もちろん、徹を誘うことも考えた。
2人で行けば間ももてると思う。でも、やめた。
自分自身の気持ちが整理できない今、徹にすべてをさらけ出すことに躊躇いがあった。
もちろん、徹は俺にとって唯一の親友だから、何かあれば相談するのはあいつしかいない。
それはわかっているが・・・
カラン、カラン。
「いらっしゃいませ」
1週間前と同じく、ママが迎えてくれた。
「こんばんわ」
挨拶をしてカウンター席に座ると、
「あら、お客さん」
どうやら顔を覚えていたらしい。
「ビールをお願いします」
「はい」
店内を見回すと、週末と言うこともありテーブル席はほぼ埋まっている。
あ、彼女がいた。
白いブラウスに膝丈のスカートで、常連客らしい人たちと話し込んでいる。
やっぱり、随分イメージが違うな。
ジーンズにエプロン姿で、花を運んでいた人と同じ人物には思えない。
「麗子」
彼女のことをチラチラと見ている俺に気づき、ママが呼んでくれた。
「いらっしゃいませ」
隣の席に座った彼女に、
「こんばんは」
俺も、無難に挨拶を返してみるが、真っ直ぐに見つめられた視線を感じて言葉が止った。
見れば見るだけ綺麗な顔だが、にこやかさはなく客商売にしては無愛想な感じさえする。
しばらくの沈黙の後、
「えっと」「あの・・・」
2人で声がそろってしまった。
***
「鈴森商事でお目にかかりましたね?」
彼女の方が切り出してくれた。
「ああ」
確かに会った。
「その節は、出過ぎたことをして大変申し訳ありませんでした」
「いや、こちらこそ。お世話になったのに、失礼な言い方になってしまい申し訳なかった」
社員の窮地を助けてもらったからには、まず礼を言うべきだったと後になって後悔した。
「もしかして、抗議に見えたわけでは・・・」
一瞬、表情を曇らせた彼女。
「違う違う」
慌てて手を振り否定した。
「礼も言わずに失礼な態度をとったことを謝りたかったし。それに、」
「それに?」
まさか、君のことが気になってしかたがないとは言えず、
「いくつか確認したい点があったものだから」
と言うしかなかった。
「確認ですか、どうぞ何なりと」
彼女は手を膝に置き、俺の方を向いた。
そう真っ正面から来られると、照れてしまうんだが・・・
「えっと、君はこの店で働いているんだよね?」
「ええ。ここは母の店なので」
「じゃあ、花屋の配達は?」
「あれは、バイトです。人手が足りないらしくて、週1で頼まれているんです」
フーン。
バイトねえ。
「バイトって言っても、うちの会社はただの配達ではなくて、アレンジングもするんでしょ?バイトにできるの?」
センスや経験がなければできる仕事ではないと思うが。
「高校時代はずっと花屋で働いていたので、一通りのことはできるんです」
「へー、すごいね」
素直な感想を口にした。
重役フロアは来客も多いから、いつも花を飾っている。
もちろんプロに頼んでいるから綺麗で当たり前だと思っていたんだが、彼女がしていたのか。
***
「他にご質問は?」
「えっと、何でパソコンに強いの?」
そう、それが一番気になっていた。
実はあの後SEを呼び秘書のパソコンを確認させた。
社用のパソコンではなかったが、一応心配だったし、彼女が何をしたのかも気になった。
しばらくパソコンを操作していたSEの答えは、『問題なく、完璧に修復されている。これだけ短時間に修復したと言うことは、よほど知識のある人だと思います』と言うものだった。
「私、大学は工学部で情報工学の専攻でしたので」
「大学はどこ?」
「早慶大です」
オー、一流じゃないか。
「じゃあ、君、SEなの?」
「いえ、今はこの店と花屋のバイトだけです」
え?
「何で?」
それはあんまり、もったいないだろう。
「色々と事情があるんです」
そう言ったきり、口を閉ざしてしまった。
俺も言いたくないことを聞こうとは思わない。
今の話で大体の事情はわかったし。
「あら、お客さん?」
ビールを口に運ぼうとした俺の手元を、ママが指さした。
ん?
向けられた視線の先は上着の袖口。
アッ。
ボタンの一つがとれかかっていた。
そう言えば、出がけに引っかけたんだった。
「麗子、付けて差し上げなさい」
さも当然のように言い、彼女がどうぞと手を差し出す。
「いや、いいよ」
遠慮ではなく、一応オーダースーツである以上ボタンの付け方にも糸にもこだわりがある。素人に触られたくはない。
「大丈夫です、おかしなことはしませんから。これでも裁縫は得意なんです」
「え?」
目を丸くした俺の後ろに回り、上着に手を掛ける彼女。
「あの、本当にいいんだ」
「いいから任せなさいって」
いくら断ってもママは引きそうもなく、俺は諦めて上着を託した。
***
「無理強いしてごめんなさいね」
彼女が奧へと消えて言ってから、ママが申し訳なさそうな顔をした。
「いえ」
「でもね、麗子は洋裁もちゃんと習わせたからプロ級よ。安心して任せてちょうだい」
自慢げなママ。
「洋裁ですか、すごいですね」
「洋裁だけじゃないわ。お茶もお花も料理も、一通りのことはできるの」
へー。
花嫁修業は完璧って訳だ。
「そこまでするってことは、いい縁談でもあるんですか?」
思わず聞いてしまった。
これだけ綺麗で何でもできれば、玉の輿だって夢ではないだろう。
「縁談ねえ、あればいいんだけれど。そう簡単にはね」
ママの肩が落ちたように見えた。
「だって、あれだけの美人なら縁談なんていくらでもあるでしょう」
もしかして、無理な条件を付けたりしているんじゃないのか?
「贅沢を言うつもりはないのよ。普通の人と平凡な結婚をしてくれればいいと思っているんだけれど、それがなかなかね」
ママは本気で心配しているらしい。
「そんなに心配しなくても・・・」
「じゃあ、お客さんがもらってやってよ」
ゴホ、ゴホゴホッ。
飲んでいたビールが気管に入った。
「ママ、冗談は」
「あら、本気よ」
いや、それは笑えない。
***
「すみません、お待たせしました」
ちょうどそこへ彼女が戻ってきた。
「ありがとう。とってもよくできている」
縫い方も糸の色もすべて店でしたものと遜色なく直されている。完璧だ。
「どういたしまして」
「本当にすごいね。君って何でもできるんだな」
「そんなことないですよ、ただ器用貧乏なだけで」
器用貧乏って・・・。そうかなあ、どちらかというと欠点が見つからない気がするが。
「何かお礼をしなくちゃね」
「いいですよ」
「でも・・・」
何も無しでは申し訳ない。
「じゃあ、ボトルを入れてください。うんと高いのを」
「いいよ」
お安いご用だ。
「それと、お名前を聞いてもいいですか?」
そう言えば名前を名乗っていなかった。
「鈴森商事の専務さんですよね?」
「うん。鈴木孝太郎と言います。君は?」
「麗子です。青井麗子」
律儀に、フルネームを名乗った。
「徹のお友達なら、孝太郎さんでいいですか?それとも、鈴木専務ってお呼びした方がいいかしら?」
チラッと俺を見て、探っているような視線を向ける。
「孝太郎でいいよ。徹とは友達なんだ。君も知り合いだろ?」
「ええ。高校時代に」
フーン。
高校では別れてしまったからその頃の徹を俺は知らないが。彼女はきっと、目立っていたんだろう。その頃も見てみたかったな。
***
「ありがとうございました」
ママに見送られ、店を出た俺はかなり酔っていた。
1人で飲みに出てここまで酔っ払うのは珍しい。
これも、ママと彼女のお陰かな。
話してみれば、ごくごく普通の同世代の女子。
美人を鼻にかけるでもなく、媚びを売るわけでもなく、気持ちのいい女性だった。
外見が整いすぎていて返って先入観が働いてしまうが、実際に話してみた方が親しみが持てた。
ただ、どことなくコンプレックスを持っているような印象があって、気になった。
恵まれたが故の生きにくさのようなものは、きっと彼女にしかわからないんだろうな。それは俺も同じだから。
大通りの近くまで10分ほど歩き、家の車を呼んだ。
車が来るまで、夜風に当たりながら街を歩く。
こんな風に1人で歩くのはいつぶりだろう。
日本に帰ってきてからはなかなか1人の時間もなかったから。
もう少し仕事が落ち着いたら自分の時間を持ってみるか。
そうすれば気持ちに余裕だって生まれるかもしれない。
その前には、目の前の仕事だな。そのために、秘書を見つけなくては。
仕事ができて、気兼ねがなくて、信頼できる・・・あれ?今、俺は彼女を思い出した。
それって・・・